話芸の人タランティーノ特集「パルプ・フィクション」「ジャッキー・ブラウン」独自性の発見

先週はタランティーノ特集にあやかり、2本観てきました。
たまたま初期めの2本でした、
この才能が無駄に潰されずに良かったね。
ほんとに良かった。無駄に学ばなかったのが良かった。
 
日本にも、タランティーノ信者は多いのに、
タランティーノとそれ以外の違いを明確に教えてくれる人は少ない。
オタクな末節の設定とか、どうでもいいよ。
それはさておき、 
 
 
鬼才でなかろうとも、コモディティ化を避けるには、
凡夫達とは、コンセプトから違わないといけないね。

ハンバーガーの無駄話から思い出した。
キンドルに無くて、手元に書籍あったので、読み返し。
 バーガーキングの勝機は、”おとな”
  子供向けは捨てろ、ディズニーとタイアップするな。
  マクドナルドの主戦場で戦ってはいけない。 
  少し炙った肉の香ばしさは、大人の味。  
 
商品だけでなく、コンセプトからの徹底を説く。ポジショニングとUSP。
 
 
わたくしごとですが、 
7末で、厄介なプロジェクトから撤退しました。
成功と失敗の両方あり、
捨てるものを捨てて、成功したポイントにより特化しなくては。
楽しい映画を観てて、そんなことが頭をよぎってしまう。
 
 
直接対応してくれたリーダーは優秀な人で、
できる限り支援できたことには、満足があり。
それは契約書にサインする前にちょっと用心した、ご褒美でした。
 
ただ、プロジェクト自体の根本には気づけなくて、
原爆投下されるまで敗戦を認めない民族の国だなぁ。と実感を強くしました。
内向きの意思決定と、合理より滅私奉公。
いくら人力を投入しても、その技術じゃ、B29に竹槍。
 
優秀なリーダーは休養が必要な体調でも、
これから最前線に投入されるらしい。
傭兵はビジネスだから、ご武運をと、お別れするより術がない。 
 
私は未だに、”尊敬できない人のために働かない” の凡事徹底。程度でしかない。
オリジナルなこと、考えんとね。
 
 
 
ネタバレ全開でゆきます。
「パルプ・フィクション」

監督2作目にして、タランティーノ印を確立した一本。
講談なら神田伯山師匠が、世に出て来たときみたい。同じようでいて圧倒的に違う。
歌舞伎なら、きっと中村仲蔵。奇を衒う新機軸とか。
  
他と何が違うのだろう?
 ストーリーテラーなのに、プロットの面白さに頼らない。
 緊迫したシーンでも、饒舌で軽妙なトーク。
 唄うときは語るように、語るときは唄うように、聴覚へのごちそう。

 時間軸やってもノーランと違い、視点の切り替えがメイン。分かりやすく説明。
 娯楽作なので、映像で丁寧に説明。アートにしない。
 個人的には長いのは苦手だけど、溢れんばかりのサービス精神。 

 アメリカン・ニューシネマ。スターウォーズ以降のハリウッドはマクドナルドの味。
 絵柄、ストーリー、音楽。すべて敢えてのオールドファッションドでクール。
 古さは尚のこと本物志向。CGは使わない。そこで嘘はつかない。
 意外に反骨精神な王道ストーリー。
 

日本だと、
基本説明セリフ三昧だし、
それを避けようとすると、アートな表現にいかざるを得ない。
話芸を堪能するのは難しい。

私の知識では、ここまで遡ってしまう。
 
 例えば、初期の三木聡
 もしかしたら、大泉洋にあるかも、
 いや、逆に「シン・ゴジラ」か?
 
