札幌ドームと儒教 5月3日は憲法記念日なので振り返ってみた。

前回の続き、
戦中の意思決定はまるで、札幌ドームのよう。
そう思えば、すべて合点がゆく。
 
昭和の軍人はただの官僚である。 
ペーパーテストで採用され、組織内の出世を勝ち抜いた。
戦争することしか能が無い官僚。
経済も外交も専門外、しかも戦争の実践的知見も怪しい。
 
官僚は失敗を認められない。損切り出来ない。
日ハムに逃げられたのは大失態。
素直に敗北を受け入れて、解体すればまだ良いものを、
新モードから黒字転換という、経営素人以下の大本営発表。
さらに悪手連発し、現在に至る。

 
 ”日本人は何故、これほど愚かなのか?”
司馬遼太郎はその疑問をテーマに生涯創作活動を続けた。
文豪は満州に生まれ、ノモンハンを体験している。
戦後、ノモンハンを指揮した当時の司令官にインタビューし、
お話にならない官僚答弁しかしなかったと書いてある。
札幌ドームの役人と同じかと想像した。
官僚は失敗を認められない。

おそらく、疑問の答えには、
私が幼年期にぐるりと囲まれた存在が存在する理由がある、と想像している。
年月を重ねても蒙昧で感情を消費しているだけの生き物。
 

 昭和の軍人は紙の試験に受かっただけの官僚
 憲法上、統帥権の悪用ができると、文民運統制失い失敗。日独とも
 儒教の毒が官僚で具現化

坂本龍馬を祭り上げた歴史観に私は疑問もあるが、
 民間でもお役所でも、駄目になるときは今も昔も変わらない。
 意思決定の機能を失うと終わる。
我が意を得たり、と思うに留まらず、
転落するのは、儒教、特に朱子学に原因が有りと示唆も受ける。
走馬灯のように、かつて体験した組織を数々思い出す。
 
 
そんな、ヒントを貰う発端↓

昭和天皇独白録に、先の大戦の敗因に言及あり。

昭和天皇は、戦後、日本の敗因を四つあげられた。
その筆頭に、「第一、兵法の研究が不充分であった事、即孫子の、敵を知り、己を知らねば、百戦危からずという根本原理を体得していなかったこと」
(『昭和天皇独白録』第二巻)と、漢文の古典『孫子』の素養が足りなかったことを、最大の反省点としてあげられている
(ちなみに、
 敗因の第二は科学力より精神力を重視しすぎたこと、
 第三は陸海軍の不一致、
 第四は常識ある大物政治家が存在しなかったこと)。

漢文の素養というのはこじつけが過ぎるにしても、
敗因については同意同感で、札幌ドーム同様。
私なりに翻訳すれば、

・実践的なセオリーを学んでいないし、意思決定で活用出来ない。
 軍事でも経営でも、能力が無いまま事に応る。
 セオリーが無いから撤退どきを知らない。
 平時の惰性で有事に対応する。 
 
・合理的思考に基づかず精神論で決定、世の中甘くない勝ち目なし。
 願望からのはじめに結論ありきで、ロジック不在。
 一貫性ない場当たり的な主張に終始。
 カイジが言うように、偶然に祈るものは死。
 
・官僚の縦割り行政、派閥争いで出世したのだもの。
 失敗を認めると脱落する競争の勝者だし、
 常に、組織内部の原理で生きている。
 意思決定者とは別の仕事。

・本来の意思決定者の不在。組織の命運が尽きたということ。
 伊藤博文から高橋是清まで、大抵殺してしまった。
 軍人は外交の専門家でなく日米講和は出来ない。
 山一證券の社長は貧乏くじだが、優秀ならとっくに辞めてる。
 札幌市長の立候補者がそもそも。。
 AIの方がマシという明るい未来。
 
 
それはさておき、「漢文の素養」
 卑弥呼や神武天皇の時代は、文字もまだ未開。
 日本書紀編纂で頑張る。大陸とは漢文でやりとり。
 聖徳太子が啖呵切る。仏教伝来で漢文は更に導入。
 源氏は兵法も学んでいた。
 元寇には僧侶により文書解読。
 後醍醐天皇は漢文の教養高し(儒教の悪影響は言わない)。
 家康の儒教導入。綱吉の朱子学。
 元禄からの発展。
 明治に新漢語。福沢諭吉や中江兆民も漢文の教養高い。
 大正以降は漢文は衰退。

