都知事選は現職の圧勝からの2位、3位の自滅炎上。
日経平均は4万2千円への新高値ブレイクと日銀為替介入。
個人的に痛い目に遭いながら、話題に事欠かない先週でした。
”努力を無駄にする” と ”無駄な努力” は別ものであったと、気づきつつ、
その違いを調べ、失敗をこれからの人生に活かそうと試みる。
そんな今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
2位でも3位では駄目な、1人を選ぶ都知事選に、
ヤル前から負けると分かっていて出るのだから、
他に目的があって当然で、
さらに、多大な資源と労力を投じて戦っている。
なのに、
何故、次へのステップを自ら潰すのだろうか?
答えをKindleで探した。
お金を払ってまで読むほどのボリュームではないのですが、
同意同感し、悲しい。
今回のは、”人目を引く特徴”というカテゴリの”傲慢”というダークな性格により、
膨大な努力を無駄にする例と解釈できる。
運の悪いことに、ほんの小さな誤り──「傲慢な」人であれば、否定的なフィードバックを無視する
-中略-
ダークな特性をてなずけるのは、難しいことだ。たいていの人は、実は変わりたくないのだが、変わったと思いたい
敗者二人に共通して見えるのは、自己愛性。
幼年期に注がれた愛情が適切でなさそうなのは、自らの経験で想像してしまう。
石破さんにも感じるのだけど、チヤホヤされるの好きそう。
そういう人は簡単にころぶ。口車に乗る。政治家に向かない資質だと思っている。
私自身の残念も大きいけれど、そんな人と関わらざるを得ない宿命も背負った。
自己愛性パーソナリティ障害は、自己中心的で傲慢である傾向、強い自己顕示欲、そして反対に対して同意がないといった特徴を持つ人々に見られる心の病気です。
常に自己中心的であるため、相手との関係が深刻な問題を引き起こします。
当事者でなく、かつ、騙す目的でなければ、
そういう人と出会ったら撤退が最善。
別に私はボランティアのカウンセラーでもない。夢は見ない方がいい。
何より困るのが、優先順位付けが致命的に合意出来ないこと。
よって関わっても、成果を上げるのは極めて困難。
都知事戦に負けても出るのだから、目的は全国区で名を売ることである。
ネットに限定されたバリューをテレビ視聴者にも広げる絶好のチャンス。
そのための選挙活動と言い切っていいほどの重要事項。
”政治信条に中身が無い。具体性に欠ける、人気取りだけか?”
有権者としたら、その疑問の回答を得たい。
市政での実績を黙阿弥にしてまで、東京に関心がある理由が知りたい。
オールドメディアが劣悪な存在で、
ネットでの人気に世間知らずで、時代遅れな裸の王様なのは、
多くの視聴者も知っている。
今更、TVという存在に対するご託はいらない。言い訳はいらない。
彼にとっての大事は、
カメラのレンズの向こう側に、伝えることだった。
”若く清廉で、旧勢力と戦う、有能な政治家である” ことを。
質問者を相手にしなくて全然構わない。逆の意味で、
直接、有権者に向けて語ればよかったのに。自尊心を優先してしまった。
無駄な努力よりも、努力を無駄にする行為の方が、罪深い。
つくづく、人間の脳は残念な構造だと思う。
一方で、蓮舫氏。
与党は足を向けて寝られない存在。と私は評価している。
野党第一党党首として、長年自民党政権を支え、
今回は現職の3選を後押しした。強力に後押しした。
スキャンダルにまみれ、窮地に陥った政権に、忽然と現れる救世主。
私は、二重スパイの鏡だと思っている。
本人が承知で、安藤サクラを超える演技派なのか、
天然で、脚本家が別にいて、踊らされてるだけなのか、
詳細は分からないが、
大女優でも難しいと言う道化役を完璧にこなす天才だと思っている。
自己愛からの狂気を含んだ、過酷な幼年期を想像させるガラの悪い、