映画でなければ、口上や啖呵売の芸は、
上岡龍太郎が言葉に詰まり覚えて、引退を決意したとか。

 
 
映画で、
耳を満足させてくれる作品はそう多くない。それはそれで構わないのだけど、
タランティーノの満足は、落語の名人芸にとてもよく似てる。
 
 
で、「パルプ・フィクション」は、
主軸3人の群像劇。
 トラボルタ ギャングの手下。凡庸で漫然と仕事してる。
 サミュエル・エル・ジャクソン トラボルタの相棒、改心しようとしてる悪人。
 ブルース・ウィリス 落ちぶれても正義のヒーロー。

自業自得とはいえ、巻き込まれ型で事件は重なり合って次々と起こる。
その道中と会話を楽しむ映画。それが楽しめないなら、、
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でも観ればいいと永野は言ってる。
あと、クリストファー・ノーランはダサイらしい。

 
時系列操作は難しくはない、「メメント」じゃないんだから。
憶えていられる。
誰の視点で、その事件を観るか、それをパラレルで描いて、
それぞれの物語を語るのが特徴。
 
そうねぇ、サミュエル・エル・ジャクソンで締めたいよね。
「第三の男」みたいな、円環で終わりたいし、
 
観客はもう未来を知ってる。
 トラボルタは単独だから、ブルース・ウィリスと明暗を分けた。
 ということは、サミュエル・エル・ジャクソンの運命を予感している。
 
 最後、レストランを立ち去るシーンで、ああそっちなのかと。
 口上を思い出し、感慨深い。
 
これが意外と、説明しない余韻を残す。いつもは説明するのに、
プロットに頼らない見事なラストで、唸った。
後の「ヘイトフル・エイト」でも、銃口突きつける緊張の中の軽妙な饒舌。
サミュエル・エル・ジャクソンが居なければ、タランティーノも居ない。
余人を以て代えがたい。
 
長えけど、これで退屈させないのは、他ではできないだろう。
唯一無二とは、こういうことだよなぁ。
 
 
 
「ジャッキー・ブラウン」
ロックよりは、ソウル味強め、意外にもスウィートだったりもして。

サミュエル・エル・ジャクソンが太鼓判貰った作品ではあるけれど、
世間の評価は「パルプ・フィクション」より低めか、全部乗せではないからね。
 
主演のパム・グリアとユマ・サーマンをどうしても比べてしまう。
どっちも、デカいイメージあるんだけど、
ユマ・サーマンは華奢だ、ビリーズ・ブートキャンプのお陰か、
いや、何食べてるのか知らないが、初期はモデルさんだもの。
 
かたや、
パム・グリアもう若くない、ゴツいぞ。
このルックで一本撮ってみたい気持ちは分る。
 
役者さんから、キャラがインスパイアされて、
そこから物語を紡ぐ。
タランティーノの作劇の一端を知る思いです。
 
「ルパン三世」っぽい、この手のストーリーは、
警察がどこまで無能かがノイズになる。完璧な作品も無いことはない。
おとり捜査なら、一網打尽が狙いで、
もっと人数増やして、おのおの張り付いてろよ。
やっぱ、ツッコミ入っちゃうのが減点かなぁ。
 
でも、それがあんまり気にならないのは、
プロットの人じゃないから。
極彩色に立ったキャラの会話で魅了するのが、持ち味。
 
 
時系列の話はもういいですね。
プロットに頼らないストーリーテラーであることが大事。
 
特筆すべきは、ロバート・フォスター。いい味の表情。
ちょっと、ジョージ・クルーニーに似てて、「マイレージ・マイライフ」を思い出す。
そんな役どころ。
タランティーノはもう、こういう作品は撮らないと思うので貴重。
そこが、再評価されてます。
 
ちょっと、引き算な映画で、それはそれで乙。
アメリカン・ニューシネマだけでなく、70年代のTVシリーズっぽくも撮ってる。
よく知らんけど。
  
やっぱ、ラストの余韻は上手で、お客を快で帰す人。

エンタメの真骨頂だと思います。
 

関係ないけど、 
ノワールもののリバイバルだし、おしゃれな映画も思い出しました。 

やっぱ、才能がすべてかな。
 
コモディティ化は味気ない。

先週、上昇一段落ですが、
コロナ関連で下げてるのキープしてます。
底で買って、耐えようかと思っている。
           
                                                                                                                           

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