世界を変えるのは若き才能。
前回、抜擢について、凡百の現実ベースで語るのは適切でないと、
戦後民主主義みたいな結果平等的意見には違和感を覚えたものです。
むしろ映画ファンなら、
若き才能が低予算で世界を変えてしまった作品を、
あれこれ思い出すのではないでしょうか。
手弁当で映画制作、ようやく幸運にも資金提供者に巡り会えた。
あの監督の出世作も、あの奇才が世に認められたのも、、
ポンポさん観てて思い出さないのは難しい。
そこで、若き才能が低予算でも世界を変えた例、探して観ました。
90分ジャストの映画。才能といえば↓。
ジャームッシュ出現後、
インディペンデントで、アート系の映画の制作が商業ベースで可能になった。
ハリウッド的なハッピーエンドってダサいし、ありきたりって風潮ありました。
少なくとも私の中では。
今、有楽町ヒューマントラストでジャームッシュ特集やってるそうです。
東京に住んでいると、単館系でマイナーな映画見れるのは、この作品のおかげ。
ジャームッシュに資金提供者が現れなければ、
せっかく首都に居ても、TOHOシネマズでメジャー作品しか観れないかも。
まあ、当時高校生にはちょっと、敷居が高かったジャームッシュ。
背伸びして、やっと届くか届かないか。
封切り当時は、そんな存在でした。
ちょっと無理気味で敬遠してました。
さらに黒澤明より小津安二郎と言う方がオシャレ。
そんな風潮ありました。私の中では。
劇中で、明確に小津安二郎オマージュ語られます。
今の目で見れば、まんま小津安二郎で、
日本の情緒を描く代わりに、アメリカの乾いた空気伝えてます。
冒頭、ヒロインが一瞬東洋人に見えました。
ハンガリー人だから?
遺伝子の話ではなく、まんま、原節子。
町山さん曰く、
日本人は小津安二郎の素養越しに観るから、受け入れられる。
アメリカでは厳しく、ジャームッシュでも主戦場はヨーロッパだそうです。
タルコフスキーも、ヴェンダースも小津安二郎フリークで、
退屈気味なことするのですが、
中でも、
ジャームッシュがハマったときはセンス抜群。
画が流れるように見事なのと、
タイミングが絶妙で、だから退屈しない。
ストーリーで流れを作ろうとはしてないようですが、
絵巻物のように画面は流れてゆく。
淡々とした日常でなく、実は物語もちゃんと進行します。
ただ、主題は笠智衆と原節子の心の交流でなく、若者の退屈描くので、
退屈が全面に出ます。
お話は静かに、断片の連続で進行します。
紙芝居みたいな、画作りは北野映画思い出します。
実は、場面展開で退屈させない。その工夫を感じます。
ドリカム式の3人の関係性とそれぞれの運命描いて、
それは日常でも実はなくて。
脱出を希求するものの無自覚な無謀。
怠惰とスリルをこんな表現で描くんだ。
スリル盛り上げる演出いくらでも出来るのに。
こういう描き方で、現実を切り取ることが出来るという提示は衝撃。
これをダサくなく真似ることは至難。
小津リバイバルをこんな忠実かつオリジナルに表現した人居ない。
俳句の連作のような映画。
たけし監督のみならず、多くの日本人監督は影響受けてる。
日本で日常系が成立するのは、ジャームッシュが逆輸入したからか。
お話で観客の興味を引っ張らなくても構わない。
それだけのセンスがあるのなら。
ま、
私は「パターソン」の方が好きですが。
時代に与えたインパクトは断然「ストレンジャー・ザン・パラダイス」。
ジャームッシュの前と後では時代が変わった。
資本力では生み出せない希少なもの。
だから大切にされないと。
資金提供したのはポール・バーテルという監督さん。
先日MCUの話をしていて、サム・ライミの監督復帰に震えた。
「ドクター・ストレンジ2」はMCU史上最もホラー色強い作品なるとのこと。
自分の中では監督降板とサム・ライミ復帰は別の話題として処理していた。
「アイアンマン」と「シェフ」
「スパイダーマン ホームカミング」と「バードマン」
「エターナルズ」と「ノマドランド」
そして、
「ドクター・ストレンジ2」と「死霊のはらわた」
セットで観て、語ろうよ。
その方が絶対おもしろい。
スプラッターというジャンルを成立させた作品。
おしい85分だ。
ライミはこの映画のため大学を辞め、資金調達にも奔走していた。
縦横比がヘン。映画というよりVシネのよう。
16mmを映画の規格に合わせて無理やり引き伸ばしたという。
本作は1981年公開。
ジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」は1982年。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」はジョン・ランディス監督で1983年。
B級のみならず、「シャイニング」のようなA級も1980年に作られる。
そんなホラー全盛期にスプラッターというジャンルを確立した。
もう語り尽くされてることですが、
なんと言ってもカメラが凄い。
低予算なので俯瞰だとカバーしきれない、
という現実的理由もあったのでしょうが、
観客をスクリーンに没入させるため、主観を多用してます。
ゾンビ視点で血しぶき描くとか、そんなに無かったんじゃないかな。
巧みなカメラでショックを与える。
サスペンス(ハラハラ)でなくサプライズの連続。
それがなんだか、とても潔くB級の矜持を感じました。
ゾンビが単に襲ってくる訳じゃないのが斬新で、
いろんなグロ表現可能にしていて、
