生命の営みを描く「かぐや姫の物語」「こちらあみ子」完成度に不満あれど、ライトな肯定も心地好し。

宿命と生存戦略。ふと考えざるを得ないこともあります。

自分に適さないものは、要らない。
 もっと歯を食いしばって、断ればよかった。
 種が違うので、交わっても無駄だった。
宿題に取り組んで、ようやく意味が分かった今日このごろです。
 
今週はかつて、見逃してしまった映画を選択。
ちょっと似てる2本。どちらも丁寧に生命の営みを描いていました。
宿命がテーマの重たい作品かと思いきや、
予想よりは深くなく、ライトな生き物バンザイでした。
 
 
残暑厳しいですが、湿度は若干秋めいてきました。
季節感のズレがあるのでしょうか、
お盆なのにバンドウォークして、来週は年初来高値を試す勢いです。
欲に負けない売らない。
むしろ出遅れてる保有銘柄は買い増すくらいでいたい。
 
 
「かぐや姫の物語」
”凄いけど、面白くない” という一般的評価が定着してる本作。
うーん。
”罪と罰の物語” にしたのは鈴木Pの悪手だったかな。
結果論ではあるが、どうせ大コケするんだし、
素直に生命の営みをテーマしておけば良かったのに。
 
高畑勲の罪は、
 納期と予算をコントロールしなかった。専業の監督なのに、
その罰は、
 時間掛け過ぎてテーマがブレて、品質が落ちてしまったこと。
 
  
当時どう解釈されたのだろうか? 
と、検索してみると、
 岡田斗司夫の切り抜き多数。が正直、この解説をありがたがるのは疑問。
 宇多丸評の方が的確と思うが、手放しでは褒められない。ポリコレも食傷。
 他はシバターの素直な感想くらい。

庵野秀明のようなプロデューサ兼経営者でもなく、
宮崎駿のような自ら絵を描く職人でもなかった。
 

監督はOKかNGか決めるだけの仕事。
わがままを貫くところと、妥協するところ、判断を誤ったのではないか。
わがままが過ぎて、最後飲んではいけない肝心のところを飲んでしまった。
 
 
・岡田斗司夫の解説
 ”罪と罰” に全乗りしてるのは、如何なものか?
  作ってる途中で、テーマが”罪と罰”離れてゆくが、
  鈴木Pが最後は”罪と罰”で押し切った。
  高畑監督は鈴木Pの方針に難色を示したが、
  最後は折れて、そのための取り直しにも応じた。らしい。
 テーマはその分ブレてしまって、ギクシャクしている。
 それスルーして、苦諦の解説だけで終わらすのはいただけない。

 監督の教養レベルに言及しディテールの確かさを解説するのは適切とは思うし、
 「犬王」のようなやっつけ感と一線を画すのは大事。
 でも、枝葉は枝葉。
  
 男がクズなのは、特殊能力のセイとか、どーでもいいよ。
  色香に迷うのも、トロフィーワイフとして扱うのも人の常で、
  人間なんて、そんなもの。
  ここは人間社会の醜さを描くパートなんだし、
  特殊能力があろうがなかろうが、描く内容は一緒。
 ピンチの際にはザ・ワールド的な能力で難を逃れると理解してれば充分。

 
・宇多丸評
 鈴木Pのコピーに惑わされず、生命の肯定の弁証法と評する。
 こちらの方が無理の無い解釈。私は岡田斗司夫評より優れていると判定する。
 ただリベラル界隈的なところは、
 「火垂るの墓」は反戦映画というレベルに落ちてしまうので、止めておいた方が。
 それはさておき、
  ”罪と罰”に寄せたために、かぐや姫のセリフが薄っぺらくて説教くさい。
  「風立ちぬ」なら人間の業、クリエータの業まで丸ごと肯定できるけど、
  かぐや姫は病も老も経験せず、何不自由なく生活し、この世を去る。
 大絶賛はできないなぁ。
 
 
・シバターの素直な感想
 テーマが分からない。ようになってしまったのだもの。当然の感想。
 どんなプロジェクトでも時間掛け過ぎると、目的が変わってしまう。
 コントロールに失敗するとツギハギが目立ってしまう。
 それと、
 綺麗なものだけを拾っての肯定は、つまみ食いに見えて納得感がない。
 醜悪な面も含めての受容はもっと熱量が必要で、
 確かに、どんなに凄くても、監督専任の限界も感じてしまう。
 もっともな感想だと思う。
 
