パキスタン、インド、バングラデシュ 国立博物館を見比べると、分かる変遷

[2015.02.28,2015.03.20]
パキスタンを命からがら旅したときには、ラフォールで国立博物館を見学した。
今回も同じく、国立博物館を訪ねた。
コルカタでも、ダッカでも。
 
折角、インド圏で3つ揃えたので、記念に、
で見比べてどうだったなのか?
を記したい。
 
 
ええっと、博物館、それも国立ですから、総合的に網羅してます。
 先史、地層、化石含め動植物、地域の生態系、
 遺跡と仏像神像、聖典(文字関係)、
 コインや工芸品や民族衣装、
そして近代史。
 
などにジャンルは分かれます。
 
 

ラフォール



コルカタ


ダッカ
 
なお、コルカタだけ撮影(できた)してきたので、
内部の写真はインド国立博物館しか残っていない。
(ペシャワールのはあるんだが)
 
で、各ジャンルごとに、
 
 
 
近代史に関しては、
 それぞれ自国の独立に重きを置くようです。
 当たり前ですね。
 
 イギリス撤退からの全インドの独立。
 その後のパキスタン分離独立、
 バングラデシュのパキスタンからの独立。
 
 それぞれ、当人にとって意味するところが違います。
 善玉悪玉の判断も逆になります。
 
 
 あ、バングラでは、
 ダッカで独立戦争博物館、チッタゴンでジア記念博物館も見学したので、
 バングラの近代史ついては、記事を改めます。
 私は、今回の旅に出るまで、ほぼ無知でした。
 やっぱ、自由って勝ち取るものなのかなって、思ってしまいました。
 
 
 
動植物のエリアは、ふ~んという感じで観てました。

コルカタの海洋生物。

 ベンガルといえば虎ですが、
 森林濃い河口付近では、豊かな生態系の説明あり。
 パキスタンでも、ワニの展示とかありましたね。たしか、
 昔はインダス河にもワニいたらしいです。
 
 
 
工芸品はインドだから象で、象牙細工は目を見張りました。
ダッカもコルカタも見事でした。

 
 
 陶磁器とかは、ムガールの都ラフォールが一番由緒正しい印象があります。
 イスラムのものでなく、
 最近中国から来たチャイナを見せられても、
 日本で育ったワタクシ、そんなに感動しません。
 
 ダッカでもイスラムの聖典あり見事なのですが、
 カラチで観たのが一番凄かったなぁって思い出しちゃいました。
 
 インドでは、イスラムの王朝はインダスで最盛を極め、
 東に伝搬した、
 そういうイメージを強く持ちます。
 

 これは、コルカタのですけど、

 家具はダッカが一番でしたね。
 西の方は、逆に木工の印象があまり残ってないです。
 西は石の文化で、東にゆくほど木の文化になる、
 と思うのは偏見でしょうか。
 東の方が湿度高い印象あります。
 
 
 
仏像神像がなんといっても、趣深いのですが、
 
 仏像は、ガンダーラの本場、パキスタンがやっぱり素晴らしいです。
 年代も随分違うんですよね。

  
 断食するシッダールタ。本場ならでは。 (これはペシャワールのですが)

 入滅後、5百年ほど経って仏像作り始め。
 本来、イスラム教と同じく、偶像禁止なのですが、
 大乗化してく過程でしょう。救いの対象。
 
 で、ベンガルでイスラム教の王朝になるの11世紀以降らしく、
 仏像、ヒンズー教の神像は10,11世紀のコレクションがダッカでは多い。
 
 インドはその中間と見るべきでしょうか、仏教の最盛は。
 そして、インドでは仏教廃れて、ヒンズーに飲み込まれる。
 イスラム王朝の到来。
 
 (イスラムの王朝の後にヒンズーが力持ち続けて、
  かつ、それがマジョリティというのは、
  ちょっと特殊で、興味深いのですが、それはまた別のお話。)
  
 
 インドでは当然ですが、ヒンズーの像も盛んに作られます。
 
 
 造形だけなら、ギリシャぽいガンダーラの方がカッコイイですけど、
 動きはヒンズーの神々の方がダイナミックです。
 
 
 素朴な感じは、カンボジアで見るビスヌ神とか思い出します。
 
 逆にダッカで見た観音像(?)は、柳眉な流線を描き、
 日本人にも馴染み深い、腰をひねったポージングです。
 
 日本には、こんな感じで伝わる。
  
 
 仏教は大乗仏教になり、ヒンズーと融合しながら、
 中国、そして日本まで伝わりますので、
 動きのあるポージング、きらびやかな装飾もセットでやって来たようです。
 
 逆に小乗的な大仏は動きもなく、服装もそっけない。
 ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアでは、
 その抑制がそのまま伝わっています。
 
 ヒンズーの像はバンコクでもガネーシャとか伊勢丹前で拝みますけど、
 信仰としての意味あるんでしょうか。
 猿将軍ハヌマーンはタイの人気者ですが、
 タイのはやっぱ、タイっぽい気がします。
 
 
 まあ、
 アーリア人が支配にも利用したカーストとバラモン教。
 それが腐敗して、宗教改革としての側面を持つ、
 仏教(とジャイナ教)興り、
 
 その後仏教は大乗化、密教化と、他の教義を取り込みながら、
 インドでは、ヒンズー教に飲み込まれ、
 (マーケティング的には、寿司も天ぷらもうなぎも出す店みたいに、
  最初は客足伸びるけど、長期的には特徴失って苦しい。)

 東南アジアに上座部仏教残る。
 大乗や密教は中国を越えて、東の果てまで伝わる。
  
 イスラムはインドの東、ベンガルまで支配し、
 マレー、インドネシアにまで残る。
 
 さらに近代において、インドではヒンズー教根強よく、
 真ん中と左右に分裂した。
 (その犠牲の甚大さも別のコーナーで知る)
 
 そんな経緯を実感します。
 
 
博物館というところは、その地の背景を知るには、
コンパクトで手っ取り早く、非常に費用対効果高いと、いつも再確認します。

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