ゲイリー・オールドマン的雰囲気は、常人で醸し出せるものではない。
この国は近代化において、二大政党制に失敗し、敗北した。
国難にあたり、政権交代は政治を弱体化させただけであった。
高橋是清を暗殺しては、政治の資源は枯渇し、
決定的に膨大な授業料を払った末、吉田茂の登場まで、
ペーパーテストの優秀さに、意思決定を任せるしかなかった。
もうその轍は踏まないという、戦後日本の強い意思を感じさせる。
立憲共産党を堅固に、カルトの結束を世に見せつけるためと、
目的を断定する向きもありましょうが、
私は、小池百合子を勝たせること。それを第一の目的と見ている。
蓮舫だけはゴメンだと、プロジェクションマッピングは嫌でも投票させてしまう。
それだけの強い力がある。
都知事の批判票は2位に流れても、限定的で勝利を脅かすものでもない。
最後、涙を見せながらの、すっとぼけ、を私は根拠とする。
カルトの結束が目的なら、気丈に工作員を庇うだろう。
負けたとはいえ、立派に振る舞いたくなってしまうのが人情だ。
ここで税金が投入され、かつ逃避を見せるとは!
なんという完璧なジョバー(これも仕事だ)。
自己愛から最後、無様な振る舞いを選択してしまったのか、
与党アシストの演出が見事なのか、
定かではないが、私は後者だと思っている。
プロ意識の高い目的遂行者だと思っている。
2位とは違うと思っている。
勝って負ける人を回避し、負けて勝つ側を選びたい。
そんな自分でありたいと心から願う。
そんな折、あーあ。と4万2千円を見上げる。ブレイクしちゃった。
反落が頭から離れず、なかなかトレンドに乗れない。
古い表現だが、”鼻血ブー”とはこのことと知る。憤死。
で、前回のつづき。
無駄な努力は避けたい、効果的な学習とは?
やはりKindleで探すこととした。
教育指導の本としてでなく、無駄な努力をしないための本。
官僚の指導という妨害にめげず、実践家が、子ども成長を促す記録。
小学校の算数の指導例は、抽象化して自分の役に立てよう。
目からウロコであった。
教え方の上手い先生は、「わかる」よりも、まず「できる」を重視します。もちろん、「わかる」が大切でないという意味ではありません。しかし、「わかる」ということは、「できる」よりもさらに上位の概念です。ですから、少なくとも言えることは、子どもができてないうちはわかっていないということです。教授理論では、これを学習者検証の原則と言います。
もちろん、「わかっていない」のに「できる」という可能性はあります。しかし、「わかっている」のに「できない」ということは絶対ありません。
量稽古は大事、しかし無駄と有効の別あり。
復習は全部やる必要がなく、まちがえた問題を中心にやった方が効率的ということです。
この2つの興味深い点は、学習指導をする者にとってはとても重要な知見です。
学校でも塾でも、計算ドリルやプリントを何回もやらせるという指導をしている人が多いようです。
しかし、それはまちがえやすい問題をくり返し解く必要があるのであって、もうすでに十分解ける問題を何回も解く必要はありません。
がむしゃらに練習するのでなく、守破離。
白川竜次先生の説くように最初は”型”を身につける。
両建てならうみはら師匠が勝ちパターンを提示している。
4年生の計算のきまりは、いろいろなパターンがあって、子どもは混乱してしまいます。なぜ、そうなるのかという概念的な理解や思考も大切ですが、こうして、まず、例題を何問も解くことを通して、計算のきまりを手続き的知識や技能として身につけていくことの方が大切です。
短期の情報操作の作業、これを鍛えないと術は身に付かない。
エッジの発生を選別し、パターンにハマれば反射的に操作する。
効率的に短期記憶領域を活用する。量稽古も目的意識を持たねば。
