引き続きA24のアカデミー賞映画観てきました。性懲りもなく。
音楽がベタでダサく工夫がない。安易に家族愛に着地する。
この悪癖は共通してました。
アクションではないので、特殊メイクと撮影は見事でした。
元のサミュエル・D・ハンターの戯曲が優秀なんだなと、
ワンシチュエーションもののお話運びに感心しきり。
役者の熱演と特殊メイクの精巧さを愛でておりました。
映画は映像で詳細に見せてるのだから、
ピザ屋のくだりはくどくて、蛇足じゃないの。
舞台なら意味あったとしても。
ポリコレに配慮したキャストはそんなに気になりませんでした。
アジア系のおばちゃんで、あんな人居そうだし、
アンジェリーナ・ジョリー的な養子も多そうだし。
同性愛は本作では必然性あり。
旧約聖書ではソドムもオナンも罰せられてる。
ただ勿体ない感に包まれて映画館を後にしました。
途中まで格調高かったのに、ラスト急にメロドラマに転調し、
これで感動しろとは、ちょっと舐めてる。
アメリカにおける宗教は、
プロテスタントもカソリックもモルモン教もユダヤ教も関係なく、
家族神話ですね。
たぶんサイエントロジーは逆。トム・クルーズすげえといつも思います。
ちょっと会話して喋って和解してハグして、めでたしめでたし。
宗教としか言いようがない。
監督が底意地悪く、敢えてこんなことしてるのか、
本気でこれで感動させようとしてんのか、
判断つかなかったのですが、
家族愛は簡単に復旧し、全てを救う。
本作にかぎらず、アメリカ映画固有の手癖。
最近注目を浴びる宗教2世問題も扱っていますけど、
宗派関係なくアメリカ映画の家族神話は病的だと感じました。
ヨーロッパだったら、
それぞれの登場人物と主人公が最後の挨拶交わし、担々と終わりそう。
逆にそれなら、感動も生まれたかも。
急に安いメロドラマみたいな演出されてとキツかったです。
これがアカデミー賞狙いかと邪推してしまう。
なので、
死期を悟った主人公が、人間讃歌的なお説教始めるのもどうだか、
すげえ薄っぺらい。生き方に覚悟を感じないから。
一生、娘に憎まれて当然だ。くらいは思えよ。
そうじゃないなら、思慮浅く行動し、自暴自棄になっただけの人。
まやかしの救いにすがんなよ。
冷静になれば、クソみたいな登場人物ばかりなんだし。
まあ、クソは言い過ぎでも、
主人公は精神病んでる人を生み出し、また引き寄せる。
献身的な介護ではあるが、あれは共依存だし。
過食症より、アルコールやクスリで自滅してく方が現実的だろうけど、
そこは元の戯曲が素晴らしく、特殊効果も演技もそれに答えた。
ああ、こういうこともあり得るだろうなぁ。
あ、そことそこが繋がるのか。
巧みなお話運びと映像に心惹かれました。
依存症の人って、こんな感じだよなー。
サミュエル・D・ハンターの人間観察目がクリアでとても興味深い。
赦しを乞うくらいなら、やんなきゃいいじゃん。
罪人であることを受け入れてこその人間讃歌だもの。
罪を受け入れる勇気が無いなら謳うなよ。
そんな身勝手でクソな人間性が程よく描かれていて、
微妙に観客に不快感を与えるのを回避している。
ま、
安い着地はアメリカ映画の業だと諦めることができれば、
依存がどのように起こり、どのように破滅を引き寄せるのか、
その工程はとても興味深い。
同性愛だろうとなんだろうと、恋人と堂々と幸せに暮らしていたら、
最後に娘に赦してもらおうとは思わないんじゃないの、この人。
でも、異性だろうがなんだろうが、精神的に危うい人同士引き寄せる。
駆け落ちする前に、家庭は既に家庭は壊れていたんだろう。
この父親と母親で、娘がまともに育つ方が難しい。
あの母親は主人公のせいで壊れたのかもしれないが、
もともと大概な人だったんじゃないかな。
ヤバイ人と暮らすと病むよね。
付き合わないのがベストだけど、距離置かんとね。
結婚した時点で負け確定じゃないかなぁ。
荒涼たる精神が救いを求める様をグロテスクな身体に重ねる。
元の戯曲がすごいのだと思う。
ただ、最後に全てを調味料で塗りつぶすようなベタなテイストが口に合わず、
フランソワ・オゾンの作品でも観たくなった。