ニックネームは自分で毎回勝手に決めるルール。
前回は「リラ」にした。今回は「エターナル」。
どちらも通貨の名前、広い意味では。
変えた理由は単に直前に出席したセミナーというマイルールに従っただけでなく、
「トルコはこれから大変だから、暴落に賭けてもいーんじゃない」
って、言ってたんだけど、
一ヶ月前なら、先のこと言ってる感あるけど、
今、トルコ大変って指摘しても、そりゃ誰でも。普通過ぎてつまんない。
仮想通貨「エターナル」のセミナーは初歩的なんだけど、
その後の懇親会が素晴らしい。いろんな話が聞けた。
不動産投資でもよく言われるけど、「懇親会には必ず出ろ。」だね。
セミナーだけ聞いて帰った人は得ることあまりなく、大きな損失だろう。
せっかく時間投資するのに。
ま、オフレコなことは書きませんが。
一般論としては、
投機対象としての仮想通貨には、ワタクシ興味ありません。
が、
リアルなカレンシーに代わって、決済機能提供してくれるなら、大いに興味あります。
「エターナル」はフィリピンと日本で開設されてて、
日本からフィリピンへの送金が手数料10円。
出稼ぎなフィリピーナには有り難いサービス。
フィリピンでの苦労話も懇親会で聞いた、
空港に降りた瞬間に効率は諦めようと思うよね。
もっとアンダーテーブル使った方がいいんじゃね、正攻法より。
人は優しいんだけどねぇ。
もし当局に捕捉されないなら、
利ざや稼ぐとかチンケな話じゃない、凄い差額が、、
まゆくゆくは全部記録押さえられるだろうけど、あと数年はどうだろう。
取引所の開設と取り締まりの法規制、そのスピード競争だね。
オレがもしお金儲け狙うなら、
既に中国に進出してるか、もうすぐ進出するところの関連株買う。
人民元が紙になる前に、持ち出せないなら、バーチャルな空間に逃げる。
ただ、そこで仮想通貨の沸騰を買うのでなく、
その運営会社への投資を買うね。
沸騰して、ゲームのルールが当局の規制で変わるリスクから逃れられない。
その会社の株が値上ったところで、売り抜ける方が手堅そう。システムとして。
そんなに長く続かなくていい、
売り抜ける時間くらいは、上昇続けるはず。
でまあ、ニックネームは「エターナル」とした。
仮想通貨の国家への挑戦はいつまで続くかなって、
ちょっと先のこと、言ってる感じするでしょ。
と、自己啓発セミナーに参加。
人によっては気持ち悪いと言われるけど、
体調すっきりするんですよ。
筋肉ほぐして、姿勢矯正されて、呼吸整うと。
頭もすっきりすんだよね。
農作業は腰にクルので参加してみたのだが、
心身共にのメンテナンスを今は意識している。
体の衰えはある程度仕方ないけど、精神の衰えには抗おうと、
大阪では高齢化の話とかもしてた、
病院とか高齢化進んでるトコで、大声で怒鳴ってるお爺さんよく見かける。らしい。
精神的に壊れていくと、社会というか次の世代に負担掛ける。
効率化重視で、拘束具嵌めるような介護施設増やすと、精神壊れた老人大量生産してしまう。
多くの若者が安価な介護ビジネスで働くのでは、あまり健全な社会とは言えない。
精神壊れず、健全な老いを全う出来る社会は、
実は老人の為というより、後の世代への負担軽減でもある。
大事なのは自主自立で、
発展する方でも、しない方でも方法はどちらでもいいのだけど。
ワタクシは高齢者でも生活保護でも、対応してる大家で。
ただ、入居審査は歯を食いしばって。
精神の問題は貧困そのものとは別の問題。お金とは別の治療が必要だもの。
生活保護でも、ちゃんと精神的に自立してる人は居る。
生活保護はプライドが許さないと言っても、ダメな人もいる。
年末に向けて、歯を食いしばって頑張りましょう。
大家として方針のシェアが一番大事、
と仙台のこともフィードバックした。
健全な方向へ導くような思考様式、体の使い方、生活習慣、
そういう矯正、今ぐらいから始めて、むしろ遅いくらいだなって、
自己啓発セミナー終えて、再確認する。明日は我が身っす。
セミナーの内容は書いていいんだか、悪いんだか未許可なので、
あんまり書けないけど、
当初のメニューに拘らず、参加者のメンツに合った献立その場、その場で変化してく。
それだけ引き出しの多い講師である。
今回は親子関係について、
客観視するプロセスを経て、妄執を手放してくメソッドに多く時間割き、劇的でした。
ボクの場合は、相手が死ぬ前に決着つけるべきこと出来といて良かったなと再確認。
負のワダチを自分のところで断ち切るっての、
個人でも、世代レベルでも一緒のことだなぁって、
この弾丸ツアーで再確認しましたね。
最初に自分を自分で満たせる人になることから、