 
そもそも、罪と罰の関係が成立してるのか?
 ”地球に興味を持ったのが罪で、地球に生まれたのが罰” おかしくないか?
 如何に地上が穢れていようと、願いが叶うことを罰とは言わない。
 丸山ゴンザレスがスラム街を取材するようなもの。

この世に生まれることの罰は二系統あって、
 ・キリスト教系の原罪
 ・仏教系の輪廻とカルマ
ここでは、ラストのお迎えが完全に仏教系なので、
解脱に到るまでは六道輪廻を彷徨い続けねばならない、永遠とも言える苦しみ。
月の世界はニルバーナとして描かれている。
 
この苦しみが罰だというなら、ループ感がないと。
罪だというなら、前世の因縁とか持ち出さねばならない。
”罪と罰”だけで、かぐや姫の物語を説明するのは、強引過ぎたね。
 
かぐや姫伝説のいくつかには、
 何度も地球に生まれ変わるループ説と、
 地球人の種を宿す罪人説も、
あるらしい。

ただし、高畑版のかぐや姫では、
罪というより、そういうお役の家系という印象を受ける。
 代々、地球に産み落とされ、
 地球人の子供を身ごもり月に帰る、
 その子はまた地球に生まれ、
 以下繰り返し。
 
別に罰じゃなくても、別れが辛い程度のことはあるよ。
仕事なんだから。
 
宿命は運命とは違って、選択肢の無い生まれつきのこと。
 
かぐや姫の家系はカースト制っぽく、職業の自由はない。
それを永遠に繰り返すなら、
遺伝子のリレーそのもの。
輪廻転生になぞらえることも違和感なく。
 
この作品、一貫して描かれているのは、生命の営み。生より性。
かぐや姫は高貴な俗物を拒否し、幼なじみを選んだ。
妊娠したらミッションコンプリート。帰るのは、最初から決まっている。
お役を果たしたら、記憶は消去され、もう生まれ変わることはない。 
 
ただただ、生命の営みを肯定的に描いていれば、それで良かったのに。
個人的には、ちょっと長すぎるけど、面白く鑑賞しましたよ。
が、安くて説教くさいセリフがところどころ、それは残念でした。
 
高畑勲は妥協すべきところでこだわって、大事なところがブレた。
ま、因果応報だね。
 
 
 
「こちらあみ子」
見逃してましたが、運良くスクリーンで観ること叶いました。
演出が全て上手いとは思えなかったので、大絶賛には至りません。
 もっとシャープでいいのに、
 小役の長セリフは是枝監督のように神経使うもんだな。
ところどころ不満はあります。
新人監督に厳しすぎるとも思うのですが、料金一緒だし。
 
保健室のところは強引過ぎると思うのですが、
他は画作りもお話も満足しました。
 
人は他者とわかり会えない存在という、
この世の苦しみの描き方は、
高畑勲には無理なんじゃないかと思えるほど。
   
 
小学生の頃は特に、私もリアルあみ子だっただろうし、
両親の無関心さ、いっぱいいっぱい感もあんな感じでしたか。

(元)親もアレな人たちだったし、
その遺伝子ダブルで引き継いでいるんだから、宿命というもの。
  
お陰で、我が事として観ることが出来ました。
 
かぐや姫の反転みたいな話。
こちらも生き物の営みを丁寧に撮ります。
弱肉強食味がやや強いのは、高畑勲より好感です。
 
劇中、
継母だったり、父親はクズでも合理的だったりと、
むしろ救いだと思える部分もありますが、  
そうじゃないと思える人は、愛情受けて育ったんでしょうね。
  
誰にも頼ろうとせず、ダメを放置する井浦新の父親と、
子供として一緒に暮らすのはやっぱキツイ。
悲劇的な共倒れになる前に、身寄りを頼る決断してくれたのは、
ホッとしました。
 
これでのびのび暮らせるなら、将来は分からないけど、
しばらくのモラトリアム。
とりあえず、当面二次的な精神的ダメージは避けられる。
そのあいだに、
生存できる環境を見つけられるといいね。
 
発達障害でも、狡猾な大人にならないでサバイブできたらいいね。

 

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