善人でない人を善に描く。「ねこ物件」「独立愚連隊」 (日本人が)反応しない悪を気づかせない技術

反応させない技術があることを知りました。

今週観た2作は、主人公それなりにクズなのですが、
そのクズっぷりに反応させないよう、どちらも演出されてます。
 
現実世界では、 
メディアだけでなく、都合悪い悪だけスルーさせる技術使う人も多い。
そういうことも、早めに知って、手を切っておけばよかったなと、
学ぶことの多い今月です。

お盆です。
商いは閑散としてるはずの季節。ですが、
株価は抜けて来ました。
どうやら、
三山を形成して終わりとはならないようです。
年初来高値をチャレンジするかもしれません。
”この程度で反応して売らない” が出来るか?
私の胆力を試されそうな八月です。
 
八月ということもあり、岡本喜八監督の名作観てきました。
今の目で観ると反戦映画とするには疑問です。
ダメな日本の巨大組織を描いていますが、
ブラックで腐敗してる企業は、石を投げれば当たる程度には見つけられる昨今、
 
日本の組織って、相変わらずだな。むしろ旧軍の方がまだマシ。
 
思考停止して抽象的な戦争に反対して学習しないより、
日本の根深い体質に視点合わせた方が健全だと、
現代人としての感触を得ます。
 
 
 
「独立愚連隊」
もう今では無理だろうなというリアリティ。
セット、衣装、言葉、思考、etc当時のリアルを再現(と感じさせる)。
荒唐無稽ぎみな娯楽作なのに、
コンプライアンス的なことを除いても、再現はもう無理だろうな。
現代的な解釈がセリフに現れしまう。
例えば、
峠 最後のサムライ」の冒頭、
 東出昌大演じる徳川慶喜は大政奉還にあたり、
  ”国民”、”責任”などという西洋の翻訳語を使うのかな?
 近代を学んだ人が使う単語とそれ以外に、もうちょっと使い分けの配慮ないと、
 設定が台無しじゃないかな。
それがノイズとして残り、観ててもずっと乗れない。
 
特に、敗色濃厚に向かう戦中で従軍慰安婦まで描くのは、
幕末より遥かにハードル高い。
様々な横槍をクリアしなきゃならないだろう。
 
ま、それはともかく、
リアリティを損なう雑味がないので、物語に集中しやすい。
 何者? どういう関係? 
という謎で興味を引っ張り、テンポ良く場面が展開するに従い謎が解ける。
その繰り返しで最後まで飽きさせない。
 
役者さんがすべて達者というわけでもないのに、
セリフが上手い。
何で現在は、説明セリフが横行する世の中になってしまったのだろうか、
そんな不自然さは微塵も感じさせず、物語に没頭させる。
 
馬と荒野なので、西部劇っぽいけど、
仇討ちだから、戦争もの+時代劇という印象が強く、
ホントは、
ヒロイン雪村いずみ、鶴田浩二の馬賊は省くことは可能。
むしろ個人的には、削いでノワール味増しの方が好みだけど、
それじゃ娯楽作として華が無い。
サービス精神を無理なく発揮するのも家督の力量でしたね。
  
 
とはいえ、 
 ヒロインは主人公の結婚を約束した恋人で、
 主人公は死んだ弟の仇討ちのため、脱走兵となり、恋人を捨てる。
 捨てられたヒロインは従軍慰安婦に身を落とすことになる。
 彼女は死んでしまいます。一つも報われません。
 
”死者には手厚いが、生きてる者には苛烈な日本軍”
という表現を見かけた記憶がありますが、
この主人公で痛快娯楽劇なら、旧軍批判する資格は無い。
 
   
それはさておき、
この映画では悪役の中丸忠雄の造形が秀逸。
射撃はヘタなマキャベリスト。見事なもんです。
 
悪事は時代劇の悪代官同様で記号。
僻地でどうやって私腹を肥やしたか手段は不明です。
嫉妬深い日本人に悪役と印象付けるには充分です。
更に、
独立愚連隊を見殺しにして、独自の判断で撤退する様は無慈悲に映ります。
ただ俯瞰して見れば、
これが日本兵を一番多く祖国に引き上げさせた作戦だろうと思われます。
最大多数の幸福を実現する人は得てして、日本人には悪人に映る。
感情に訴えんとね。
 
