「マクベス」凄そうですが、正月観る気分でなく、
Netflix加入して、「浅草キッド」観ました。
さすがのクオリティでした。が、予想通りとも言え、
続けて、「ストーンオーシャン」12話イッキ見しました。
見づらいところが、整理されてて、良かったっす。
5部終わった段階では、もう少年誌ではやり切った感あって、
6部はそこからの実験作で、ついに少年誌卒業。
7部で自由に余裕もって描けるようになって、良かったなと。
当時、5部6部ではリアルタイムには脱落してて、
7部では、また日本に帰ると都度フォローしてました。
6部に対する批判は、
だったらワンピースでも読んでろ的な予定調和好きな批判も多いけど、
ごちゃごちゃ、解りづらすぎという批判は当然だよなと。
予定説とか、重力と時間とか、解りづらくも構わないと思いますが、
バトル自体もここまでごちゃごちゃ、しなくていいんじゃないかと、
それで、中だるみしてくんじゃないかなぁと。
それが、アニメでは補正されて、
原作を壊さない範囲で、できるだけ分かりやすく、スッキリ。
作者の当初の狙いが、よりよく伝わってます。
もううろ覚えなのですが、
無敵の父親が、ヤラれて、盗まれて、お話転がり出しますが、
読んでたときは、
分かりにくく、かつ夢オチってなにそれ、
とちょっとたるいという感想だった気がします。
今回観ると、
あ、メメントじゃなくインセプションやってたんだ。
と引き込まれて、イッキ見してしまいました。
キャスティングもハマってて、男前な主人公際立ってました。
コンプライアンスとか権利関係とか、
アニメ化は無理と言われてましたので、
Netflixの恩恵だな、
日本が変わるときは外圧という感じでありがたく鑑賞しておりました。
作画は素人目にも若干不安定かと思うとこもあるので、
岡田斗司夫が言うように、
Netflix アニメ内製化目指すかもしれませんね。
で、「浅草キッド」も観まして。
映画館で観たかったなと、最初に思ってしまいました。
それこそ、コーエン兄弟のマクベスみたいに、
単館系で期間限定でいいのに、
同じNetflixの「パワー・オブ・ザ・ドッグ」ができて、
何故、劇場公開されないのだろう。
劇団ひとり監督が、企画持ち込んでも、
どの日本の会社も芸人モノは受けないからと断られ、
ようやくNetflixが面白がって、引き受けてくれた。
そんな経緯が関係してるのでしょうか。
外圧って、いいな。
そんな2022年の幕開けとなりました。
中国より表現の自由あっても、
予定調和的に計算できるものばかりな作品では、監獄の中にいるよう。
コロナ明けるのはもう少し時間掛かりそうだし。まだちょっと動けないか。
ひとり監督の発言とはうらはらに、歴史的必然を感じましたね。
王者になったテレビと、衰退した浅草にとどまる人。
それを今、ネット配信で観ることができるのですから。
井上ひさしや、コント55号がすでに伝説で、
その一番最後に、テレビの漫才ブームに乗り移れた人。
オールディーズなテイストなので、
日本のテレビや映画が難色示したのかもしれません。
二周り古いものを、古いと感じるのは一回り古いからか。
一周回って、客を選ぶとはどういうことか、
確かに、おっぱい目当ての客に芸事見せてもねぇ。
「ゴッドタン」とゴールデンの番組じゃ、
劇団ひとりも立ち回りを使い分けると、腐り芸人に指摘される。
テレビの視聴率より動画の再生は、もっとシビアに数値出るし、
分析も進化してるだろう。
アメリカや韓国に比べ日本はどうか知らんけど。
誰に向け、どのメディアで、何を、
永遠のテーマだけど、永遠のテーマだなぁ。
ビートたけしは、
「フレミングの左手」と言っても笑いが取れて、
客層の偏差値を上げて、80年代のマスに通用する笑いに、漫才を変えた。
笑いが ”子供からお年寄りまで” のものでなくなり、
欽ちゃんやドリフを時代遅れにした。
オワコンの象徴としての当時の浅草ですが、
これだけ話題でも劇場公開できない日本で、
何のメタファーなのかって話ですよね。
そりゃ、
鈴木保奈美の元旦那さんのことだって、観てて思い出しますよ。
企画協力秋元康ですもの。
でも、テレビの黄金期というと、
やはりこれかなあ。ビートたけし絡みだし、
昔すでにテレビは成長期を終えていた。
私はクレイジー・キャッツのころの雰囲気をこれで知った。
55号のころのコントの感覚はこれと、欽ちゃんのドキュメンタリーで。
知らない芸人さんの知識は小林信彦から少年時代に得る。
でも、なんといっても。
死んだらタンスの引き出しに遺産があるから分けてねと遺言。
大田胃散が残ってたという芸人の逸話は、今でも覚えている。
ボードビルという言葉も、
その至芸がフレッド・アステアだということも、
芸人がスポットライト浴びてタップ踏むことも、
彼から教わった。
挿絵はいつも和田誠。
芸を魅せるのが芸人。
笑いを取るだけなら、素人でもできると、
欽ちゃんの素人いじりは軽んじられてた。
浅草の芸人さんの粋は、江戸っ子らしくて、
上方とはまた違うんだなって知った。
松本人志は北野武の後継には成れなかった。
芸人として成功もして、誰からもその才能は一目置かれ、
さらに映画監督としても、成果を残す。
たけしの後継は、軍団でもなく、
元気が出るテレビ以来の師弟であり、
映画もきっちり撮る劇団ひとり、ただひとり。
そういう高らかな宣言でもありましたね。
誰も、文句は言えない。
特殊メイクはマジ歌のスタッフというのも象徴的でしたね。
あと、あまり触れられてないようですが、
劇団ひとり監督は、日本の喜劇映画の継承者でもあります。
寅さん好きは、アメトーークなどで披露されてますが、
そうとう好きなんでしょうね。寅さんだけでなく。
子供の頃、
日曜の午後に駅前シリーズとかテレビで放送してた、
財津一郎主演の喜劇映画も記憶にあります。
そのテイストをすごく思い出しました。
セリフとか人物の撮り方とか。
単に、大衆性の獲得を義務としてただけでなく、
日本の喜劇映画のリバイバルも狙ってるっぽいです。
ベタっていうより、
日本喜劇映画の再現の色合いのほうが強かったな。
韓国のヒットコンテンツとは違う、ガラパゴスな日本で発信。
それが、日本の既存のメディアから出せない。
不思議な二重構造を堪能しました。
浮世絵とかフェノロサの仏像とかもこんな感覚だったのでしょうか。
キャスティングも時代の再現もNetflix じゃなきゃ無理かな。
最後に、チャンス掴み、長続きする人は、俯瞰力高いですね。
見習おうと思った新年。