石丸伸二さんからの教訓。「ひと言でまとめる技術」「端的に伝える技術」「不機嫌は罪である」「ずるい人に騙された時どう生きるか」「怒る技法」

反面教師に出会うと、いくつかの教訓を思い出します。
今日は、それをつれづれに。
 
1.悪人と良い取引はできない
悪人とは良い取引はできない
バフェット先生の言葉を肝に銘じる機会を何度も得てきました。
魅力的な物件に見えても、ズルい業者とは関わらない。
相手がズルい人だと感じたら、関わってはいけない。
この大原則を学ぶため、高い授業料を数々、私は支払ってきました。
 
対価を支払わずに、不当に利益を得ようとする人全般を、
私は”ズルい”にカテゴライズするようになりました。
その都度、オマハの賢人の金言を思い出し、撤退を決断します。
多少は取引上手になれたでしょうか。 
  
最初に知っておかねばならないことは、
ズルいことをする人はズルい人。ということ。

感情的恐喝をする人は、あることがらで感情的恐喝ができるだけではない。感情的恐喝ができるような性格の人なのである。つまりそういう質の悪い人という意味である。 
一つの悪いことができる人は、他の悪いこともできる。そうした質を持った人ということである。 不動産売買などで言えば、売る前と売った後ではがらりと態度を変える。

感情的恐喝をしたり、人を騙したり、平気で嘘をついたりする人は、人に対して尊敬とか畏敬の念を持つことはない。 
そうした感情は彼らにはない。 
したがってものごとのとらえ方がまったく違う。

ワザとサイコパスのフリをしてるとか関係ない。
 
第二に、
ズルい人は精神的に満たされていないし、それは本人の勝手である。

「脅す人には、憎しみがある」ということは心に留めておくべきことである。つまりあなたが脅されたときには、
「あ、この人は憎しみがあるな」と思わなければならない。
 また脅されたときには、あなたが舐められているときである。 
脅す人には憎しみがあり、その憎しみのはけ口としてあなたは狙われたのである。

 
その次に、
ズルい人に関わらない。無視が正解であること。断る時点でハマっている。

あなたを騙そうとしている人と、なぜ話をしなければならないのか? 
つまり「ダメです」とも言わないで、無視。話をしない。それが鉄則である。 
話をする必要などまったくない。 
それも「ダメです」とどうしても言わなければならないときである。即、「ダメです」。理由を言わない。理由を話せば、話が始まる。

  
 
普段から、関わる前に見抜けるものなら見抜きたい。

私は常々「鈍感は悪である」と言い続けてきた。はっきり言って、鈍感な人間は何をやってもダメだ。「感じる力」がないと、人は伸びていかないのだ。
-中略-
ベンチの前に無造作にボールを一つ転がしておくのだ。しばらくすると、練習を終えた選手たちがベンチに戻ってくる。そのときの反応をこっそり見るのだ。 
足元にボールが転がっているというのに、まったく気づかないやつもいるし、気づいていてまたいでいくやつもいる。こんな選手たちは、このままでは今後の成長の見込みもあまりないと思えてくる。 
逆に、そっと拾って、もとあった位置に転がしていくやつ、戻していくやつは、細かな目配り、気配りができる選手で、それは些細なことに感じる力をもっている選手といえる。当然、前者よりは数段見込みがあると私は判断していた。

 
常に見抜ける人になるのは不可能だけど、些細なことで、気づくことはある。
その時に見過ごさないようにしたい。
善人でボンクラな人も避けたいけれど、最低限、ズルい人だけは避けたい。

生地が、ずるい、ってことは、器が小さいということだ。まず、生地は、ずるくないのがよろしい。ただし、そのうえで万能選手であればもっとよろしい。ここで勝負、というときは、なんでもできなくちゃね。ウィークポイントがあったら勝てないよ。スケール、スピード、変化、なんでもだ。 けれども、一番大切なのは、(勝負の場合でも)生地がずるくないこと。
-中略-
要領が自分の武器だ、と思っている若い人が居たら、いったんそれを捨てておくれ。そうでないと、先へ行って上位戦で勝ちこめないよ。

