「赤線地帯」溝口健二の遺作に相応しいオールスター群像劇(/´△`\)不幸てんこ盛りなのに大ヒット。昭和33年カラーテレビと長嶋茂雄 


やはり逃せないので、水曜日、神保町シアターへ。


ギリの到着で、またもや最前列をチョイス。
 
 
 《 開演 》
 
 
脚本の段階で容赦無い、群像劇でも淀み無く、
不幸の種類は取材の賜物で、質感ずっしり。
にも関わらず、86分の尺で!
貧困と不幸も5+1と様々に描く。
(近年の長尺は、
 無駄を極限まで排除した作劇を、お手本にして欲しいもの)
 
映像は相変わらず、妥協無い設計。
奥行きを大切に、込み入った情景もスッキリ見せる。
 
音楽は、あれが正解なのか、衒い過ぎかと、やや疑問。
 
役者陣は、承知とは言え鬼監督に良く耐えて、不幸をリアルに体現。
  
お話は、相変わらず救い無く、
辛いばかりなのにスッキリ見せるので、気持ちは清々。 
 嘘なのに嘘を許さない
からでしょうね。
 カネは命より重い(by利根川) ですね。 
人間という存在を知らしめる。
自分が受けた教育の嘘まみれを、つい顧みたり。
  
  
映像や美術の見事さ、最少のセリフは、承知の上で観て、
その上で更に、
グランドフィナーレに相応しい群像劇と納得。
戦後の終わりに、手を振りました。
映画の時代の終焉を予感させて、巨匠は逝くべくして。

  

昭和31年(1956年)の日本では、これがヒットするのか、、
 大衆娯楽的には、もうちょっと美しい嘘が必要では?
大女優の共演と言えども。
今では、すこし不思議。
高度成長期の果てに、文化が一度滅んだとしか思えません。
TVって凄い。(インターネットはもっと凄い。AIは更に凄い)
 
  
溝口健二作品の凄さは、
既に「夜の女たち」「残菊物語」で記したので、
本作固有で、作劇の手法とは無関係なことを。
  
 1.赤線廃止と長嶋茂雄、カラーテレビの時代へ
 2.フェアトレードに似た記憶
 3.仕事というもの
 4.親子というもの

※若干ネタバレ。
 
 
 
1.赤線廃止と長嶋茂雄、カラーテレビの時代へ
 映画黄金期の終わりの時代背景を整理。
 本作、永田雅一の名もクレジットされるので、
 大映の変遷中心に、本作を位置づけてみる。
 
 昭和23年(1948年)永田雅一が大映オーナーに復帰、プロ野球球団買収。
 昭和26年(1951年)黒澤明監督「羅生門」がベネチアでグランプリ。
 昭和28年(1953年)溝口健二監督「雨月物語」がベネチア銀獅子賞。
 昭和29年(1954年)溝口健二監督「山椒大夫」がベネチア銀獅子賞。
 昭和31年(1956年)「赤線地帯」公開。
           溝口健二死去。 
 昭和33年(1958年)赤線廃止。ジャイアンツ長嶋茂雄デビュー。
           大映はテレビ映画製作に乗り出す。
 昭和34年(1959年)東京タワー放送開始。
          大映はフジテレビ開局に参加。
 昭和39年(1964年)東京オリンピック。
 昭和46年(1971年)大映倒産。
 
 
 昭和33年は明確な時代の転換期で、  
 赤線が廃止され、ミスターが登場。
 映画界は当初、五社協定というカルテルを敷き、
 TVにスターを出させなかった。
 そこでTVは、スポーツ生中継で対抗。プロ野球、大相撲、プロレスなど。
 三種の神器カラーテレビ普及し、映画の時代は終わる。
 巨匠は去るべき時に去る。
 
 時代は良い方に向かっているのですが、
 時の流れに、滅びゆく文化もあり。
 私は此の度、映画館で見送りました。
 
 
 
2.フェアトレードに似た記憶
 ”特殊飲食店”の事業者は、
 これは福祉事業であると、売春防止法案に対し、反発する。
 ふと大昔の記憶が蘇った。
 
  欧米の少年が、インドかどこかの貧困を目にする。
   子どもが劣悪な環境で働いている。学校にも行けずに。
  先進国の少年は、子供の労働を禁止するフェアトレードを訴える。
  裏には、大人が居るのだろうけど、
  ピーター・バラカンが活動を称賛する。
 
 そんなTV番組を、私は深夜に観た。
  それで、子供たちの生活は保証されるのか?
 
