NHKドキュメント「シン・仮面ライダー」 作品の評価と工程が理不尽かどうかは関係ない。

作品と作者の人格は別。
どんなに作品が素晴らしくても、作者を人間として尊敬するのは錯覚。
そんなことを、西原理恵子の毒親問題に関連して岡田斗司夫が言ってた。
  
そりゃおかしい、じゃあ批評なんかすんなよ。
 
  
制作の裏側のドキュメントで、作品の評価が変わるのも、
いわんや、
作品の評価によって、庵野監督がパワハラかどうかという判断が変わるというのも、
そもそもが適当過ぎないか?
 
私の前提として、
作品の批判の多くは的外れだと思っている。
 ・ドラマ性の排除、物語のダイジェスト、セルフで補完しろと捨ててる。
 ・偏狂的再現、昔もかくかくしてたし、荒かった。
 ・勝新太郎的リアルの追求、マスク越しなら声が籠もって当たり前。
意図的にやってることを欠点として批判してもねぇ。
試みが失敗してるは、まっとうな批判だけど、
その理解無くて「シン・ゴジラ」と違うは、批評としては粗悪じゃないかな。
  
新しい実験しないで、
マスでハンパなオタク満足させる監督に戻っては惜しい。
 
他者とスムーズにコミュニケーション取れるならあんな大人になってない。
NHKドキュメント「シン・仮面ライダー」で連想するのは、
行き着くところは、芥川龍之介の「地獄変」。

私の前提として、
マーベルのアクションには全く満足できない。
ハリウッドスターに怪我のリスク負わせられない(トム・クルーズ除く)。
それをどんなにテクノロジーで補っても嘘くさいのは否めない。
このご時世日本でもやむなし。
大野剣友会だけでなく、
昔の東映特撮はだいたい違法で命綱一本の命がけ。
藤岡弘は死にかけているが、死んでても不思議でなかった。
今なら許可おりない。
なので、
「ベイビーわるきゅーれ2」にだいたい満足したのですが、
その前に書いてしまいます。
 
殴るシーンのリアルを追求するなら、殴っちゃえばいいのだけど、
どこまでなら虚構の中で追求できるのだろうか、
「ベイビーわるきゅーれ」シリーズと同じ園村組の「生きててよかった」で、
主演の木幡竜さんは、リアルに減量して、ガチにもらって脳が揺れてる。
ホントに生きててよかった。

 
 
で、
そんな危険なのに、どんなものが撮りたいたいのかも言わない。
それは、だめだよね。って私だって思う。
その下で働くのは地獄だなって、労働の経験あれば誰でも思う。
ディレクションしないディレクターって、
言語矛盾じゃないのか、存在意義あんのか、 
 
ま、
それでも庵野さんの作品に携わりたいという人が集まればいい。
作風がどんどん実験的になってくだろうから、
スタッフはもっと余計に振り回されるだろう。
インディ系でも、むしろインディ系の方がいいから、また撮って欲しい。
とは思うけど、
アレがアウトかセーフかと言われればアウト。 
地獄変の絵師みたいな人を絶賛するのはよくない。
 
一方で、作品の完成度は低くとも、
こんな意欲的な実験作を邦画のメジャーでよくぞ作ったと評価する。
 
 
それぞれ別の評価でいいじゃない。作品と人格は。
むしろ作品の評価が高ければ、ブラックな現場がありは良くないよ。
更に、
白石監督や佐久間Pが訴えることもあるけど、
庵野監督よりブラックな職場は、まだあるとも想像する。
世界がホワイト化してゆくのは良いこと。
  
一方で、安全を確保しつつ、
こういう狂った作家が生き延びる余地も残ると嬉しい。
庵野さんが好きな人だけ参加すればいいんだし。
  
とにもかくにも、
作品は作品、人格は人格。
混ぜるな危険。

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