ホームランか三振か孫正義の研究。孫氏の兵法とA級戦犯。負けて滅ぶ者、生き延びて勝ちを掴む者の違いを知る。

河野太郎大臣の話題から、


そういや孫会長は再生エネで音沙汰無い。
どうしているのかと気になって確認してみた。
 
 
岸田首相の訪米にあたり、千鳥ヶ淵と靖国の区別は必要と私は考える。


政教分離の問題もあり、
やはりA級戦犯合祀に首相が参拝するのは、悪手ではないか。
戦没者を悼むのであれば、千鳥ヶ淵が適切と思う。
 
とはいえ、靖国神社のことも、東京裁判のことも、
よく知らないので、ちょっと調べてみた。
 
  
結果、
負けて滅ぶ者、生き延びて勝ちを掴む者の違いを、知るに至る。
 
孫正義のみならず、おそらく中国国民党も戦争のセオリーに詳しい。

三千年前から普遍な原則。長期戦はご法度、撤退の方がマシ。
大陸全土への侵攻は、陽動に消耗させられた”べからず”の、まるで見本のよう。
せめて満州の利権にだけ、拘っていればよかったものを。
  
愚かにも、嵌められといて、”やむを得なかった”は無い。 
 
創業者の時代はセオリーに忠実で、謙虚に学んだが、
代を重ねてサラリーマン経営者になると、慢心と内向き意思決定。
孫氏の後継はAIが最善と思ってしまう。
 
 
それはさておき、
なるべく、イデオロギーに公平なものから知識を得た。
 
  

 勤王の志士を祀るが最初は江戸で不人気。
 次第に戦没者の神社となり、日清日露では合祀は名誉となる。
 恩給の資格と合祀が結びつく名と実の両方。
などは知らなかった。
 
それからA級戦犯合祀について、
 昭和天皇のメモのように、
 戦没者でもないのにA級戦犯だから合祀は私も納得いかない。、
 しかも、国連脱退しナチスと手を組んだ当事者なのも納得いかない。
 
これだけの失敗なのだから、誰かが責任取らねばなるまい。
汚名を引き受けるのもその範疇であろう。
私はバブル崩壊後の見苦しいサラリーマン経営者の足掻きも見た。
これだけ責任追及が好きな日本人が甘いのは不思議である。
賛成した大衆も、煽った朝日新聞も罰せられればいいのに。
 
がしかし、どんな人が裁かれたのか、詳しく知らない。

 マッカーサーは厚木基地に降り立った直後から当時の指導者を囚える。
 近衛文麿はじめ、自殺するもの多し。(東條英機は自殺に失敗)
 昭和天皇の責任は問わず、支配を決定づけようとするGHQ。
 裁判は2年半に及ぶ膨大なもの。
 連合軍側の証拠が一方的に採用される。
 勝者が敗者を裁くのが戦争。
 A:平和に対する罪 B:戦争犯罪 C:人間に対する罪
 しかし内実は、A:指導者、B:現地指揮官、C:実行者 か。
 ナチスへの裁判を踏襲しようとしたが、ユダヤ人迫害とは事情が違う。
 そもそも事後法に正当性はあるのか、

 英豪蘭仏は戦争犯罪を糾弾。虐殺や捕虜の扱い。
 比は感情的、露は火事場泥棒の正当化のきらいあり。
 中の南京大虐殺は、盛り過ぎな気がするなあ。
 米は戦争犯罪追求より、”自衛の戦争”の正当性を覆そうとする。
  空襲や原爆投下を持ち出されるのを嫌ったか?
 情報戦で勝った米により、以下暴露される。
  満州事変は自作自演だった
  日米開戦も日本がヤル気満々だった
 庶民はそれまで知るよしもなかった。
 
 
量刑がどの程度正確かは分からないが、  
日本は東京裁判の結果を受け入れた。
個人的には、
 戦争犯罪と類する行為について、敗者として裁かれるのはやむを得まい。
 意思決定の失敗が他人任せでは成長はない。
 人任せで、部分的な批判だけでは、幼稚なまま。
という感想を逆に得る。
 
貧弱な兵站での作戦では、
略奪や捕虜の不遇は起こってしまうだろう。
後出しではあるが、”べからず集”のような意思決定は、
日本人をより苦しめたようにしか見えず、
 
被害者ズラでいいのか。
逆に、思考停止な反戦を利するだけではないのか、
 
戦争というものが存在する以上は、
その扱いに長けたものだけが生き残る世界ではないのか。
  
 
そんな感慨を兵法から得ると同じく、
孫氏が在日だからとか、政商だとか、貶される再生エネ事業。
少し調べたら、戦略を学び、機略に富んだ人物と知る。

ヤフーBBのころ、PLは捨てマーケットシェアのみを最優先した攻勢。
再生エネ事業でも、撤退となれば逃げ足は早い。 
まさに風林火山。
 

東日本の震災以来、ビジョンを語る。
中国とズブだからとか、高い買取料金で儲けたとか、
もっと大きな野望の持ち主だとは思う。
 
ただし結局、太陽光の発電コストでは、
多少のイノベーションでは火力原子力に太刀打ちできない。
失敗を悟って、豊田通商に事業売却と思われ。
 
スプリントでの撤退とも似ている。  

不思議なことに、
日本の通信事業での成功体験を活かそうとすると失敗する。
再生エネも、送電で広域なエリアでソフトバンクになろうとした。
アリババは成功させるのに。
 

当たることも、外れることもあるが、 
負けを認めると素早く撤退し、被害を引きづらない。
 
2024年現在、
16年に3兆円強で買ったarmが大当たりし、
株価も強い。日経平均を牽引した。

 
 
今は汎用AIの話しかしない。再生エネはおくびにも出さない。

因みに、私がちょと保有するAI関連の日本株はサッパリである。
まあ、三振を恐れてはホームランは打てない。
無能と卓越の差をまざまざと見る想いである。
凡人は敗北を認めることが出来ない。
 
見切り千両な自分でありたいと切に願う。
 
 
ついでに、
人間に残された領域と、いわゆる”人間らしい”は別物。
 
共感できるのは、経営センス溢れる語りくらいだった。
 
イ・セドルにgoogleのAIが勝った当時を思い出すと、
大局観が要求される局面でも、人間は敵わない。
むしろ機械は細かい読みや計算は雑なのに、終わってみれば大差である。
 
セドル先生の鬼手により、一勝をもぎ取ったが、
あれは人間が機械に勝った最後だろう。
ごく一部の天才はAIにワンチャンあるかもしれないが、
凡人に”人間らしい”なんて領域は残されないだろう。
 
ただ、AIは責任は取れず、応変な細かい対応も苦手、
孫氏の後継はサラリーマン経営になるくらいなら、AIでよし。
どうせ人間にだって、失敗の責任は取れない。
 
勝つこともあれば、負けることもある。
確率思考による意思決定を身に着けねばと思った次第。

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