前回、社会起業系と自己承認欲求の話してたのと関係あるんだけど、
自分のグラスに満杯でも、人に注げば、減ってしまう。
水位の変わらない井戸のように、
自分で自分を満たすことが出来れば、注いでも減らない。
自分で満たせないなら、他者に求めなければ埋まらない。
自分で満たせない人は、いつも余裕が無くて、自分で一杯である。逆に。
熱意はあるんだけどね。
社会起業系で三時間のジャイアンリサイタル聞かされて、代わりに得た教訓である。
この話、マーケティング的なことでも一緒でね。
与論島に居て、ブランディング考えるとかまあ100年は遅れてるかなぁ。
と思って読んだ本。
はじめて訪れたときに、堀田社長はカーペットの魅力について二時間以上話をしてくれた。仕事なので話はすべて聞くが、普通はそんな長時間話を聞いてはくれない。カーペットの良さがたくさんあることは理解できるし、堀田社長のなかでカーペットの品位品格の話が最も優先順位が高いのも知っているが、一般のお客さん相手であれば最優先の話はカーペットとアレルギーの関係についてである。 このように、伝えるべきことを整理して正しく伝えるというのは意外と難しい。
自分で一杯過ぎると。他者への客観性を失う。
ポジショニングで大切なのはひとつ。差別化されているかどうか、である。そしてここでも、お客さんの視点を忘れてはいけない。一般のお客さんにとって差別化と感じられることが条件で、業界プロの視点は無視して構わない。
世間が知らないということは「ない」と同義である。
やっぱ、一人電通は次元が違うと改めて思う。
こんな仕事をしているので、私自身がさぞ自己主張が強いと思われがちですが、実はそうではありません。私が何かをやるときの主語は、あくまで「私が」ではありません。「海女が」とか「仏像が」という観点から始まるのです。
今もマスコミに取り上げてもらったりすることがありますが、実は私自身はどうでもいいんです。あくまで「みうらじゅん」という「ない」タレントのマネジメントをやってるつもりでいます。
MJの如くありたいと切に願う。
中川淳さんは、伝統工芸の星野リゾートだと自己紹介する。
村おこしでは、そういう視点でコーチできる人が必要なんだけどね。
ただ受ける本人がそれ、自分に足りないって知らないなら無理。
カーペットの社長の例では、そこの納得感が足りないから、
方針決めても、コーチいない間に覆そうとしたりしちゃう。
うーん、そういう会社はコーチしないほうが良いと思うんだよね。
変わりたいなら、
自分を客観視して、目指すものから何が足りないか自分で悟らないと、
この世は適者生存なんだから、差がつくのは適切なアポトーシスだし。
仙台のジュンク堂で本買って読んだ。
葉っぱの話、カンブリア宮殿でも観たことあるよ。
この本では、組織改革のハードルが主眼かな。
そこまで抵抗されまで、実現する必要はないと思うよ。
で、問題だなと思う点と、それは日本はどんな組織でもって思う事2つあり。
残念なことに地方、特に田舎では「経済」の意識が低いです。講演会も、都会ではお金を払うのが当たり前ですが、田舎では無料が当たり前。チラシ一枚をデザインするのでも「タダでやってくれるんでしょ?」というようにお金を払わないのが当たり前の感覚になってしまっています。
まあ、貨幣経済とは違う、信用を中心としたプリミティブな交換経済、
「ゆい」って言いますよね。
それはそれで興味深いのですが、
問題にソコに資本主義の理論が必要になるときの区別で、
「なにかをやってもらう」ことが当たり前の社会で、ビジネスを軌道に乗せるのは非常に難しいことです。それを改善するためには「商品やサービスには対価が発生する」という基本的な経済感覚を地方の人たちに根付かせる仕組みが必要です。
これはまったくその通りと思うんだけどさ、
「なにかをやってもらう」という意識の強い地域では、どんな施策を打っても絶対に上手くいきません。どうしても「おねだり」をしてしまうようなところが、地方独特の弱点なのです。
それは半分合意。だって、それ日本人の弱点じゃないの、田舎の方が酷くても、
本質的にはねぇ。田舎って日本のことだよ。そんな子会社にも居た。
で、一番違和感感じるのは、
通った料亭は2000軒にも及び、そのおかげで、「痛風」にかかってしまったり、歩行困難になったり、挙句の果てには心筋拘束で倒れてしまったりというハプニングもありましたが。いずれにせよ愚痴をはかず、諦めずに根気よく”現場まわり”を続けてきたことが、現在も葉っぱビジネスを続けられている大きな要因となっています。
抵抗されて、そこまで身を削ることはないよ。
ヤル気あって、ノウハウが足りない地方はもっと探せばいくらでもあるでしょ。
