ゆるし方を間違えない「どうしても「許せない」人」。松尾潔vs山下達郎 なぜ個人事務所に留めなかったのかな?

他人のマネジメントにまで踏み込むには覚悟がいる。痛感させられます。
 
開き直るなら、自己保身的なことは無駄に言わなきゃいいのに。
 性被害の実態を自分で特定できないので言及しない。
 個人的に恩義があるので関係は何があっても切らない。
 松尾氏とはスタンスが違うため契約終了と社長から報告受け了承。
だけの方が良かったんじゃないかな。
 
”罪人だったとしても身内は庇う”という態度だけ表明しておけばよかったのに。
結果、
ジャニーズにそこまでの義理の無い松尾氏と袂を分かつのは仕方ない。
で、
それでもなお受ける社会的バッシングは甘んじて受けて、
ファンが離れようと、スポンサーが降りようと、
個人で出来る範囲の活動続けてれば、それでよかったのに。
 
なんで、夫婦以外のタレント抱えるような事務所にしちゃったんだろう。
発言以前にそこから余計なことしたんじゃないかな。
 
↓この動画が、中立的で良識的な反応と見ます。

 山下達郎らしいが、
 開き直るなら、自己保身的なことは言わなきゃいいのに。
 ”知らない”と”憶測と断定”は両立しないのだから、
 楽天はスポンサー続けるのかな。
 まあ、才能能力と人格は別な例は、特に芸術方面じゃありがち。

あとは、”性加害を容認するものでない” というロジックは許すべきじゃない。

”総論賛成、各論反対”で、骨抜きにするやり方。
この指摘はもっとされるかと思ったが少ない。
 
 ”性加害を容認するものでない” とさえ言えば、
 目の前に今あることを ”おめこぼし” していいのか?
 
ずるい。
”罪人だったとしても身内は庇う” を遠回しに言えばいいじゃん。 
このロジックを許してはダメだ。
お題目を唱えれば、言動不一致も免罪してしまうご利益はない。 
   
松尾潔としたら、取引できないと思うなら離れるのが正解。
 被害者のカミングアウトが続く中、ジャニーズ事務所の対応はお粗末だから、
 取引ある身としては、きちんとしてもらいたい。
それは極当然であって、憶測かどうかは関係ないし。
それで干されても仕方ないという覚悟はあるのだろう。

  
憶測に成りかねない発言は控え、過去にあれば削除して、
是々非々で対応してるのは、立派だと思います。
  
個人経営の良いとことでもあり、辛いとこ。
関われない人とは関われない。
シガラミなく選択できるのだから、
またその意思決定をしないなら、大手に所属したほうがマシ。
 
 
そういうことは、公私共にあります。
反芻も出ます。ふとフラッシュバックしてしまう。
そんなころ、
 世の中に流布する ”ゆるし” は間違っていて有害なことが多い。
とようやく気づいて、精神を立て直すことが出来ました。
 
”ゆるす” とは、 
自分が囚われている感情を解消すること。相手への現実的対処は別途粛々と行う。
自分の心の中の恨み辛みから自由になることと、加害者の言動を容認することは別。
 
他にもあったはずだが、↓これは参考になった。 

私が言いたいのは、「ずるい人達をけっして許してはいけない」ということだ。 
人が人生を間違えるのは、他人への対応を間違えるからである。「許すべきこと」を「許してはいけないこと」と混同し間違えると、従わなければいけない人に逆らい、従ってはいけない人に従ってしまう。

その人達がこちらの心に何の影響力ももてなくなる。 
おそらくもう一歩進むとキリストのようになるのだろう。つまり「汝の敵を愛せよ」である。 
心がやさしくなると、自分を騙した人が地獄にいることが分かる。そこでその人を可哀想と思い、その人が地獄から抜け出すようにと祈ることができるのだろう。 
しかしそこまでは普通の人間には無理である。なかなかできない。 
自然とそうなるのは良いが、努力してなろうとすれば逆に無理が生じる。
普通の人間にできるのは、憎むのが馬鹿らしくなるというところまでであろう。つまりそのずるい人を心の中で断ち切るということまでである。

  

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