という変遷を掴む。偏りはあるので、
 かなや和歌、口語文などの日本語側にノータッチ。
 孫子の兵法は持ち上げるが儒教の影響について考察が無い。
など、不満はあるのですが、それはまた別のお話かと、
 
儒教の悪影響は大きいかと、当たりを付ける。

 
異民族にヤラれたが文化的には自分達が上、ユダヤ教のような選民思想。 
 
君主の絶対性を権威づけ、階級社会の肯定。
科挙という紙の試験による官僚制度で対抗勢力を排除。
実践より観念的、お花畑ぎみ。
安定はするけど、変化に弱く、成長なく、いずれ衰退。
  
日本は元を退けたので、そこまで酷くない。
綱吉に大いに導入され、桜田門外の変に至る。攘夷。

権威付けと捏造の歴史。皇帝にとっては都合がいい。

論語の時代はモラルを説くが、群雄割拠では用いられず、
皇帝に都合いい権威付け、でも戦国時代は使えない。
漢以降の世が治まってから、隋唐で科挙、対抗勢力を削ぐ。
宋で朱子学が起こり、明で大々的に採用。
支配階級の肯定、官僚制度の確立は共産党でも一緒か。

士農工商は、ただのカーストというだけでなく、
経済の軽視は注目すべき点と思う。お金は汚い嫌儲。
吉宗以来の改革は、
質素倹約と清廉潔白に終始し経済対策は出来ない。
で、
明治維新は朱子学のカウンターの陽明学でなる。
大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛、桜井章一あたりが思い浮かぶ。
渋沢栄一もかな。
 実学、実践重視。
 君主がアレなら、ヤっちゃう方が世の為人の為。
 
明治維新は西洋に学ぶのは当然として、
江戸幕府な朱子学のカウンターがあって良かったね。
 
日露戦争の頃までは、兵法に精通してたらしい。

アフリカを大回りしてくるバルチック艦隊の動向は、
イギリスからの情報で把握していた。情報戦で予め勝っていた。
対馬を通ると読み、戦力集中し相手の弱点を突く。
 
桶狭間に似ている。
勝つときはうまくゆくものだが、
兵法のセオリー通りに、小が大に勝つ。
 
このあとは、 
創業社長から、代替わりを重ねサラリーマン経営になってゆくが如し、
トヨタが創業者一族に戻るのは故有ることだと知る。
孫正義の後継はAIだと思う。めでたし。人間は変わらない。
 
ついでに、
勝利に世論もマスコミも湧いたらしいが、
財政について論じられた形跡は無いらしい。

戦争のみならず、近代化へのインフラ整備にもマネーが必要。
中央銀行による通貨発行まで金融の近代化になんとか漕ぎ着けた日本、
高橋是清は戦争の金策を担い、英米のユダヤマネーに国債を売りさばいた。
これが、日本の国際金融デビューだという。
 
渋沢栄一や高橋是清など、
経済に明るい面々は、アメリカのカネで戦争したこと知っていて、
新大陸の鉄道王に満州への資本参加を望んでいた。
が、
多くの日本人は、カネは命より重いとは思わず、
攘夷思想的でもあった。
 
ここから日米関係は拗れ、
226で高橋是清が殺された後は、
見識ある意思決定機能は失われた。
政治家の登場は吉田茂まで待つことになる。
 
伊藤博文は、
新政府から、議会制民主主義、政党政治への移行が、
近代への現実的な離陸と考えていたらしい。
そんな現実的で進歩的な考えだと殺されてしまう。
しかも、政権交代で世の中は良くならない。 
 
日本の近代化の挑戦は政治面で失敗し、
昔ながらのサラリーマン経営により敗北し終結。
5月3日は憲法記念日。
会話にならない人達に囲まれてしまうのも、必然かと納得した次第。 

 

 

 

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