出荷もピークを越えて、今日は午後休み。
前回の続きでもあり、読んだ漫画↓の感想でも。
コレ読んで、読みました。
「三年勤め学ばんより三年師を選ぶべし」ということわざがあるらしいです。
オウムの判決では裁判長が「師を誤る事ほど人生で不幸はない」と言ったそうです。
まったくのことと思います。
大人になれば選択肢は増えますが、子供だとそうもいかない。
グルり取り囲まれた人生の先輩から、自分の意思とは関係なく割り当てられてしまう。
読んでてね。
オトナの忠告でも、
コドモのときは、意味がハッキリとは理解できてなかったことが、
歳を経てから分かったりします。
そんなこと、ありますか? 私はあります。
そんなとき、どう感じますか?
なんてクズな発想なんだろう、
こんな経験を経験とするのは時間のムダだったな。
反面教師はもう沢山だよ。
まあ、そんなことの多い人生だなって、シミジミしてしまいました。
人生は時間で出来ているのに。。
読み書きそろばん、っていうけれど、
日常会話が問題なくて、
新聞が読めて、手紙やメールのやり取りが普通に出来る。
支障なく買い物が出来る適度の計算能力がある。
ここまでは、必須科目。
あとは一般教養なんだから単位制でコマ数習得したら卒業の資格でいいじゃない。
基本はeラーニングで、公共はネット環境を提供すべきで、
教室で人集めて授業は、ネット操作出来るまでの補助に、
別にオフラインでのサークル活動したい人には、それで単位あげればいいだけで、
最低限の履修については、早く解体した方が世の為、人の為。
社会に出るために有効なリテラシーって、そりゃt沢山あるけど、
そういうものは、義務教育が教えるの得意じゃないから、機能を負わせるには適切じゃないし、
学校って、教育的に好ましい環境でもないとも思う。
あってもいいけど、必要最低限の範囲ってのはちょっと時代に合わない。
産業という時代感、丸出し過ぎる。
人生は時間で出来てるから、
ある程度早い時期に、自分で自分の師匠探すようになれないと出遅れる。
向こうからやって来る幸運ってそうないものだし。
もし、今オレがコドモだったら、
必要なことは自分でスケジュール組んで、
オレの人生邪魔すんなよって、言えるかな奴らに、
あの頃だって多少は言ってたけど、今は情報量が違うからなぁ。
まあ、そんなことを徒然に浮かぶ訳ですが、
興味深いのは、アマゾンレビューで。特に星が少ないもの。
よく分かるんだよな。なるほどと思う。
この主人公みたいな人格嫌いだっていうのもね、
「オレは我慢してフツウに適応してるのに、なにワガママ言ってんだよ」って、
気持ちは分かるけど、イヤイヤ学校行ってる身としてはそう思うね。
「解決策が示されない」っていう主張は象徴的でもあり、よく分かる。
そう、学校へ通えるようになる解決策は示されない。けど、
ここでは、行かなくてもイイっていう解なんだもの。
だって、成人して生活ちゃんと出来てるのだものニートでもなく。
「困るでしょ、学校に来ないと。」って冷たい先生のセリフが作中にあるけど、
そうなんだよな、
学校にゆくなら、学校に行き続けてないと困る。
あのセリフは巧妙に省略されてて、
「(学校に来るなら)学校に来ないと困る」なんだよなぁ。
実質は来なくてイイって言ってるようなもの。
で、行かないんだから、冷たいようで実は正解。
ムリに行ってたら、もっと悲惨な結果が待ってるかもしれない。
主人公が自主的に初めて選んだ師匠が鳥山明で、
その師匠から、絵の技工より、自分の世界があるかどうかが大事と教わる。
まあ、そういうことだよな。
フツウが無理なら、フツウでない戦略と精進がそりゃ当然必要だもん。
フツウだろうが、それ以外だろうが、
生きてゆく苦労の総量はそんなにどうせ変わらない。
運命は性格なんだし。
むしろ大事なことは効果的でラクな苦労をその中で選択することなんだろう。
同じナス科でも、トマトは乾燥に強いけど、ジャガイモは暑さに弱いし。
世の中は適者生存で、
同じ畑でも、日当たりいいとこ悪いとこ、風通し良いとこ悪いとこあるもの。
で、生きやすい環境は特性によるから。
植物は自分の形質を変化させて、適応しようとするけど、
動物は動くもので、そこまで形質は変わらない。
動物なんだもの、動いて自分が生きて行ける環境見つけるしかないんだよね。
生まれた場所で咲くというけれど、タンポポですら種飛ばすのに。
まあ、与えようとして子供振り回すだけの親を持つと大変だなぁ、
ってのと裏腹な話でもあるんだけど。
あ、今は繋がることより、インプットの質的向上の為には、
何と繋がらないかという劣後順位の方がより重要って話書こうと思ったけど、
それはまた別のお話かな。
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