苫米地センセイの新著はシアワセについて書いてあった。
なるほどとも思う、ちょっと眉唾とも思う。
そんなことよりも、ビールが旨いんだから、それでいいじゃないのとも思う。
チャオプラヤ川の上に浮かぶ月がきれいです。
ども、何故かバンコクでビールが旨いです。
気候のせいでしょうか、
企業努力のせいでしょうか、
ワタクシのコンディションのせいでしょうか、
昨日は見事な受け月でした、盃を連想させるせいでしょうか、
チャオプラヤ川の波間に揺られながら、
コンビニ買った冷えた缶ビール堪能してました。
波でブレてしまって、わかりづらいな。
ビールは42バーツで、
下弦の月はプライスレスで、
すっかり多福感に浸ってしまいました。
井上陽水は、
探しものが見つからないなら、踊りませんかと誘います。
きゃりーぱみゅぱみゅは、
カバンの中も、机の中にも、忘れずあって、
甘い空気がフワフワすれば、プンプンしなくて済むと説きます。
フト、幸福についての本を読んだので、ご紹介。
主題は、信じても救われない現代における幸福の意味です。
他の著作と、かなり重複があるので、それ省くとかなり、頁数減ります。
それと、
洗脳の事例を各々説くけれど、
苫米地センセイの展開が典型的な洗脳的手法なのは、矛盾じゃないのか?
という疑問がつい残ってしまい、
あまりテーマに集中できません。
で、読みどころは、終盤、
「幸福とはそもそもなんなのか?」あたりからです。
幸と福にまず分解です。
幸は情動、脳が幸せを感じてる状態のことらしいです。
脳科学のセンセイ的に言えば、
ドーパミンとセロトニンが脳からドバっと放出されてる状態のことだそうです。
福の方は、自分の選択によって得られた結果であり現象。
現代ニッポンではコチラはあんまり問題にされません。
苫米地センセイは、社会が定型化され、主体的な選択が存在しないからだ、
と説明してますが、
わたしゃ、それじゃ説明として弱いと思います。
現代では、幸を感じることと、外的な状態は分離してしまうくらい、
外的な環境が満たされてるからだと思います。
そもそも、福が自分の選択によるかどうかは、
関係なくて、棚ボタ的な福だって存在するものとは思います。
ま、それはさておき、
問題は幸せと感じる状態の方です。
現代ではこれはもう、娯楽の範疇で、
スキなこと、楽しいことをしてれば、幸福感を味わえます。
それすら面倒くさい人は、
オランダいって、葉っぱやれば、同じ状態を脳内に作り出せるそうです。
もう、幸も追及しなくても、容易に手に入るものだそうです。
生存欲求が満たされたときに発現するのが、幸福感らしいですが、
逆に生存の危機に晒されることは殆ど無いわけですから、
ちょっと危険な目に遭ったりした方が、
幸福感をエンジョイできるのは、多分そのせいだと思います。
で、まあ、ここまで世の中発展してしまえば、
他人から与えられる安心では安心できないし、
他人と同じ幸せを追及しても幸せになれない。
幸福なんて所詮、娯楽ですから。
しかしまあ、これだけで終わってしまっては、本当に救いがありません。
苫米地センセイは、最後に救いを用意します。
じつは、他人の価値を受け入れてる大多数の日本人は、
本当にやりたいことをやって結果を得るという経験を一度もしたこともありません。
-中略-
他人のいうことを聞き、他人の価値観を受け入れ、他人と同じ条件つきの幸福を追い、
いまわの際で、「本当はこれがやりたかった」と気づけばまだいいほうです、
大多数はこれといった疑念も持たずに、この世から消えていきます。
ほっといてやれよ、って思いますけどね。
たとえそれが、それがカリソメであろうと、疑念も持たずシアワセならいいじゃないの。
それじゃダメか?
ま、人生変わるようなことあって、
中途半端に気づくのは、一番最悪そうだけど。
兎に角、
幸は娯楽、福は本当の喜び。だそうです。
で、
やりたいことだけをやるという「福」に、着地します。
なんか、普通です。急に。
そんなこと言うのに、そんな枚数いんのかという疑問も渦巻きますが、
真理というものは、存外平凡だったりするものです。
でも結局、福の評価は脳が幸の度合いで決めてる気がしますから、
幸という娯楽の方が、重要なんじゃないかとも思います。
それに、苫米地氏の話が洗脳的なので、
「本当にやりたい事がある」っていうのも、
同じように、外側から与えられた価値観なのではないかと、
そんな二重構造な、疑問が去りません。
昔、
労働と貯蓄だけでなく、投資に目を向けるべきだ、と言う人に会いました。
彼に、ワタクシ、申しました。
管理費勿体ないからって、全部自分でやってたら、労働と一緒だし。
時間をお金に変換してることかわりない。
せめて、時間あたりの生産性で委譲すべきこと見極めないと。
しかし、彼にはお金の総量を増やすことしか眼中にありません。
それって、同じじゃん、労働にのみ執着するのと。
また、
親は学歴信仰だったけど、今となっては意味なくて、
子供には、国際的に活躍できるよう英語身につけさせたいという人も居ました。
ま、それはそれで、いいけれど、
アナタの親が学歴信仰だったのと、アナタが今、国際化信仰なのは、
同じことだよ。
今通用してかつ、未来でパスポートとして機能する保証ないこと。
構造上同じなの、気づけないか?
その、かえるの子はかえるナ構造。
そんなことを、感パラ見ながら、思い出しました。
苫米地氏は著書の中で、お釈迦様の教えを説くのですが、
「本当の自分」ってお釈迦様っぽくないよね。
駐車場で「空アリ」を発見したみうらじゅんの方が本物な気がします。
ま、万物は流転するので、もうすぐ月がかわります。
去年の年末もカオサンに居ました。
歳のせいでしょうか、
一年って早いなぁって月並みな感想吐きつつ、
パキスタンに行ったのとか、随分昔のことに思えます。
あれって、今年のことだったけ、って毎年思ってますね。
まあ、脳には、時間も空間も無いので仕方ありません。
移ろいやすく見えるものには、、
そんなもんに誓っちゃイヤだとか言われてしまいますが、
受け月は。一滴もこぼさず受け止めて、掛けた願いが叶うともいいます。
実際は極めて明確な法則性があるのですから、
信用して良いモノかもしれません。
しかしまあ、
本当にやりたいことなんて、特に無いですね。
人類の救済とか、面倒くさそうだし、
やりたくないことやらない努力はたゆまずしてるんだけどなぁ。
とりあえず、
受け月だし、湯布院の温泉で、のんびりできますようにって願おうか。
ああ、でもオレ旅行嫌いだし、出不精だし、
やりたいことだけしなくっちゃ。
とはいえ、
ドーパミンとセロトニン。
脳にはよくても、体に悪いこともあります。
バンコクでももうちょっと散歩の量を増やそうと思います。
ビールばっか飲んでないで。
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