 そこだけ非営利で介入してもねぇ、、
 過干渉なだけの親にも似た、将来への無責任が危惧された。
 と、当然の疑問が湧くのだが、一切の説明は無い。
  パンが無ければケーキを食べる境遇の人、
  今で言うリベラルなドリーマーの理想論。 
 と見えてしまった。
 単に禁止しただけでは、子供の立場はより劣悪に追いやられる
 容易に想像されることより、彼らは、自らの善意に酔う。
 ”地獄への道に敷き詰められるレンガ”とは、この事かと、理解した若年の私。
 
 とは言え、事業者は搾取する側で、
  社会が悪い、資本主義が悪いと言ったとて、
  平然と若者搾取な「急に具合」と似たようなもの。
  少子高齢化に目を向けるボンボンな監督には、
  世界は清潔で、子供の貧困は見えない。
 
 
 溝口健二はいつも、人間という存在を赤裸々に描くのですね。
 本作は特に、
 分かり易いドラマに富む群像劇なので、尚の事際立ちます。
 作品への資本の理屈がどうであれ、視線は冷徹なまま。
 不幸もいろいろと描く。 
   
  父を拒絶する娘に、息子に縁を切られる母に、
  就職の事情は様々、
   カネが全てと執念を燃やすか、
   家計を一身に支えようと耐えるか、
   やはり此処より居場所が無いと悟るか、
  
  クライマックスは、「プリティ・ベビー」を彷彿。

   ハリウッドに、世知辛い物語は似合いません。
  やはり、フェアトレード思い出してしまう。
  職を失って、身を落とした子供も居ただろう。
 
 
 
3.仕事というもの
 結婚したとて、ただの重労働。
 堅気の仕事を探しても、より間抜かれてる。気がする。
 成果の分だけ報われる、身を売る方がマシ。
 劇中そんな告白を聞くと、
  
 我が身も振り返ってしまう。
 SESで働く、フリーランスのエンジニアは瓜二つ。
 戦後の日本で、
 個人の裁量の世界は、まあ、ヤクザな仕事しか無いか。。
 身を売って生きるのは、身を売る人ばかりではない。
 身過ぎ世過ぎ、貴賤は無いと思ってしまう。

 一方で、
 何処かに属しても地獄は変わらない。
 カネが全てと割り切り、遂に脱出したのなら、
 フリーな仕事も、それはそれで正解。
  
 現代では、
 色街の女性は、借金漬けのアイドルに似て。


 韓国の方が、より似てるかな。
 売れるという一縷の希望が残るのが、より残酷。
 
 仕事に夢見ない者が勝者。
 私は学校に通ったが、授業料を払ったのは卒業後だった。
 そんな事も連想してしまった。
 
 
 
4.親子というもの
 一箇所、よく分からない。
  冒頭、母は息子に会うのを拒む。
  が、後に、
  田舎まで息子を訪ね、東京に働きに出たこと知る。
  足を洗って、一緒に暮らそうとして、拒絶される。
 
 うーん、
 学校に通わす程の高給な職業は、他に無いでしょ。
 息子にバレないと思っていたなら、まさに”夢ちゃん”。
 田舎で噂が広まらない訳がない。
 最初から、現実を受け入れていないのが敗着で、
 それじゃ、いずれ破綻は約束された道。
  
 親だからこそ、子に対して見通しが甘い。のか?
 舐めた分だけ、しっぺ返しを喰らう。のか?
 
 息子の方も、
 進学という”名より実”を取ったくせに、
 母を恨むなら、他に理由が有りそうなもの。
 
 親がもっと悪人ならねぇ。
 田舎でなく東京で働くなら、
 世間体が悪いくらい、そこまで気にしなくても、
 そこだけ感情移入出来ず。 

  夢ちゃんの精神は元から不安定で、 
  子が愛情を感じるのは難しかったのかもしれない。
 と思えば納得だけど、
 劇中は何も描かれない。ちょっと不満。
   
 
折角の溝口健二特集を観るなら、本作を逃す手は無いなぁ。
もはや戦後ではないと、
過去に、さよならする時節柄を見届けたい。
 
 
 
久しぶりにJT聴いて、そんな気持ちになる。

お別れに、皆と握手をしよう。
 
 
 
2026.09.03 13:00現在
 ここで耐えても、不思議は無いけれど、
 一旦20MA付近まで反発できても、前の安値目指しそう。
 

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