電球のシーンとか、凡百には思いつかない。
ただのB級ホラーで終わらない才能。
庵野秀明もそうだけど、若い頃から8mmで遊んでたからこそ、
出来るアングルやカメラワーク。
路地裏サッカーからマラドーナが生まれるみたいな。
理詰めで学んだ人からは出てこない。
そしてスプラッターの中のコメディの資質が光ります。
ただ驚かせるばかりでは、観客は刺激に飽きてしまう。
怖さよりも笑いで、緩和させといてショック。
そういう緩急こそが監督の腕の見せどころ。
井口昇監督が如何にサム・ライミの影響受けてるのか再確認。
低予算といえばアメリカはホラーで日本はAV。
AVでは、主観ショットのあり方はよく問題にされ、
アングルが悪いと、低評価を受けます。
恐怖と性欲、ジャンルは違えど、
理性を忘れさせ、感情を導かなければいけません。
逆に俯瞰は人を客観的にさせるので興醒め。
企画・設定の面白さと、演出力は如実に分かります。
まあ、
井口監督作品は面白くても、抜けない。
とレビューされガチらしいですが。
それはさておき、
B級特撮をホラーというジャンルで、しかも血しぶきの表現で。
なのに、いつも楽しい。
ああ、余人を以て代えがたい。
アッシュ役のブルース・キャンベルと資金集められて良かった。
編集作業も膨大だったそうで、
中でも、
死体が溶けるストップモーションには何時間も費やしたそう。
大変な編集といえば、この作品でしたね。
あまり好きじゃないんですが、
「アメリカン・グラフィティ」でお茶濁そうかと迷ったが。
低予算で歴史を変えたといえば、避ける訳にはいかない。
言わずと知れた。戦争が終わって、
ジョン・ウィリアムズのテーマ曲とともに、
娯楽回帰の火蓋を落とした歴史的作品。
ゴーサインが出るまでは難航し、フォックスからギリギリの予算を得たらしい。
ルーカス本人も配給も、歴史に残る作品になるとは思ってなかった様子。
ラッシュの際に、デ・パルマとスピルバーグの反応の違いが興味深い。
デ・パルマのように批判的な意見が多数派で、
ヒットを確信していたスピルバーグは稀だった。
フォースはご都合過ぎるという指摘は私も同意。
他人の意識にまで作用出来るなら、
レイヤ姫を簡単に自白させられないの?
修行の果てに感覚が研ぎ澄まされてゆく。で充分じゃないか。
フォースを許容しても、帝国軍のセキュリティのガバガバさは無理。
なにより、
一作目でルークが修行で成長するのをもっと描いておくべきと思う。
主人公のチャンバラシーンが無いの不満だし、
師匠筋のオビワンとの関係性が今ひとつ。
フォースが万能なのが、その遠因では。
敵陣への潜入と師匠の死は、もっと納得ゆくお話に出来たよな。
死と引き換えに秘密鍵入手するとか。
それ以外は脚本上の不満はありません。
これだけの情報量よく121分に収めたものですね。
冒頭ルークの登場は編集時にカットしたのだそうです。
撮影は、今の目で観ても素晴らしい。
ようやくSFを表現できる技術がギリ登場して、
風格ある特撮。サム・ライミとは逆で、
俯瞰で観ても隙がない、格調高い映像。A級感あります。
観るものに説得力を与えます。
メカニックデザインも相まって、
宇宙の飛行シーンはワクワクします。
ランドスケープを撮る才能がルーカスなんだなと観ていました。
逆に、
アクションシーンは下手。
殺陣が出来ない欧米人だからと子供の頃は観てましたが、
今観ると演出も良くない。
橋が切れてて飛び移るシーンも、もっと盛り上げられた。
なぜ、刀vs銃とか、フォース合戦の戦闘とか、無いの?
低予算だし、大根な役者使ってるからと、
中学生当時は無理に納得してましたが、
今の目では、セリフでキャラの性格説明するとこ下手です。
演技で共感させる演出はそんなにうまくないんじゃないの。
その後どんどん、大作になりますが、
アクションがへっぴり腰で面白くないのと、キャラが記号に見えて、
仕掛けばかり凄い。
と私の興味は離れてゆきました。
ルーカスがダメになってく遠因があったかもしれない。
苦手なとこ再確認しつつ、
こんな風格ある撮影だったと新発見しました。
ま、いずれにせよ、
これだけ痛快な逆転劇はちょっと無い。
配給の重役達はどんな掌返ししたのだろう。
「ポンポさん」はなんで、
監督君の脚本をプロデューサーが採用する。
って話にしなかったのだろう。
脚本は分業して、才能開花させる監督って、
あまり居ない気がする。大作の職人監督は居るけど、
そんなに映画好きなら、自主制作とかしないの?
新人雇われ監督で、アカデミー賞総取りって、
圧倒的な演出力ということ。
それは不自然だねぇと、今更気づいてしまった。
そういう才能の人は、
自分で脚本も書いて、
自主制作で短編くらいは制作してる。
自分の企画から始めて、
目利きのスポンサー、プロデューサーと出会う。
そんな実例ばかり。
才能とそれへの投資。それをメインにしたくなかったんだろうか。
努力と覚悟(だけ)で、成果を得るって幻想だけど、
映画は幻想なんだし。やむなしか。
「アマデウス」のように現実は残酷で、
凡百が許される世界じゃないのに。
そういう大衆迎合が嫌いで、
「スターウォーズ」とか「ワンピース」苦手になった。
才能の有無を誤魔化して、万人向けのエールの体裁を取っては、、
それは「カイロの紫のバラ」みたいな現実逃避。
低予算で、気鋭のクリエータを立て続けに鑑賞すると、
才能というもの。ギフト。神様からの贈り物。
それがすべてでした。