3つあり。
ハロー効果は刷り込みで、劣化する。
共感を得やすい「やさしさ」の設定。
顧客至上主義という正義。
ということに思い当たる。
前回↓の続き、
http://sanpome.net/?p=2676
あらすじ
銀行員が強盗から身を挺してお客さんを守ろうとした記事を、
社会的に成功、名声ある人物(以下Aさん)がSNSで「カッコイイ」と拡散。
コメント欄では行員の行動に賛否両論。
行員の行為を「蛮勇」と評したコメントに対し、
Aさんは当事者を傷つける発言とそれを非難。
自分のシェアをその銀行関係者も多く見ていると発言。
前提として、
Aさんは自分がSNSでシェアしたことの影響力については自覚してる。
で、あれば以下の点でおかしい。
a.その行員の行為を「カッコイイ」と煽るのは社会的に配慮に欠ける。
b.その銀行にAさんが近い関係なら、関係者に対する配慮にも欠ける。
c.非難したコメントだけが配慮に欠けるという反論は不公正。
で、私なんかは、cにすぐ反応してしまう。
それヤっておいて、そこ非難するのかよ。って。
盗人猛々しいということわざが、浮かばなくもない。
まあ、そういう人も世の中には居るよなあ、程度の話ではあるのだが、
心に引っかかるので、その理由を探ってみた。
今日は夕方から少し作業があるだけ、時間に余裕のある一日だし。
ハロー効果は刷り込みで、劣化する。
以前読んだ記事ではそれなりにいい事言ってたので、
Aさんに対する失望が背景にはあると思う。
でも、社会的に成功や名声と、
人物の内実には、相関性は無いものだと、常々経験してる。
松下幸之助の名言を有り難がる人に、
一面だけを見て、神格化するべきでないと、意見したこともある。
そんなオレでもガッカリしてしまう。
そんなオレでも儒教的な刷り込みってあるんだろうか。
徳のある人が統治するというのが儒教の基本で、
逆に、成功してる人には徳があるという逆転した認識が生まれると、
昔読んだことがある。
立派に成功して、立派なこと言うのだから、立派なんだろうと、
思っちゃうんだ、これはやっぱりそういう風土で育ったからだろうか。
仏教は因果応報っていうらしい。、
良い報いがあるのは善い行いの結果で、
輪廻というコンセプトを導入しなければ、その理屈は破綻してしまう。
お釈迦様が生まれ変わりについて無記でないというのは多分そういうことだろう。
まあ、刷り込みはあるよね。
お金で成功するのは、お金に聡い何かがあるのだろうけど、
それだけのことだということをつい忘れガチ。
それに、この世は、
そういう発言は不謹慎だと世間で認定されるという学習は出来る場所だけど、
不謹慎かどうかを自分で感じることを磨くとこじゃないし、
空気を適切に読めるかどうかに収斂してくだけで、そもそも実体なんてものは無いんだし。
空気の統治する国では、
どちらの結論につくと得かを察知し、その理由を見つけるやり方の方が、何かと効率いい。
失う機能も大きいけど、自立とか。それもまた適者生存という進化だし。
で、更に、
「カッコイイ」に安易に「イイネ」するような人に取り巻かれもする。
この世は苦しみが絶えないところだなあ。
なまじ、カネがあるために、子供の人生振り回してしまう例を幾つか見聞きして、
http://toyokeizai.net/articles/-/77906
見識はお金では買えないとつくづく思うけど、
ハロー効果はお金に聡くなりたいと思ってるだけの人おも引き寄せる。
どう考えても、
内実が悪くなることはあっても、良くなることは無い仕組み。
共感を得やすい「やさしさ」の設定。
父性的優しさと母性的優しさの別があるらしいと聞いたことがある。
蛮勇とコメントした人は、新聞記事から直接、その行員の行為を叩いたのではない。
あくまで「カッコイイ」へのカウンターとしての発言である。
ソコ忘れちゃいけない。
「カッコイイ」と言った人と、
それを受けて「蛮勇」と言った人、
後者の方が、人間としては優しいし、上質だろう。
今後も銀行強盗のリスクはあるのだから、
トータルで被害が少なくなる方向にとの意識がある。
でも、そういうことを考えるより、
表面的に傷つけるかどうかだけ意識してる方が、
「いいね」は集めやすい。
ああ、そういうところにも成功の秘訣があるのかもしれないね。
どのレベルで配慮するかという。
社会的にだけじゃなく、
関係者なら直接お見舞いの言葉を伝えて、そっとしとくんじゃないの。
もしコメント発表する立場にあるなら、「カッコイイ」とは言わない。
英雄視されちゃうことが当人とって、良きことか?
傷つけなければ正義か?
何事も価格設定は大事。
適当な「安さ」ってあるよね、
安すぎてもマクドナルドみたいに経営傾くし、
ユニクロ高くなったら売れないし。
調度良いって、難しい。
きっとそれを見切った人が勝利者となる世界なんだろう。
顧客至上主義という正義。
でまあ、安い正義といえば、
顧客至上主義を唱える社長に限って無策だったりする。私の経験上は。
適切にサービスを提供することは必要で、
それがダメなお店だって多い。
また価格以上のサービスを提供できれば、競争力は強い。
会社が顧客至上主義でニュースになれば、
その会社に関係してる人なら、手放しで喜ぶかもしれない。
でも、従業員の命とお客の命で、どっちかが重いって言ってるようなものじゃね。
度を越した顧客至上主義は社会を疲弊させるだけ。
無限責任の結果、誰も責任が取れないってのと、似てる。
モノには限度ってものがある。
人命を賭けてまで至上である必要はないよ。警察官や消防士でないのだし。
サービスの範囲を限定しましょうよ、
人命に関わるところはむしろ、マニュアル対応でいいよ。
適度を保つのが難しい程度には狂った世界だけど、
適度であろうとする批判がコメントされるだけ、まだ健全なのかもしれない。
まあ、こんな世界に生まれるのだもの、
オレは業が深いのだろう。解脱したい。
なかなか救いは無いけれど、
自給自足というオプションがあれば、
嫌いなものと繋がるという苦からは自由になれるかもしれない。
期待は感情の借金なのに、また期待している。
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