ジア記念博物館とバングラの戦後史もろもろ

[2015.03.16]
チッタゴンにも博物館があるとガイドブックにある。
一つは民族博物館でいつも閉まってると書いてある。
もうひとつはジア記念博物館で、GECサークルからもそう遠くない。
どんな博物館か知らんが、行ってみよう。
 
 
GECサークルから南下し、坂を登る途中、
戦没者の墓地を見かける。ガイドブックによると日本人も埋葬されてるらしい。

この時はクローズの時間で中には入れず。

 
こんなところまで来て、死ぬ意味がとボルネオでも思ったものであった。
ビルマからベンガル湾まで制圧、インパールの失敗から反転。
「ジャワは極楽、ビルマは地獄。往けば帰れぬニューギニア 。」らしい。
関係ないこと書いたが、
戦略の失敗を戦術で補えると日本人は思ってるきらいがある。
 
坂道を歩きながらそう考えた。 
なんてことはさておき。
 
大戦終結後、インド撤退。
バングラデシュ独立までのことは、独立戦争博物館が詳しい。
その後、いろいろあって現在に至る。
 
 
 
バングラデシュの国家元首は? 政治体制は?
かつて質問されたことがある。
 
大統領。
が大統領制でもなくて1院制の議院内閣制で、実権は首相にある。
 
ウィキペディアの受け売りで答えた。
 
 
小選挙区制で、毎度政権が変わるのは知ってた。
二大政党制でかつてタイで出会ったバングラデシュ人は、
野党側に親しいため、今は国に帰らない(れない)と言ってた。
二大政党の大きな対立軸にインドとの距離感があり、
彼は親インド的な政策を批判していた。
 
 
しかし、博物館を訪ねるまで、
なぜそんな政治体制なのか、二大政党の由来は何か、 
ワタクシまるで、疑問にも思わなかった。 
 
独立後の「いろいろ」については、全く無知であったワタクシは。
博物館を出てから、意味を理解するために、
後でグーグル先生にいろいろ訊いた。
 
この道を歩いて行けばジア博物館がある。らしい。
が、「ジア」の意味さえ知らなかった。
 
 
 
ともかく、スタジアムの近くの博物館を目指していた。
兎に角、南下し、モール越えて、

 
右折。

 
スタジアムまで出る。その向かいにあるはず。

 
これではないみたい。 

 
とても分かりにくい。奥まった道路の先が博物館。 

 
何度か、ガイドブックの地図を指差し、道を訪ねた。
 
 
 
ジアとは、ジアウル・ラフマンという大統領の愛称らしい。
撮影は禁止で荷物預けて見学開始。
日本から来たというと、
スタッフがあの像も日本の援助で建てたと教えてくれた。
バングラデシュの独立承認も最初が日本だし、兎に角日本は好印象である。
 
最初は、独立戦争当時、レジスタンスな軍を指揮するジア氏。
その後、大統領に就任する。
 
外交活動は精力的で、要人とのツーショット多数。
金日成、アラファト、サダム・フセイン、カストロ、モハメド・アリ、etc。
うーん、確かに貴重だが、、
 
随分と偏ったセレクトだ。
反米ってことでいいのかな?
 
また、中東と南アジアに比べ、欧米はシラクのみで極端に少ない。
東アジアはミャンマー(ビルマ)すらなかったはず。なのに金日成。
 
個人的には、
インディラ・ガンディーとの緊張感漂う2ショットが最も印象的だった。
パキスタンとは、写真では良好な関係そうだった。
 
 
当時、第三世界という言葉があったけど、
東西どちらの陣営にも組みしないということか。
そういう時代に、そういうスタンスでバングラデシュはあった。
ま、その分経済的には何かと苦労が絶えないだろう。
 
農地改革に尽力するジア大統領のコーナーもあった。
 
 
順路もそろそろ出口だ。
  
ジア大統領はここで暗殺されたらしい。
博物館の床には血痕も当時のまま保存されていた。
 
 
 
独立後のいろいろを学習しよう、展示の意味が理解出来ていない。
で、
その後のもろもろについて、
最寄りのWIFI可のレストランで涼みながら、おさらい

 
お札に描かれてる建国の父がムジブル・ラフマン。どっちもラフマンで混乱するが、
ムジブとジア、で覚えることにする。
 
東パキスタン当時、ムジブはアワミ連盟を率い、
選挙で圧勝し過ぎて、(西)パキスタンと関係悪化、
ベンガル人というアイデンティティを旗印に独立に向かう。
インドも参戦し、独立戦争に勝つ。
(ここまでは、独立戦争博物館で見学した範囲。)
 
経済は悪く、クーデターでムジブ暗殺。
アワミ連盟は生き残った長女が継ぐ。
 
 
その後、ジア大統領就任。
民族主義党を立ち上げている。
やはり、経済は好転せず、暗殺。
民族主義党は未亡人が引き継ぐ。
 
 
その後エルシャド大統領就任。最後は退陣に追い込まれる。
そのとき民主化へ移行。
 
 
それからはアワミ連盟と民族主義党の二大政党に、
それぞれ、共産党とイスラム党が連立する。
 
アワミ連盟がインド寄りで、民族主義党は距離を置く。
パキスタンから独立ではインドの援助必要で、
その後は隣国に飲み込まれないように、ベンガルの自治を強く掲げたのだろう。
連立の相手も、博物館の写真とも辻褄が合う。
 
 
で、小選挙区だし、政権交代繰り返す。
どっちが勝ってもデモやストが多発し、汚職も絶えない。
 
 
議会制を唱うので、大統領より首相の権限が強い。
大統領はそれまでの名残りとも言えるが、
議会が機能しないときは暫定政府発足という保険の意味もあるか。
 
暫定といえば、
選挙期間中は、中立な選挙管理内閣を置くことになっていたのだが、
与党アワミ連盟はこれを廃止。野党反発。
こないだの総選挙では、野党ボイコット。
政治闘争は伝統的にしばしば暴力に発展。 
 
兎にも角にも、アワミ連盟の政権続く。
親インドで中道左派的な政策を取る。らしい。
 
 
 
タイで会った彼はしばらく帰れないかな。
 
この国にお金入れる人は、人脈が最重要だろうけど、
今、与党でも一度下野したら、無力化するリスクは常に頭の片隅にないといかんね。
 
あとは、インドより先に外資に市場開放するかなぁ。
 
 
ダッカのポスター見る限りでは、
しばらくアワミ連盟の政権続く気がする。

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