後、足の引っ張り合いだとか、地方の実力者に仁義切るとか、
そんなのは、硬直化した組織ではどこでもあること。
クレイジージャーニーでスラム取材する丸山ゴンザレスがボスに仁義切るのと一緒だよ。
丸ゴンさんほどじゃないけど、
オレだって異な存在としてコミュニティ訪問した経験はあるよ。
まあ、無駄に命落とす必要はない。それだけは断言できる。経験上。
宿やレストランのように、
村おこし協力隊も行ってみた結果をレビューするサイトあればいいのに。
積極的に結束して頑張る地域、
形式だけで言葉と行動が一致しない組織、
いやいやでまるでヤル気がないところ、
地域によって様々だろう。
星野リゾートほど有能でなくてもいいけれど、
熱意や能力が、それが報われる地域とマッチングする、
村おこしの食べログ、今一番必要なんじゃないかな。
無私も有効に使わなくちゃ。
今回の弾丸ツアーは、
与論島からフェリーで那覇、一泊。
翌、午後には成田着。仮想通貨のセミナーと懇親会に参加。
その後、有楽町に出て、
みうらじゅんの新刊買って、
Perfumeの映画観る。
アミューズ会長以外はエゴが無い。奇蹟のような幸せの実現。
粛々とプロなアスリートって、与えるだけの準備が出来てることだと分かる。
で翌日は、一日フルの自己啓発セミナー。
夜行バスで仙台へ、よろしくお願いします。とミッションコンプリート。
寒いので夜は大阪へ飛ぶ。難波で寝るだけチックイン。
朝、友人と会い、午後の便で那覇。
で、今、自分で労をねぎらっております。
居酒屋さんのテレビでは、
満州開拓団でソ連に抑留されて、
その後北朝鮮で死亡した今帰仁村の人の足取り追ってました。
寒そうっす。
最近難民のこと書きましたが、
ガバナンスの崩壊のリアリティって日本にもっとあるべきと思う。
ま、それは別のお話、
今回のツアーの収穫ありで、
無私は自分の好きなトコロで、そして普通はつまらない。
私の仕事は「あったらいいな」という気持ちで始まるのです。自分が「あったら絶対買う」と思えるかどうか。難しい会社の事情や、それがヒットするかどうかはなどは、乱暴な言い方ですがどうでもいいのです。もちろん、今売れてるもの、注目されているものは、すでに「ある仕事」なのでそこには手を出しません。
さらに、最先端は一周先をゆく。極めて高度です。
私は根が真面目で、人一倍心配性なのです。そんなとき、私が必ず唱える呪文があります。
「そこがいいんじゃない!」
人はよくわからないものに対して、すぐに、「つまらない」と反応しがちです。しかしそれはでは「普通」じゃないですか。「ない仕事」を世に送り出すには「普通」では成立しません。「つまらないかもな」と思ったら「つま・・・」くらいのタイミングで、「そこがいいんじゃない!」と全肯定し、「普通」な自分を否定していく。そうすることで、より面白く感じられ、自信が湧いてくるのです。
映画館で、鑑賞後のエレベーターあたりですぐに「つまんなかったね」と、一言で片付ける人がいます。それは才能と経験がない人です。映画は、面白いところを自分で見つけるものなのです。
私は「そこがいいんじゃない!」と、『シベリア超特急』に夢中になりました。この怪作を多くの人に知ってもらいたい。
そのとき必要だったのは、広まるための言葉です。そこで私は『シベ超』と約めて、映画雑誌で紹介しました。すると、途端に「違うもの」になりました。水野さんも最初の頃は、作品が台無しになるとこの略語が不本意だったそうです。
しかし、一度台無しになるからこそ広まるのです。
「おねだり」から「一人電通」まで、恐ろしいほど残酷な分布が、この世にはあります。
適切なマッチングがなによりと、つくづく思います。
実体なんて幻想で、あるのは関係性だけなのだから。
MJは更に説きます。
そもそも「なかった仕事」を「ある」ように見せるのは、それこそ般若心経の「空」の考え方です。
仮想通貨って言葉、馬から落馬ですよね。
通貨なんてみんなバーチャルなのに。
一ヶ月前にトルコの話をして、今。
なんでそんなことが予め分かる?って訊かれたので、未来人だからと答える。
それはGiftなんだねって言われたけど、カサンドラの呪い。
通貨への依存減らしたいから、自給自足にトライと言っても、
理解されないこと多し。
ま、12月どう過ごせるかだな。
ないをあるに変える人と、自分で一杯な日々の差は結果大きい。
偶像はやはり神々しい。
質問コーナー、お問い合わせは、sanpome.net@gmail.com まで。
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