恋人も職務も捨てて、その仇討を最優先する人物に私は好感は抱けません。
一方で、
戦地のマキャベリストは口封じのため主人公の弟を殺しますが、
兵力の損害を最小限に撤退戦を指揮した方がよっぽど善行に見えます。
仇討ちは他の誰かの為でなく、誰の命も救っていない。
私念のため他者を犠牲にしているのは主人公の方。
この主人公に拍手喝采で反戦とは笑止です。
 
  
まあ、そんな風に観ては、
娯楽作として楽しめなくなってしまうのですが、
メディアと印象操作、特に映画は相性が良いので、感慨深いです。
多分、
学習できる遺伝子とそうでない遺伝子が存在するのでしょう。
 
 
 
「ねこ物件」
TVドラマが先にあるそうですが、未観です。
内容理解に特に支障はありません。
 
ペット可から更に進んで、猫付き物件。
旅館はあるそうですが、シェアハウスでというアイデアに惹かれました。
 
 
長井短の独特の佇まいは魅力的ですが、
主役の演技は、私には微妙でした。
 
猫は充分可愛く描かれてますが、ファンタジーが過ぎるかな。
充分訓練されているので大人しい。ちょっと弄り過ぎな気がします。
現実だったら、逃げるでしょう。
 
爪研いだり、マーキングしたりと、物件オーナーの悩みは描かれず、
猫砂さえ登場しません。いわんや避妊おや。
   
嫌なことは観ない心地よさを追求するコンセプトなんだと、
早めに納得させてくれます。潔い。

脱力して、物語への違和感さえスルーできれば、心地よい時間を過ごせます。
悪い出来では決してないです。 
気にいるかどうかは好みでしょう。 
 
 
お話は、まあどうでもいいのですが、
無理にエピソード作りにゆかなくてもよいかと観てました。
行動と動機が終始整合性なく、
 なぜ、その結論に至るの?
思考回路が理解できませんでした。
無駄に奇抜なことしなくても日常系でいいのにと、残念。
 

主人公は遺産を継いで、シェアハウスを営むオーナー。
入居者にはルールの厳守を要求しますが、
(大家的には、
 私念で入居審査をするのは如何なものか?
 そんなだから、退去を軽く考える。
 )
彼は自分がバイトに出ると、そこではサボります。
他者には厳しく、自分に甘い。 
劇中、
不幸な過去が性格に影響してるという免罪符的な設定があるらしいですが、
別に、社会生活が困難なほど障害があるようには見えません。
シェアハウスの管理者としてはテキパキと業務をこなしています。
 
先週も、視線恐怖症を克服した人と会話しましたが、
趣味のサッカーでは、アイコンタクトも出来るそうです。
乙武さんが、サッカーも肉体労働も困難といのとは違い、
無意識には、恣意的な選択が出来てて、優先事項を優先している。
優先順位がテイカーなら、
遠慮は要らない。クソ野郎認定で充分だなと学びました。
 
映画の中では、主人公は良い人扱いですが、
クロちゃんを褒めるバラエティ彷彿とさせます。

 
善人と善人ズラは別物だよね。
雰囲気と演出に流されてはいけない。
 
人を見極めるって難しいけど、レベル上げなきゃな。
映画の主張とは無関係な感想も得てしまいました。
 
ま、 
善い人でないのに、善い人ばかり風。
テイカーに対する油断って、現実にはありますからね。
猫を安心させる道具として使うのは、上級者感あります。
  
 
関係ないけど、ポーズで満足を得ようとするのは辞めようと思う。


政教分離の問題にメスが入るのは良いことだし、
ズブズブだったろうとも想像する。
が、
 
死をも恐れず豊中の産廃へ取材した様子が見えないので、
同様に、
統一教会に命がけで取材するジャーナリストは期待出来そうにない。
トカゲの尻尾の役人の口封じ、それが関の山だろう。
  
過去には、
対宗教に体を張り命を落とす弁護士と、
テロリスト側に便宜図った放送局はあったので、
正義の弁護士さん達には、敵味方を見極めてもらいたい。
 
正義と正義ズラは別物。 
丁度いい嫉妬を利用した丁度いい正義を正義だとは思わない、
ポーズのために犠牲になることはない。
 
まあ、
本当に岸信介以来の闇を、反権力のポーズでなく暴いてくれるなら、
それは理想だけど、
期待できないものに期待しない見極めは最重要と思う次第。

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