コルカタでは34年間も共産党政権続いてて、今は草の根党と、街を歩いて初めて知る。

[2015.03.07-2015.03.24]
カーリーガートでのボランティアの帰り、
地元のおばちゃんが話しかけてくる。
私に資料を見せながら、英語で説明を始めた。

見せられた資料の詳細は分からない、ベンガル語は読めない。
それでも最低限理解出来たのは、以下。

 ボコボコに殴られた男性の写真が添付され、
 政府から不当に弾圧を受けている。と訴えている。
 
 これは共産党の政治活動である。(英語で書いてあった)
 
 私は署名と募金を依頼されている。
 
 
そういえば、
バスに乗ってて、レーニンの横顔を一瞬見かけた。

「あ、インドにも共産党ってあるんだ。」
あれは党本部か何かかな。
ぼーっと、そんなことを呟いた。
 
AJC Bose通りには、赤い旗が並んでいた理由も深く考えなかった。

 
西ベンガル州の政治状況が国政とは違い、独自色強いこと、
遅れ馳せながら、うっすらと気付いた瞬間である。
 
 
 
宿に帰って、グーグル先生に教えてもらうことにした。
 
こんな記事も、ヒットした。
(ちょっと古いが、おさらいには調度良い)

左翼戦線政権の長期支配とその崩壊の要因
http://home.hiroshima-u.ac.jp/hindas/PDF/2011/mori2011_HINDAS.pdf

西ベンガルの救世主になれるか、ママタ・バナジー 
http://money.fanet.biz/study/learning/emerging/india02/08.html
 
 西ベンガル州で永らく共産党政権が続いていた。
 農村部、貧困層中心に支持を得ていた。
 
 共産党はタタ自動車工場誘致や企業の民営化など、
 「共産党らしくない」政策を近年採用してきた。
 
 タタナノ工場の強引な用地買収なども祟り、
 資本家寄りのイメージで、貧困層離れる。
 
 現在の州与党は草の根党、系統は国民会議派だが、
 ちょっと過激な西ベンガルの地域政党。
 
 
そんな経緯を大雑把に、把握した。
 
 
 
インドの政治状況について、それまでのワタクシの知識といえば、

地滑り的圧勝でインド人民党が10年ぶり政権復帰
http://toyokeizai.net/articles/-/38042 
 
ターバンでシンという名前だからシーク教の人なんだろうな、
その国民会議派から人民党に政権交代して、 
再分配による格差是正よりは、経済発展に舵を切るだろう。左から右に。
民営化と外資への規制緩和はこれで少し進むかな。
 
 
政権交代のニュースは当時、ラワルピンディでテレビ観ていたので、
忘れもしません。
「パキスタンとの関係はあまり変わらないだろう」
そんなことを報じていた。
 
 
ま、国民会議派は左っぽく(リベラルより左)て、人民党は右っぽい(民族主義入り)。

その程度の理解だから、
 
 
 
道々歩いていても、クローバーっぽいマークの意味が分からなかった。
 

 全インド草の根会議派
 http://bit.ly/19key5U
 
 貧困層に支持される政策を好んで選択している。
 共産党より、共産党っぽいんじゃないの。という印象。
 
 
 まあ、(州)野党の旗は掲げにくいと思うけど、
 多数ではないが、共産党のマークはいくつも見かけた。
  
 (M)と書いてあるのは、マルクス主義のことらしい。
 
 左翼戦線
 http://bit.ly/18WrNtO
 
 一口に共産党といっても、インドにはいろんな種類があり、
 (毛沢東主義まであんのかい)
 西ベンガルの主力は、中道左派のマルクス主義らしい。
 
 
 あと、極稀に、国政の政権与党、人民党も見かけた。
 
 
 インド人民党
 http://bit.ly/1DXN8kb
 
 
コルカタだけでなく、バングラ国境近くでも、
草の根党が多数、共産党も見かける、そんな分布だった。
 

 
 
 
西ベンガルでは、農村地帯も広く、コルカタには難民押し寄せるし、
貧困や、貧富の格差は、もともと超深刻だったのだろう。
 
独立当初から、反資本主義に傾くのも当然だろう。
で、共産党政権強く、
 
しかし、世の中、グローバル化し、BRICsと呼ばれる時代になり、
インド経済が離陸を始める。
 
西ベンガルは、インドの中では劣等生で、
共産党といえど、資本主義的な政策を採用するのは歴史の必然だろう。
 
 
個人的には、再分配よりも、経済発展の方が、
最大多数の幸福に寄与すると思うけどね。
貧困を救うのは経済で、愛じゃないし。
 
誰がやっても、最終的には似たような政策取らざるを得まい。
 
 
それでも、7%を越えるという成長率。
この都市の経済で、コンビニすらないのは不思議で仕方ない私は。
この街では、東南アジア並の経済の自由さは感じない。ラオスよりも。 
ヤンゴンの後かな、順番は東から西。
 
 
まあ、時間の問題だとは思うが、時間が問題でない問題も稀である。
 
 
東側バングラデシュの方が、
もうちょっとダイナミズム感じられるのではないか、
それくらい、いいこと無ければ、甚大な犠牲払って独立勝ち取った甲斐がない。
なら、行ってこようか。
  
 
 
結局、共産党のおばちゃんのお誘いは、断って、
署名にも、寄付にも応じなかった。
 
だって、どういう政策を実現しようとしているのか、
確信が持てないのだもの。

弾圧の実態も、もうちょっと情報なければ、公平な判断難しい。

分からないので態度保留。

まあ、共産党らしくない、経済開放政策推進するなら、
支持してもいいかとも、思ったんだけどね。
 
 
 
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