拡散することの影響を自覚するなら、ダブルスタンダードは無しだ。

フェイスブック辞めるべきかと迷うことも多い。
「いいね」に対して、それよくないだろう、
そんなケースもままあります。
 
感情の消費の場でもあるSNSで、自覚しているなら、承知の上でやらなきゃ。
 
 
コトの経緯は、↓この記事から。
銃突きつけられても…女性行員、両手広げ客守る
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150726-OYT1T50020.html

 
社会的にそれなりに名の知れた方(以下Aさん)が、「かっこいい」と記事をシェアしました。
 
コメント欄では賛否両論巻き起こります。
それ自体は当然だろうとも思います。
 
そして、一方、
これだけの情報で、行員の方がそのとき正しかったかどうか、
を断定するのは難しいし、また意味あるとも思いません。
 
 
で、コメント欄では、
ある方が行員の行為を「蛮勇」と非難します。
それを受けてAさんは、
 自分のタイムラインはその銀行の多くの行員や、その家族も見てるのに、
 蛮勇と書くのは配慮に欠ける。
的な反応を返します。
 
 
だとするなら、
Aさんの行為は正しくないと私は断定する。
 
問題点は、 
行員の行為を英雄視するマスコミに同調し拡散するという行為である。
(くどいですが、行員の行為そのものとは別。)
 
Aさんは、自分のシェアにそれなりの影響力があることは自覚している。
それは、蛮勇という非難に対する返答からも明らかである。
 
 
私がホントに問題だと断定してるのは、
蛮勇と書くのは配慮欠けることだと分かって、
かっこいと称賛することが配慮に欠けると分からないこと。
 
ダブルスタンダードというか、ちょっとバランスがおかしい。
 
中傷するのだけが配慮が無くて、
(無責任に)英雄視して拡散するのは配慮があるのか?
 
 
オレは行員の行為は非難出来ないけど、Aさんの行為は非難出来るね。
 
 
Aさんのことは面識もないし、なんかの記事で読んだことがあるだけで、
個人的には何の感情もない。
 
ただ、配慮を口にする人が、あの記事「カッコイイ」ってシェアする配慮の無さは、
ありえないんじゃないの。
オレの中では、整合性が取れない。
「蛮勇」という非難よりもっと問題じゃないの。
 
 
こういうことブログで書くのは言論封殺みたいで、好ましいことでもないけれど、
正直、ちょっと不気味。
 
で、
なぜ、バランスが崩れるのか?
感情に近いところは配慮し易いが、
理性的というか社会的なことには同じ尺度で力が働かない。
というのがワタクシの仮説だ。
 
 
皆、感情を消費することに忙しく、
SNSはそれを増幅させるための装置。

いつか理性が麻痺するんじゃないか。
薄気味悪いと疑ってるのは、そういうことで、
一度失った機能は戻って来ない。
 
 
リアルだってそうだけど、ネットの上では特に感情に訴えなければ、人は動かず。
感情の波に乗るのは、お金より強い影響力の行使が出来るらしい。
だけど、両刃の剣度が高すぎなハイレバレッジ。
自給自足に舵を切るなら、フェイスブック辞めるべきかなとも思う今日此の頃。
ただ、連絡取り合うには便利なんだよなぁ。と迷う。
 
 
P.S.
行員の行為を英雄視して流布させることが、何故配慮を欠くのかの説明は省略します。
既に、コメント欄でも指摘されていましたし、
それが説明されなきゃ分からない人に向けて訴えるような話でもないし。
 

質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。
メルマガ 三歩目の不動産投資で海外移住。





無料メルマガ インフォマグ


社会・経済ニュース ブログランキングへ

にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村

カテゴリー: 社会変化, 言論、メディア パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*