「オッペンハイマー」若干の矮小化も概ねクールで公平、日本の論調は戦後教育の洗脳の勝利。

前回のとおり、予習し、日曜日観てきました。
史実なのでネタバレとか関係ないので、予習してから観たほうがいいです。
それで大筋を掴み、置いてけぼりにならなければ充分。3時間飽きません。
細部まで全て把握しようとしても無理で、作り手はそれを意図してもない。

休日なので良く埋まって、最前列で観ました。
途中トイレに行く人も多く、横切られるのはウザかったですが、
それでも、映画鑑賞としては楽しめました。
公平な視点で完成度高く、絶賛も納得でした。
 
 
ただし、作品に対する日本の論調は偏向が過ぎる。
試写に招待された人は、何かチカラが働いてるんじゃないかと、
陰謀を疑ってしまいます。
わざと無知なフリしてるんじゃないかな。
 
 
ハリウッドの音楽が相変わらず、
 お仕着せがましく、ところどころ不快ではありますが、
 想定ほど酷くはありませんでした。
 多分、
 緊張を強いる場面ばかりだったから、
 ”泣いてください、笑ってください”との感情の強要を、
 あまり感じなかった為でしょう。
  
 
それはさておき、作品として。
ノーラン節は効果的でした。予想外。
 マッカーシーイズム時代の主人公への尋問と、
 その5年後の悪役への尋問を、
 並行で描き、過去のエピソードは回想として語られる。
 で、最後は原爆の父の名誉回復で〆る。
 伝記ものとして生涯を過不足なく見せて、かつ飽きさせない工夫。
 
 
映像や演技については、散々絶賛されているので、
 いまさら、言うことはないです。
 主演も助演もアカデミー賞当然だと思います。
 アイアンマンのアジア人蔑視は問題ですが、
 「エブエブ」と同一視すんなよ、その感情は私にはあります。
 
  
悪役ストロースの人格を矮小化してるかとは若干思いました。
まあ、ハリウッドだし、民主党政権下だし。
 
 日本の解説動画などでも問題と思いますが、
 ”アイソトープ”をアイソトープとそのまま単語を用い、
 解説しないのは偏向と断じる。 
  
 せめて”放射性同位体”程度の翻訳はして欲しい。
 それが核燃料であるウランでなくとも、医療用の放射性物質であっても、
 輸出は厳格に扱われているもので、スコップとは違う。
 あの時代、まだ放射能の人体への影響について無頓着。
 でもね、敢えて訳さず、解説しない現代人には、恣意的なものを感じます。
 
 私怨で陥れたという解説のは、ちょっと違うんじゃないの。
 共産党勢力と実際に朝鮮半島で戦争してる最中、
 共産党とズブズブな人物に反戦反核を主導させる訳にはゆかない。
 強行派がそう考えるのは当然だと思う。

 個人的な感情が原因というのは、あくまで、
 ロバート・ダウニー・Jrを失脚させたい側の主張であり、手段。
 因果応報ではあるものの、
 その主張どおりに、強行派を矮小化した悪役にするのは、
 洗脳されてる。公平ではない。

 戦争が一息つき、国民は息苦しい戦時下のリバンドでリベラルな空気を求めた、
 量より水爆。技術革新でソビエトに勝つと主張した野心家は、
 時代の変化で用済みになった。
 

まあとはいえ、ケネディ政権では、
インドシナでもキューバでも赤化は止まらず、
暗殺されるまでの功績は、
 キューバ危機を回避したことと、
 宇宙開発を推奨し、軍拡競争でソビエトに勝ったこと。

その後、
当時ハリウッドで強行派だったロナルド・レーガンが、
スターウォーズ計画を提唱し、ソビエト解体に寄与した。
共産主義はいずれ崩壊したとしても。
 
遡って、
カーター政権でも、イランでホメイニ革命が起こり、
民主党政権では、なぜか、いつもイスラム原理主義者は元気だ。
経済の回復と財政再建には取り組むけれど、
ISのやりたい放題を看過したのは、ノーベル平和賞受賞者の大統領だ。

核兵器が有ろうが無かろうが、
平和な世界なんてものは無い、人間はそんな生き物ではない。
核は使わずとも、今日も今日とて殺し会っている。
いつもノープランで御花畑な”平和なときの反戦論”に与する気はない。
 ベ平連にはKGBの金が流れたと噂で聞き、
 河野太郎には左派野党もマスコミもダンマリな世界に生きている。  
 

閑話休題。
ノーランの視点は極めて中立で、ひんやりと冷たく、乾いている。
 マンハッタン計画を主導した物理学者の尋問のシーン。
  彼は、広島への投下には積極的。
  人道的でも、平和主義者でもない。それは彼と袂を分かった科学者の側。
  だが終始ソビエトは養護する。

   ナチスには原爆の開発競争に熱心で、
   相手がソビエトだと、突然ハト派になるの?

  浮世離れした人物のダブルスタンダードに明確な反論はない。
  原爆の父の罪悪感など知ったことではない。
  被害な甚大なことは、事前に計算できただろ。
 
 むしろトルーマン大統領の方が意思決定者として潔く、
 賢いにせよ、理論物理学者の方が思考は幼稚で、身勝手。
 責任者は責任を引き受ける為に存在している。

劇中の会話にもあるけど、
東京大空襲も、原爆投下も無抵抗な民間人の大量虐殺で、
罪は罪。戦争犯罪である。早期決着論は関係ない。
この世界は勝者が敗者を裁くもの。
むしろ、
サダム・フセインはヤラれて、北の将軍様が大丈夫な理由を考えた方がマシ。

原爆投下のシーンで歓喜するアメリカを憎むと言う”日本人”が多いが、
真珠湾攻撃のときは喜ばなくて、ハワイの犠牲者のことを想像したのか?
ことここに至るまでの日本意思決定を検証せずに、
被害だけを切り取るのは卑怯。
 
直接被害も受けず、高度成長期以降の恩恵には預かり、
8月6日に黙祷もしない奴が、”日本人”として憤るのは如何なものか?
8月6日が何の日かも知らない程度の被害者な”日本人”は、
甘んじて無条件降伏を受け入れた精神を、むしろ踏みにじる存在だと感じます。
  
 
脱線しました。
戦後教育の洗脳から解除された目で観ると。
ノーランの視線はオッペンハイマーを断罪してるくらい。
史実の細部も公平に丁寧に拾っている。
ただ、
 通常兵器なら平和なわけでもなく、
 核廃絶したら人類を破滅させる危険が去ったとも言いえない、
核兵器だけを特別視する気にあまりならない。
ので、
ノーランのメッセージには賛同も共感もできない。 
 
作品の見事さと、
いつまでも、”戦争の悲惨さ”で思考停止してる日本のお花畑ぶり。
両方を噛み締めました。
  

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