 
都知事選次点の候補は、石丸劇場をプレゼンするために、
全国地上波の尺を最善に使ったのかもしれない。
”ああ、これじゃ。
 田舎の小さな市の出来事を、遠くから見物してるなら良いけれど、
 残念なことだが、やむを得ない一択だったな。。”  
自分が投票権を持ったらそう思ってしまう。
それでもなお、元大阪府知事周辺が、今後も担ごうとしてるなら。
手段が先に有って目的は邪。だと疑う。センス疑う。
  
とはいえ、関わらないで済まないこともある。
私は、”はぐらかして都合の悪いことに答えない” は ”ズルい” に含める。
かつての職場などでも、経験があります。
かつ迷惑を被ることもあり。やはり対処法は必要になる。 
 

怒りは我慢するものではなく、上手に対処するもの。とのこと。
対処法には、”流す”、”かわす”、”返す”、”活かす” と4種あり。
今ここでは、”返す” にフォーカスします。
 
原則は、

相手が運んできた怒り──怒るきっかけを他人が作った場合は〝返す〟ことが基本。 
腹が立ったら、理解を求める。思いを伝える──。

で、アクション前の検討。

考えるべきは、あえて返す(伝える)価値があるかです。
-中略-
結局は、「怒るほどの価値があるか」という話です。 
価値があると思うなら、伝えるのもアリです。しかし、それほどでもない──それほどの価値のない相手・価値のない怒りについては、かわす(離れる)ほうが正解です。
-中略-
ブディズム(ブッダの教え)がめざすのは、心の苦悩から自由になること。その目的に役立つことを〝善〟──価値あることkusala:goodnessと表現します。
-中略-
仏教における「役に立つ」(価値がある)の意味は、
①よき目的につながる。
②行動につながる(変化を起こせる)。
③貢献になる(前に進む・周りの人が喜ぶ)
のいずれかです(役立つ3条件)。

そしたら、まず自分を観察。

心の動きを、そのまま観察する。「今、心に何が起きている?」と、さながら一つの物でもあるかのように観察しようとしたのです。
興味深いことに、心の動きは、客観的に観察しようと本気で肚を決めれば、動かなくなります。心を見る(観察する)ことと、心が動く(反応する)ことは、真逆の働きだからです。
す。
-中略-
事実として気づいてはいるが、反応していないという心の使い方が、〝サティ〟(気づき:awareness)の本質です。「ある」(見えている・聞こえている)と知っているだけの状態です。
イラッとしたら「イラッ」という心の動きに気づく。考えが浮かんだら「考えた(考えていた)」と気づく。すべて、「ある」と知るに留まるのです。 
すると、不安が湧いても、「あ、妄想が湧いた」と気づくだけになります。 
一つの妄想は、きわめて弱く短命です(だから、日頃思い浮かべる雑念は、とりとめがないし、覚えようとしても、すぐ忘れてしまうのです)。だから、「ある」と気づくことに徹すれば、妄想は勝手に消えていきます。

次に、相手を観察。

人と向き合う時は、その人の思い・言葉・行いを見る────観察することから入ります。
この三つには、順序があります。最初に見るのは、言葉です。
-中略-
「あなたが言っていることは、よく理解できます」
「言葉の意味は、わかります」
と返すことになります。
言葉の次に見るのが、相手の行いです。
-中略-
ここで大事なポイントが来ます。相手の思いを過剰に妄想してはいけません。
-中略-
人は、思いを言葉で伝えているのですから、まずは言葉を聞けばよいのです。
-中略-
いちいち本音を探らなくても、相手の言葉をただ拾えばいいのです。

で、相手が話の通じないズルい人だった場合。
とにかく基本は理解して、かつ理解に留める。

「真に受ける」ことと、すでにお伝えした「相手の言葉を、そのまま理解する」とは、まったく違うので注意してください。相手の言葉を理解するとは、「あなたにとっては、そうなのですね」と、単純に意味を理解することです。

さて難敵と対決しなければならない時もある。
付き合わずに済めば、それに越したことはないのだが。

こうした人は自己を正当化する理屈に長けています。なにしろ長い歳月をかけてプライドを守り、人を見下し、言い負かす技を鍛えて来たのです。口は達者だが、物分かりは悪い。都合が悪いと、はぐらかす、嘘をつく、忘れたふりをする。