暗算はワーキングメモリーを鍛えることができるのも特徴です。算数が得意不得意に関わりなく、たし算ひき算やかける数わる数が1けたのかけ算わり算は、暗算でできるようにしてあげることが大切です。 ただし、まちがってもドリルやプリントで、子どもにやらせるというスタンスではいけません。暗算は練習すればだれでもできること、暗算ができるといろいろメリットがあることを、子どもが体感できることが大切です。
テクニカル分析の理論と、建玉操作の技能。
別々にちゃんと扱ってるものは少ないので、自分で分けて習得するしかない。
概念理解は概念理解、計算手続きは計算手続きと、実は、割り切った方がうまくいくことが多いのです。
-中略-
必ずしも概念理解が先で、手続き的知識・技能の習得が後という必要はないのです。このように、必要に応じて面積図を使うという視覚化は必要ですが、視覚化したからといって必ずしも概念理解や手続き的技能が身につくわけではありません。
メタ認知については、重要性は説かれるけど、
それを向上させる方法はやはり、見つからない。
知識は技能を総合して判断することがメタ認知です。メタ認知をするにも、知識や技能が必要なのです。
もう一つ大切なことは、メタ認知できるということは、新たに具体的な行動目標を立てられることです。
ただ、チャートの天底では、比較的明確なパターンがあるので、
パターンにハマるかどうか判断し、
建玉の数を少なく、沢山分割して、
操作を習得してゆくのは可能かもしれない。
私の場合、
天井ではツナギを打つ必要があり、
底の確信が持てず、打診から始める。
のなら、実践で意図的に稽古することはできる。
同数の両建てでは、
同時決済時の利確は最低限保証されているのだから、
慌てずに、次のトレンドの結果が出てから動いていい。
カッコよく、一括決済しなくてもいいよ。ビビリでも。
利確して破産した者はいないのだから、
スマートに得しようとしなくていい。
感情の揺れは否定しない。そのための建玉操作だ。
政府中央銀行によって、一旦反落が来るのは、
予想合ってんだが、タイミングがねぇ。CPIまで待てなかった。。
自らの未熟が残念でならない。
閑話休題。
無駄な努力をしないためにも、
努力を無駄にする行為を避けるためにも、
メタ認知の重要性が再確認される。
自己愛を是正する方法も調べたのだが、
大抵は、
”そんなことができるなら、最初から解決してるよ。”
と反論したくなるような空論ばかり。
慈悲の瞑想は唯一、自分でできる有効なトレーニングかと。
自分が経験した苦しみを意識的に、あるがままに感じてみることによって、私たちは輪廻の苦しみをいくらか理解することができるのです。
これが、自己を使うということです。自己を「利己的な我」を満たすために使うのではなく、「自分を理解し、他者を理解し、輪廻の苦しみを理解する」ために使うのです。
苦しみを意識的かつ客観的に経験することによって、輪廻がどれほど恐ろしく、耐えがたいものかということが理解できるでしょう。
したがって、輪廻の苦しみを理解することでさえ、私が理解しなければなりません。
「貪・瞋・痴」を強化するために「私(attā)」を使うのではなく、真理を理解し、人格を成長させ、苦しみをなくすために使うことには、この上ない徳があります。
あれで41かと、揶揄する向きもある。もっともである。
が、人間の脳は3歳児を超えないとも聞いた。
残念な生き物に生まれたことに、彼と我の区別は無い。
まだ、いろんなカバー聴いてます。
泥沼な実体験が素晴らしい。
この世の苦しみを理解することさえ、自分でしなければ出来ない。
2024.07.13現在
買い玉手仕舞ってしまい、新高値ブレイクに鼻血ブー。
慌ててしまい、立て直し出来ず。ガマン。
木曜の日銀為替介入からの暴落にようやく乗る。
まだまだ痛いが、回復を待ちつつ、
20MAタッチするくらいの強い陰線を想像する日々。
課題が分かるのなら、改善しよう。