最近、北川先生にハマってます。
↓今読んでます。
他者に対する恐怖心を克服したいなと、思うに至った次第。
ダメージくらう可能性はもともとある存在と関わるのだから、怖いのは当然。
ただ、怖さの正体が分析出来てないと、怖さが増幅して、パニックになってしまう。
数年前は、無能な人と関わって、慌ててしまった苦い思い出があります。
今は、
最悪の被害を想定しつつ、
呼吸を整えること。
くらいは出来るかな。
他者が怖いのは当たり前、怒りが発生することはある。
怒らない努力は無駄。対処が大事。
個人的には、
罪悪感に負けず勇気出し、感情抜きで反撃するのも課題です。
それはさておき、
恐怖演出について考えさせられた先週。
「女神の継承」
これじゃ怖がれない。演出に萎えてしまいました。
節操ない劣化コピーに呆れ、途中退席しました。
とにかく、正体が分かってるものは怖くない。予測可能すぎ。
サプライズも仕掛けてくるんですけどね、全部テレフォンパンチで驚けない。
なまじタランティーノの後に観たのが悪かったか、佐山聡の後のジョージ高野みたい、
凄いのかもしれないが、もっさり動くので不満が募る。
比べてしまう。もっとキレキレの脳内で再生されてしまう。
モキュメンタリーというんですね。ブレアウィッチプロジェクトみたいなやつ。
低予算の免罪符じゃねえんだよ。
やるなら、フェイクなドキュメンタリーとして成立させろよ。
不自然に驚かし要素いれるけど、違和感しか残らない。
ナ・ホンジンはアイデアだけ出して、リモート会議しかしてないな。
とだんだんと呆れてゆくのですが、
夜中エクソシスト的に大暴れして、同居人は快眠で翌朝気づく、
その様子を監視カメラ設置して捉えるという実話テイストは、
さすがに無理で、ギブアップしました。
サム・ライミみたいな驚かしでゆくなら、モキュメンタリーは邪魔。
どっちかは成立させてほしい。
想像ですが、
冒頭モキュメンタリーで、観客を掴み、
ミスリードで揺さぶり、
ホラー表現で畳み掛ける。
という作戦でしょうがZOOMじゃ、そこまでの指示が限界でした。
演出が凡庸なくせに長くしつこいので、苦痛でした。
役者さんは頑張ってますが、演出に工夫なく劣化コピー。
手垢のついた、さんざん擦られて摩耗したシーンばかり。
ナ・ホンジンのことだから、無駄にゾンビとか散らかったまま終わるだろうな。
だめだ、興味が続かない。
怖さの種類が結局グロな驚かしだけというのも飽きる。
知らない昔に戻れない。
恐怖というのは、自分の心理が生み出し、増幅させるものですね。
呼吸、姿勢、脱力。
緊張が緩んでゆく体感を得ました。
大衆受けするかどうか分からないけど、
あれだったら、
イサーン地方に伝わるシャーマニズムの継承問題で、
物語一本撮りきって欲しかったな。
狩野英孝だって神主なんだし、なかなか現代的問題でもあり。
サプライズの演出力も見習ってほしい。
「裁かるゝジャンヌ」
なんか凄いものを観ました。
カール・テオドア・ドライヤー特集やってて、
評判見たら一番純度の高そうなのセレクト。
「女神の継承」ではレビューに的確な指摘があったのに、
未読で鑑賞。油断した。同じ轍は踏まん。
レビュー確認してから鑑賞。
これは流石に、歴史の予習はしていったほうがよいね。
最低限の知識ないと、何の話か分からないのは当然。
映画は、ジャンヌ・ダルクが捕虜になってから、審問に架けられるところから始まる。
同じ題材の後世のと違い、戦闘の見せ場は無い。
エンディングはネタバレもクソもなく、火あぶりだと観る人は知ってる。
音楽は、うるさ過ぎる。
それでも、画面の迫力に圧倒されっぱなしでした。
正方形の画面に、どアップばかりで話が進む。にも関わらず、飽きない。
緊迫した尋問の罠と、揺るがぬ回答。
ゲスな嘲りと、高潔な精神。
ストーリーは既知で起伏も無いのに、見入ってしまう。
いろいろ考えさせられましたね。
シャルル7世の冷淡ぶりは如何なものかとは思いますが、
イングランドも殺してしまっては、神格化されてしまう。
これじゃ、撤退することにいずれなるよ。結果論だけど、
麻原彰晃ですら、それが危惧されたのに。
原題が”ジャンヌ・ダルクのパッション”で、
明らかに、開祖の受難になぞらえている。
戦慄するのは、
同じキリスト教徒が、救世主を十字架に架けたローマと同じことをしている。
人間というものの本性を再確認させられます。
公平さは体裁だけの結論ありきの狡猾。
先日、私はZOOMで東京で塾経営者と名乗る関西人に出くわしました。
卑怯な真似ばかりする輩でした。
ああ、教室でもそういうテクニック使って、支配しようとしてるんだな。
罪悪感に訴える第三者ズラ、公平を装う。
卑怯なのは、対価を払わず成果を得ようとするから、根性が泥棒。
元母もよく同じテクニック使ってました。
人間って恐ろしいね。
映画観て、小学校低学年の教室思い出します。
バカで卑劣な人間でしたね。
屈せず自分を貫いたことで、死しても本願は成就した。
純真と人間としての葛藤。これもゴルゴダに至るプロセスになぞらえている。
一方で、テロリストも英雄も紙一重なのも伝わります。
信じるって、幸せには成れないが救われる。
100年近く前のモノクロサイレント映画は極めて今日的な題材。
恐怖の正体を知り、勇気もって生きてゆこうと思った次第。