近状の幸福

お久しぶりです。
仕事一段落しました。 なんか書くと、書くにはちょっと適切でないことまで書きそうで、自粛しておりました。
今後、どうすべきかは現在思案中です。
 
折角一区切りついたので、何か書きます。
 
大体考えてることはこういうことです。

死ぬまで生きるに充分な資産あったとしても、孤独で、生きがいもないままなのは、多分辛くて耐えられないと思う。
 
貨幣経済上で資産形成だけでは、幸福は難しい。
人間(じんかん)というものはそういうものではないらしい。
金融資本、人的資本、社会資本のバランスの中で、何に幸福を感じるかのチョイスをしなくちゃ。
で、そこには二律背反的な、イイことばかりは行かない、そのことわりが記されています。
 
お金待ちが孤独なのも必然だし、マイルドヤンキーが仲間大事なのも理由があります。
 
 
ワタクシ、山奥に居て、やっぱ経済が回らないと人が貧しい。(地元より流入に問題在る気が、、)
市場経済によって、価値の循環が豊かに起こるって大事だなと、山を降り東京に向かいました。
 
 
仕事することによって、やりがいという「人的資本」を得ようと安易に考えたかもしれません。
いや、孤独に負けたので、仲間みたいな「社会資本」を求めたのかもしれません。
 
でまあ、紆余曲折あって、9ヶ月。
仕事にも一区切りつけました。
 
つけるべき理由もあったのですが、ちょと書きにくいです。
言えるのは結果的に、
時間をお金に変えて、金融資本は形成できるのですが、
よきチームとか、やりがいとか、とは仕事ってやっぱ別ものだなあって感想です。
 
 
  
ただ、このままじゃ、山を降りた甲斐がないので。
仕事通じて出来ることって、まだあるんじゃないかと、もう一あがきをこれから狙ってみます。
東京オリンピックまではあがいてみようかと思ってます。
 
 
仕事してて、昔何ヤッてたかいろいろ蘇りました。
プログラミングやプロジェクトマネージメントについても実践勘取り戻しました。
 
ああ、ダメなプロジェクトのレスキューする仕事、オレに向いてたのよくわかりました。
組織のしがらみないので遠慮なく、かつ自分の能力発揮できる。
それはロクな味方いないので、精神的にキツイのですが、
フリーランスとしてお金もらうに分かりやすかった意味あります。
 
 
 
でも、今回やってみてどうせ時間投入するなら、あと5倍は価値の提供できそうな気がします。
その為には、ダメのシュートみたいなことでは、追いつかない。
マイナスを消す為に自分の能力使うのでは、限界が目の前すぎる。
いいチーム編成で、いいサービス提供でないと、5倍の価値は産めないだろうなって。
 
働くためにはもう、限られた時間なので、
昔と同じことやって、時間をお金に変えてるようでは成長ないなと。
 
 
直接的に参加を継続するかどうかの理由は別にあったのですが、
昔とは違うステージで仕事しないと、タダのラットレース過ぎてダメってとこに今居ます。
 
 
 
ま、それはさておき、

「そこそこの会社を素晴らしい価格で買うのでなく、素晴らしい会社をそこそこの価格で買う。」
働いたお陰で、その意味、今は分かります。
 
組織と人材の関係とか、提供するサービスとか、大変勉強になりました。
そういうことも糧にして、東京オリンピック後は良い買い物。
 
 
そのときは良い会社を買いたい。
テレビの半沢直樹の最初に出てくる町工場みたいな。
あんな優良企業、三菱銀行が最後に救済するなんて、絵空事にも程がありますが、
100年に一度の大相場はバブル崩壊の周期でやって来るかもしれませんから。
 
まあ、良いものに投資するのが最後のご奉公かと、そんな予感もあります。
良い経験が出来たので、大事にしたい。
 
多分、自分の時間を納得ゆくリターンに対して投じることが出来たと、
確信したときは、やっと幸福度に変換出来るのではないかと、そんな予測をしてます。
ではまた。
 
 
 
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