バングラデシュと宗教と

バングラデシュでの挨拶。
「こんにちは」を意味するのは「アッサラーム・アライクム」。
(ただし、ムスリムにつき) とカッコ書きの注釈が付くのが普通だ。
 
その区別すら無い「バックパッカー」的態度は論外だけど、
(ただし、ムスリムにつき)の意味に及んでいない人は多い。
 
コミュニケーションとは何か。
その意味付けの問題でもある。
表面的な「ふれあい」マキシマムならそれでいいとは、オレは思わない。
  
  
 
英語が出来ないと海外では困るか?
そんな質問をよく受けると、
「英語が通じないから困ることの方が多いよ。」
とかっこつけてみる。
 
一番重要なのは数字。
1から9まで英語でやり取りできれば、最低限のことはなんとかなる。
これだけは間違うと致命的。
 
いくらなのか?
いつなのか?
何番なのか?
 
バングラデシュでは数字が読めなければ、バスに乗れなかった。
  
  
 
フト気になるのだが、背景理解が無くても、言葉そのものが分かれば事足りるのか。
そのことについて、懐疑的に改めて考えさせられたのは、
世界一周してるようなふれあいジャンキー系旅人のおかげだ。
多分、彼らは忙しいのだろう。 いちいち背景気にしてたら4万キロでは足りない。
数式のように、誤解なく明快に伝われば、イイという割り切りがあるみたい。
 
   
 
「アッサラーム・アライクム」はイスラムの挨拶。
最低限、そういう理解が無いのは、どうなんだろうか。
 
あなたに(アラーの神の)平和を。
直訳するとそんな意味らしい。
 
つまり、
アラーの神のご加護があなたにありますように。
そんな挨拶。
 
 
これ、ベンガル語じゃないよね。
「アラーの神のご加護を」というアラビア語でしょ。
ムスリムがだれでも使う慣用句。挨拶ってそういうもの。
 
 
 
これを、「バングラデシュの」、「ベンガル語の」って言ってしまう。
背景への無理解。
この手の無知には、無邪気というより無神経という形容が適切と私は思う。
無知は罪。
 
 
バングラデシュが東パキスタンとして、インドと袂を分かった訳、
それから、更にベンガル人の国として、パキスタンから分離した理由。
 
(ただし、ムスリムにつき) のカッコ書きの意味に、
その土地に居て、関心が行かない。
 
その態度からは、複雑な現実から逃避したいという願望を感じる。
 
 
そういう人に限って、戦争=悪、平和=善という、
単純な子供のような二元論だったりする。
 
 
異教徒に「(他の)神のご加護を」。
人類の戦争の歴史とは、そういうことだと思っている。
 
 
数式のように、意味が通じさえすればいいのだろうか。
表面的な関係なら、もちろんそれでイイさ。
いつでも、次の場所に行くことが出来るのだから。
 
 
表面的な意味さえ通じれば、意思疎通可能なら、
オレは日本人に日本語で話して、もっと上手に意思疎通出来てるはず。
 
 
 
てな前振りで、バングラデシュの宗教について、チッタゴンで確認。
統計資料によると、バングラでは、
9割方ムスリム。残りの大多数はヒンズー教。
 
ヒンズー教だからという理由だけで、インドに移住した人ばかりではなかった。 
ということだろうか。
 
少数の仏教やキリスト教あり。
 
ダッカでは、クリスチャンだと名乗る人物の博愛に助けてもらった

聖マリア教会だったか、大きな教会とミッションスクールも確かあった。
ただし、コルカタで見かけたように、沢山は無い。 
 
 
 
イスラム教、ヒンズー教、仏教の様子はチッタゴンで見たことを、
全国の理解に当てはめても、大丈夫そうなんじゃないだろうか。
と歩いていた。
 
[2015.03.16]
GECサークル周辺を散策し、スタジアムの方へ南下したとき。
イスラムの寺院は当然見かけた。立派なものも多く。

ここはお昼の礼拝のとき、見学した。
 
 
以外なことに、ヒンズー寺院もよく見かける。ダッカでも見かけた。

これはカーリー神だと、オレにも分かる。
 

中では、行者さんがお経的なもの唱えていて、信者さん共々おつとめ的な様子だった。
 
何箇所かあるらしい、内部はやはり、おつとめ的な儀式の最中だった。 


 
コルカタのように、辻辻に祠は無いけれど、
寺院があって、きちんと宗教活動は行われている。
 
 
チッタゴンでは、GECサークルから南下して宿に戻る途中。
仏教僧院に立ち寄った。
 

お坊さんは不在だったが、
 

確かに仏教である。
 

ちょっと、見慣れない仏像だけど。
 
 
お坊さんが居て、ちゃんと活動してるらしい。 

 
 
ダッカにも仏教僧院あるらしいけど、行ったことない。
むしろ、チッタゴンで見てみたいと思っていた。
 
もうミャンマー国境に近い。
ムガールは仏教を滅ぼせたのに、ミャンマーにはイスラム残らない。
海側からなのか、インドネシア、マレーには伝わるけど、
ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアには(上座部)仏教が残った。
 
自分は仏教徒だという子供にも出会った。
民族的な違いは良くわからない。
 
で、
バンダルバン(Bandarban)というミャンマー寄りの少数民族が暮らす街に、
行こうと思っていた。
中国で言えば、チベットみたいなとこ。らしい。
 
 
試しにグーグル先生に訊いてみると、
最近でも、こんなことがあったと、ヒットした。
http://www.jummanet.org/cht/news/2014/09/cht-21.html
 
 
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バングラデシュと宗教と への1件のフィードバック

  1. Cathy のコメント:

    It’s wouefrdnl to have you on our side, haha!

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