最初の対処は、

相手の求めに応じるかについては、シンプルに、できるかどうかで答えを出すのです。
-中略-
ここで気をつけるべきは、自分の妄想です。「相手の思いを先回りして考えない」ように注意してください。

ここまで、来たら対処。

①自分が出した答え(思い)を伝える────理解を求める。
②相手の言葉を通して、その思いを見極める。
③見極めたうえで、そんな相手とどう関わるかに答えを出す。

結論を表明するにも、また対処法がある。

どんな理屈でも、次の言葉で”無化”するのです
「それとこれは、別です」 
-中略-
自分の思いが伝わるか────その一点を見据えるのです。

で、

「結局、あなたは何がしたいのですか?」
-中略-
言葉と思いのリンク(関連性)を見つけるつもりで観察します。

その上で見極める。

行いを見れば、その人の思い、もっといえば本質がみえる
-中略-
言葉と行いを通して見極めていくのは、相手の思いです。思いが見えれば、「この人は、わかる人────話が通じる人だろうか?」という問いに答えが出ます。

 
わからない人の場合は次の問いに進む。

①何のために?
②いつまで?
③どの程度?
-中略-
人間関係における理想の距離は、”反応せずにいられる距離”です。

「わかる相手じゃない」ことが見えてきたら、目的・期限・距離の三つで、気持ちに整理をつける。
そして、こう伝えることになります。
「もう関わることはできません。ご理解ください」

まあ、ここまでは基本技で、ここから先があるのが、価値あるところ。
問題があるなら、他の理解者を増やしてゆくことを選ぶのですが、

①一人に執着しない────通じない相手にムキになって、感情を消耗しないように気をつけましょう。
②伝える価値があるかを考える────関係のない人まで巻き込むことは、避けたいものです。
③誰に伝えることが適切かを考える────問題解決に繋がりそうな人を探します。
④結果にしがみつかない────伝わらないと分かれば、いつまで留まるかという自分サイドの問題に切り替わります。

  
もっとスマートに、縁切ってあげられたら良かったと、
今でも、思うことが私にはあります。
    
マスコミを批判したいのなら、それはそれで真面目にやれよ。
彼を庇う為だったり、祭り上げる為なのは、邪な目的が、いただけない。
 
トリックスターに憧れるよりは、
反面教師として学び、生産性高い人材に成ってしまった方が、
特に若い人には有効だと思うところです。
成果を出すということは、そういうことじゃないんだよと、
教えてあげるのが良い大人。 
 
 
更にあと2項目、再学習したい。
 
2.リーダーの笑顔は義務である
小飼弾元ライブドア役員曰く、

情報がスムーズに上がってくる体制を作るには、日頃から”Badnewsisthefirst.”(悪いニュースから先に伝える)という習慣を徹底すること、そして悪いニュースを受けてもリーダーはいつも笑顔でいるという原則を必ず守ること。上の者ほど、いつも笑顔でいるように心がけなければなりません。リーダーの笑顔は、「義務」です。

エンタメとしては面白くても、納税者は市長が裸の王様ではリスキー。
無駄にコミュニケーションのコストが高いと、成果が出ないだけでなく。
 
まあ、不機嫌の有害さを知っておきましょう。

 
いまだに根本的な勘違いがあります。

機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように思われがちですが、気分をコントロールすることは立派な知的能力の一つです。仏頂面をしている人、他人に辛辣なことを言う人のほうが、よく物を考えているように思えるかもしれません。ところが実際は、前向きに生産性のあることを考えている人の頭やからだは柔軟に動いています。表情もやわらかですし、ポジティブな空気を発するものなのです。

まずは、もはや星野仙一は通用しないと知る。

職場での不機嫌は「パワハラ」、家庭での不機嫌も「モラハラ」として、排除されるべき対象になっています。大相撲で起こった傷害
事件も、私には旧来の不機嫌な徒弟制を引きずったがゆえの悲劇に感じられました。不機嫌の極致が暴力につながるのです。 職場に不機嫌な人がいれば全体のパフォーマンスが下がるということも組織心理学の見地から主張されています。コンプライアンスの基準も引き上がっています。夫の不機嫌に耐えていた妻たちが、「熟年離婚」をつきつける例も増えてきました。不機嫌パワーによってつくられた権力構造は、もはや限界を迎えているのです。 不機嫌には、もはや何の力もない。まずはこの事実を深く胸に刻みつけましょう。

