「ラッキー」 ハリー・ディーン・スタントンという幸運

「パリ、テキサス」がどういう位置づけの映画かによる。観る人にとって、
観終わった後の感慨が全く違うと想像される。
「パリ、テキサス」を観てなかったり、感銘を受けなかった人がどう感じるかは私には分からない。
 
あのトラビスはこういう風に幸福に送られて逝ったんだ。
それをこういう映画で体感できた至福に浸りました。
 
「パリ、テキサス」が好きだった人は、上映終わる前に是非。

  
   
  
ああ、これだけ書いたらもう、何も言うことがない。
  
 
仕方ないので、ワタクシ事で書くと。
今は株の勉強がメインの生活をしているのですが、
たまにIT関係の仕事をしたりしてます。
 
一方的な都合だけ書くと、
それはそれで、勉強になることがあったり、
働くことの快楽とたまに感じたり、
そういうことも大きいのですが、デメリットもあり。

デメリットは脳に悪いと思う環境ですね。
そういう考え方の行動原理で生きてることに影響受けるのは、
オレ個人にとってはマイナスなんだよなー。
 
仕事なんだから、ヤるべきことは当然なんだけど、
その意志決定や、段取りだったら、オレ死んでしまうよ。
取れるリスクしか取れないし、逆に取るべきときには取りに行かねば。
 
必要な訓練が身に付いてない(ように見える)環境は、脳にとってマイナスだなあ。
ま、そういうことは良くあることで、イイことだけ一方的にないものです。 
 
 
でまあ、今となっては、
染まらずに一人で立っていることは、そんなに難しいことじゃない。
 
が、「一人と孤独は違う」と言い切って、実際にこんな風に愛されて送られる。
これは奇跡的な幸運だと思うのですよ。
 
他者と関わることは、所詮ガラス越しの認知でしかない。
何処へともなく去っていく。
生きることの荒涼を体現するような役の人が、こんな風に死ねるんだ。

もうムリに愛さなくて、よくなったんだ。
 
なんというか、需給というか、 
ムリに売らないから、丁度良く得られた。

かくありたいと思うものです。 

 
セリフ的には「空あり」みたいこと言うんですが、
ま、そんなことはどうでもいいです。
 
ああいう人がこんな風に歳とって、そして送られて逝くなら、もう充分です。
 

  
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