ども、カオサンに戻りました。
やや涼しめの曇り空です。降ったり止んだり雨季らしい天気です。
チェンマイでは、嬉しいことも、不愉快なこともありました。
ミッションコンプリートしつつ、関係整理ですね。
夢を夢で終わらせない人は、
自分に何が足りないか分かっている。
いい言葉ですね。
何人かの「何が足りないか分かってない人」を断念しました。
ま、オレが言って分かるくらいなら、とっくの昔に気づいてるわな。
そんな初歩的なこと。
とか言ってもね、ヒトのことは外から客観的に見れるから、いいけど、
いざ自分のこととなると難しいもんです。
適切な判断力を身に付けよう、
このあと、折衝や交渉ごとが続くような気もするし。
で、意思決定に関する本読みました。
上下巻で長いよ。
事例紹介が多いんだけど、それがくどい。
かつ、納得できない事例も多くて、それでも得るものはあった。
でも、半分の量で、半分の値段で十分だよな。
上巻は、主に、
直感で瞬時に出した答え(ファスト)と、
じっくり論理的に判断したとき(スロー)との違い。
ファストは統計的な思考は特に理解せず、思い込みによる間違いも多い。
確かに、
常にファストを使って結論に飛びつき、
スローをできるだけ使わない努力してるヒト、何人も見てきた。
趣旨は大いに納得なんだが、、
ボールとバットで合計1ドル50セントで、バットとボールの差額は1ドルのとき、
ボールの値段は?
って、聞かれて、50セントと答える。
これが直感だとか、言われると、
いっくらなんでも、小学生だって間違わないだろ、
もうちょっと納得できる例が欲しい。
後半は、プロスペクト理論というのを説明。
期待値で判断することが、人間の行動原理にそぐわないって話しを、
いろんな例を上げて延々とやる。くどいよ。
コインの表が出れば200万円もらえる、
裏が出れば100万円払う。
この賭けを行うべきか?
期待値で考えれば、200万*1/2-100万*1/2=50万
だから、やるべしというのが、「合理的」か?
だけど、
これが、200円対100円という賭けなら、
50円の期待値という計算に従ってもいいけど、
例えば、年収300万円で生活してる人にとって、
100万失う可能性の深刻さは、
単純に計算上プラスかどうかという判断と違うの、当たり前で、
当事者にとっての深刻さ、(価値といってもいい)を加味しない合理なんて、
そもそも合理と呼ぶに値しない。
そんな単純過ぎる合理への反論に時間かけないでよ。
ま、結論は、
50%→60%と90%→100%ではリスク増大(減少)の心理的重みも違うし、
またリスクの対象の価値によっても、心理的影響度は違う。
そりゃそうだろ、ってとこに落ち着く。
それちゃんと合理的に説明するのは大変みたい。
で、その法則を発展させ、
確実性が高いときは、損でもリスク回避的になる。(金持ち喧嘩せず)
可能性が低いときは、リスクテイクに向かう。(ダメもと)
と法則を見出し、訴訟などで、利用しようという考え方もあるらしい。
ま、外交とかでもね、
摩擦を恐れて譲歩した結果、更にズルズルと、
という結果はこの理論でも説明できる。
まあ、可能性(チャンスやリスク)に対する評価を、適切にって話しで、
直感で結論に飛びつくのは論外で、更に単純に期待値の計算でも不十分。
可能性を承知して、その上で価値からその可能性を再評価しましょう。
そういう理論を易し目に紹介した本でした。
で、
損切りは心理的な抵抗感があり、難しい理由も説明している。
資本投入してしまったもの、断念する後悔に人は耐えられない。
だから予め、想定される撤退も書き出しといて、
心理的負担を軽くしておいて、
いざというとき適切な判断できるよう準備しとけと、ノーベル賞の先生は説く。
それはスローを適切なタイミングで呼び出す、仕組みの一つ。
ここは損切りのしどころ、そういうこともあるよね。
種まきは、実はいろいろとコスト掛かる。
だからといって、生えてきた芽全部を育てるのが適切とは限らない。
剪定つーか、切るものと残すものの判断が常に必要。
やり過ぎず、やらな過ぎず、かつタイムリーに決断を。
かくありたいと、最近つくづく思った次第。