上機嫌な職場は、離職率も低くなり、仕事の効率が上がるのです。 
教師が不機嫌ではならないのと同じように、上司もこれからは不機嫌でいてはいけないのです。もはや、仕事中の自分自身から、ひいては職場のメンバー全員から、不機嫌を排除していくというのも、ビジネスパーソンに求められる能力といえるでしょう。

不機嫌を消費するだけの人、上機嫌に成果を挙げる人、2極化が進みます。
前者を若者に勧める悪い大人が、いたる処にいます。 
 
 
3.端的に伝える
ビジネススキルの基本ですが、
どこかのタイミングで身に付けないと、一生そのまま。
そして、石丸擁護派が全く蔑ろにしているスキルである。

端的に伝えるために重要な視点とは、相手の質問に目を向けることである。何かを伝えるとき、「自分はいったい何を問われているのか」ということをしっかりと自問自答して欲しい。これこそが第一に重要なテクニックだ。

自己愛が強いと、適切に伝えること以外を目的にする。
優先順位を確立しておこう、リソースを無駄にしないように、自分も相手も。

伝える技術を磨くためにいきなりロジカル・シンキングを学ぶことは不適切であると筆者は考えている。その理由は、大事な視点が抜け落ちる可能性が高いからである。それは、そもそも何の問いに対して答えるのか?という視点だ。
ロジカルであるからといって、相手の問いに応えているとは限らない。
-中略-
端的に伝えるために大事なのは、「自分の説明をロジカルにすることでなく、相手の聞きたいことを起点に話をすることである」という気づきだ。

そのうえで、基本ルール。

ルール1:答え→根拠、という順番で話す
ルール2:グルーピングして示す
ルール3:削ぎ落とす

つい、無駄に詳しく喋ってしまいがちで、引き算は難しい。

何が問われているか、から考えるときにはコツがある。それは、「これは話さなくても相手の聞きたいことに答えられるな」と思う要素は削る、といことだ。

もう一つ、大事な要諦が書いてあった。

伝わることは、必ずしも納得してくれることを意味しない。わかったけど、納得できない、というのはよくあることだ。端的に伝えられるということと納得して行動してもらうことは分けて考えた方が、伝える力の基礎を身につけるうえでは良いと私は考えている。
-中略-
伝わる、ということはその中身が正しいことを保証しない、と思っておこう。わかりやすく伝えた!、と思ったら「それは違う」と反論されたり指摘されてしまうこともあるかもしれない。だが、これは決して嘆くことではない。

  
まあ、テクニックよりも、
他人の時間というリソースに無頓着な人は無能です。

現代においての「時間泥棒」は、「他人の大切な時間を奪う人」という意味で使われています。
①話にまとまりがなくて長い人
②要領を得ない長文メールを送ってくる人
このふたつは、どちらも時間泥棒の顕著な特徴です。

私は世の中には、誰にでも好かれる人もいなければ、誰にでも嫌われる人もいないと考えています。 
それでも、もしひとつの答えを出すとしたら、「人は、与える量より奪っている量が多くなったとき、嫌われる」のではないかと思います。

本当に気をつけたい。
歳を取ると、認知が歪み、承認欲求ダダ漏れな己を制御できない。
そんな人も見かけます。自分だって既に駄目かもしれない。
  
  
これから社会に出て成長もした方が得な世代が、なにもわざわざ。
良いものから学び、悪しきは反面教師に、が基本。
そして更に、無知を喰い物にしようとする悪い人は必ず居る。
逆に、よくこれで生き延びてこれたとも我が身を思う。
 
 
2024.07.30現在
半導体の対中制裁とドル安円高方面への材料から、
-2σを突き抜ける大陰線が出る。ここで一旦の利確。
ただし、
NY時間に主導権があるため、確信は持てない。
分割決済や保険の買い玉を打つ、スマートには取れていない。
バンドウォークするか、反転するかも分からず。
週末は、弱いながらも反転かと、ブサイクにドテンした。
中心線(20MA)まではタッチするかと、急落を恐れつつ、
売り玉の保険打ちながら、買いポジションで待つ。
そろそろ、全クリアして、一旦休みたい。

カテゴリー: 売買契約, 書評、映画評など, 業者さんとの関係 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*