ネタバレ全開「パワー・オブ・ザ・ドッグ」ちょっと眠くなるが見応えあり! ようこそ男の世界へ。

絶版になった原作が近年復刻され、
それを読んだジェーン・カンピオンが映画化を自ら企画。
で、復刻版の解説を書いたのが、「ブロークバック・マウンテン」の原作者だった。
 
この時点でどんなお話か?
「ピアノレッスン」+「ブロークバック・マウンテン」
だろうと大体想像つきます。

文句いう人は、毎度思うのだが、
 ベネチア銀獅子賞で、
 ジェーン・カンピオン監督脚本で、
 しかもベネディクト・カンバーバッチ主演。
分かりやすい娯楽作なはず無いじゃん。
観る前に分かるだろうそりゃ。

見応えあり、という言葉がピッタリの作品でした。
スクリーンで観るべし。
雄大な自然を映すのですが、
クロエ・ジャオよりウエットであくまで人間中心。
映像であの緊迫感伝えるのは、才能ってこういうことだなと、
つくづく思いました。
  
画作りの才能を愛でるために、映画館に足運ぶものだなと、
つくづく思います。
(ブログに書いてない空振りだった映画ちょと続いてしまったし。)
 
個人的には、
音楽とベネディクト・カンバーバッチの演技はちょっと過剰じゃね?
と疑ってもいます。世間の評価とは異なり。
 

まあ、映像には圧倒されつつも、終盤ちょっとタルくて、
集中切れかかったところで、
え、ポリコレ的な話じゃないのか、と驚きました。
 
カンバーバッチが優男の青年に惹かれるくだり、
原作ではもっと心情が描写されるらしいですが、映画では説明ありません。
私は、観終わってから「スティール・ボール・ラン」思い出しましたよ。
 優男クンは漆黒の意思の持ち主。
 カンバーバッチはワイルドさで武装しても、所詮対応者。
 
カンバーバッチは弱さを自覚するがゆえ、
自分にないものを持つ絶対殺すマンに惹かれる。
いろんな思惑はあるだろうが、
結局深層心理では、自分のコンプレックス刺激するのでなおさら、
無いものに惹かれてしまった。
 
ポリコレ的には男性性の脆弱性を描いたと言われる本作だが、
いやいや、あの着地じゃ、話がブレてしまう。
漆黒の意思の勝利。ようこそ男の世界へ。

ブロンソンならそう言うね。
 
 
流行りに便乗と見せかけて、
暴力性と対比する人間の本当の恐ろしい強さを描いてるっぽくて、
一筋縄じゃいかねーな、ジェーン・カンピオン。
って、観てました。
 
西部劇っぽいのに、全然アメリカっぽくない!
オーストラリアだし、なんかイギリスっぽい吐き気がするような心理戦。
エンディング直後は「銀の仮面」彷彿としていました。

そんな、奇妙な味の終わり方していいんだろうか、
ポリコレ映画じゃないんだ!と唖然としました。
 
 
ちょっと眠くなる瞬間もありますが、
映画館で観るのオススメです。
 
「おしん」的な娯楽作なわけないじゃん。
からのポリコレ風でその筋の方も納得させつつ、
更に漆黒な人間賛歌に着地。
 
多様性と見せかけて、ようこそ男の世界へ。が痛快でした。
 
 
オレも対応者だからなぁ、、と仕事してみるといつも思います。
漆黒の意思の持ち主には成り切れなかったね、
いろんなこと思い出しながら、つくづくそう思います。

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