権威性と他者承認について、「無能の鷹」センス良い”おバカの勝利”の王道コメディ。「ルックバック」配信で観たら意外と安かった。感動した人は”断愛(承認)”が必要じゃね?「リズと青い鳥」「専門家はウソをつく」「影響力の武器」「眼力」

見逃してスクリーンでは観ていない、私は。
アマプラで配信開始と知り早速鑑賞。どうしても雑に鑑賞。

部屋でPCの画面だと、没入が弱くなってしまった。
トランプ後の値動きも気になってしまった。
 
それはさておき、
ちょっとモヤっとする。あんがい安い。感動が。
作品自体が評価されるのは好ましいことと思う。けれど、
 え、承認欲を原動力にして創作活動してるの?
ちょっとは恥じらえよ。
これ手放しで絶賛して、クリエータを自称する。そこに躊躇は無いのか。
 
才能があって、かつプロになるような人は、
孤独に努力するし、継続してしまうよ。内的必然があろうとなかろうと当然。
内的必然は描かれてないよ。この映画には。予め反論しておくけど。 
 
 
創造を語るに、内的必然の不在は気にならないの?
 
創作活動してたら、↑この方がまともだと思うのだが、
 
逆に、
 ”オレ才能あるから、凡人の気持ちは分かんねーよ。”
と言い放つ、永野はやっぱ痛快で、
やや少数派の声を代弁してくれるから、ジョーカーを脱して売れた。 

まあ、評価されなきゃゴッホのように野垂れ死にだし、
でも、
ラッセンだって商業的成功だけを目的に絵を描いてる訳じゃないだろう。
で逆に、永野が指摘するように、 
売れる≠高品質 の理不尽さへの地下芸人的な不満は、共感する。
 
だって、比べちゃう。どうしても。京アニ繋がりで。

構造も似てる。
 女子の青春相棒もので、芸術系。
 実はコッチがモーツァルトでした。も同じオチ。
 表現する喜びと、限界への諦め。も描いている。
 
上品に誠実にやり過ぎたからか、プロモーションが下手だからか。
まるで売れない地下アイドル。 
絵のクオリティも音楽も実力派なのに。
 
他者承認よりも自己成長での納得だから、受けが悪いかな。
ワンフレーズで分かりやすく、極端なのがウケるのか、
それはそれで、ウンザリだけど。 
  
 
たぶん、藤本タツキ原作よりも、映画も分かりやすくベタに寄せてる。
原作ファンの一部で演出。特に音楽に不満が出るのは、その為だと想像する。
(個人的には、”ああ、分かりやすくヤッてるんだ” と気軽に観てましたけど、) 
 
まあねー、
Fという名を冠する、芸術性と大衆性のバランス。
少し不思議もできるけど世界的なポピュラーも当てる。
対照的に、京アニの加害者も含め、創作の残酷さはヒシヒシと来るし、
良作と評価するけど、、
  
片や絶賛大入りで、もう一方は見向きもされず大惨敗。
納得いかねー。
 
 
まあ、他者承認は大事。特に商業的に継続する為には。
クリエータの残酷さを描いていながらも、同時に、
 承認の心地よさと、
 親友の死という定番を描き、
受け入れられ易いバランス感覚を発揮する。
更に、「チェンソーマン」ブランドの権威性も大きかったか。 
 
因みに、
単に絵が上手いのと、漫画で絵が上手いのは別って、
 BSマンガ夜話で、いしかわじゅん画伯が、
 西原理恵子や「動物のお医者さん」回で、
 何度も指摘してたの思い出して、
だからサリエリが逆転するのは、端から予想出来ることだった。
 
一方で、
正義のヒーローとして登場して、結末を変えても、救える必然性がまったく無く、
あれで、”もし私が漫画に誘わなければ!” 
って加害者ズラされても、共感は出来ない。
あれじゃ、何度も巻き戻さないと目的達成できないよ。
  
でさ、 
感動したって絶賛してる人達は、絵のクオリティを褒めてはいるが、
品質で感動したようには見えず、
共感し過ぎちゃうのは、病理すら感じる。
ダイエットが必要なんじゃないかな承認欲の。

現代の生活習慣病だと思うよ。
規則正しく、かつカロリー制限しなきゃ。私は。

それはさておき、
縁あって最近、心理カウンセラの集いと、スピリチャルな会にそれぞれ参加。
前者は専門家の権威について、後者は感情の中毒について、痛感させられた。

カウンセリングはコーチングほど酷くないけど、
彼らは商業的な社会性に乏しい。共産国家なら別だけど、
 専門性を要求される分野の相談はしちゃいけないな。
 メンタル良くなっても、現実は現実で対処しないと。
  
スピリチャルは類友で、搾取されちゃう人が集まる。
源流は仮に品質良くても、組織を維持するためには必要なことがある。
 善良なだけじゃ人生ダメだと思い知らされる。
 感情のジャンキーが治らないと生きてくの大変だろうな。

 
うーん、
相談するなら、専門的なことは専門家にアドバイス求めないといかんね。
法律、税金、医療、ビジネスなど、ことさら。
精神的に一時の気休めは得られても、
門外漢のアドバイスを真に受けると、現実では不幸になってしまう。 
 
専門性を権威として信じてよいかどうか?
最近の事象だと、
 開票前にカマラ・ハリス有利を解説する大学教授とか、
  ⇒アメリカの政治の専門でもなく、
   選挙を統計的に分析も出来ない。

 ひろゆきvs米山の第2ラウンドとか、
  ⇒医療や保険の話はドクター圧勝でも、
   税制は現場を知る経営者の勝ち。
とても分かり易く、教訓としたい。
 
ライフハック系youtuberも昔はTVコメンテーターで、
北朝鮮のミサイル発射に発言を求められて、
それは専門外だと断ったことがあるという。

専門家でないのに、専門家の権威性だけ影響力を行使してしまう。
そんな危険性に世界は満ちていて、欲と恐怖を突かれると餌食になる。
相談相手は選ばんと。

権威者の影響力による有害な効果から自分自身を守るために使える質問が二つある。「この権威者は本当に専門家だろうか」と、「この専門家は、どの程度誠実なのだろうか」である。最初の質問は私たちの注意を権威のシンボルからそらし、権威者の地位を示す証拠へと向ける。二番目の質問は、その状況における専門家の知識だけでなく、彼らの誠実さも考慮すべきだと私たちに教えてくれる。

 
かつて私はホーチミン市で暮らして、
 目が痛いので眼科に行ったら、耳鼻科に行けと、
 そこで副鼻腔炎と診断され、顔断面のレントゲンで説明を受けた。
 排ガスまみれの大気に、膿が溜まっていた。
 
なにはともあれ、
自身の専門性の有効性の範囲をわきまえている専門家が、
信頼に足る専門家である。 
 
 
 
ところで、
”相棒もの”は物語10タイプの一つであるが、
「フォレスト・ガンプ」に代表とされる”おバカの勝利”もその一つである。

“おバカさんが主人公〟のストーリーを立ち上げるときに鍵となる要素は、主人公と対立する権威を設定することだ。そして、主人公が何かに乗り出すわけでもなく、ただ日々を送っているとき、真の愚者と暴かれるのはたいてい権威の側なのだ。恐れを知らぬ、我らがらしからぬ主人公は、システムの一部になどならないし、なりたくもない! バカは革命を率いず、政権を転覆させず、自己宣伝もしなければ、大義を振りかざすこともないが、彼の存在が我々に、一個人でも変化をもたらすことができることを思い出させてくれる。自分が語っていることが真実だとわかっていながら、他者を納得させることができない。バカとはそんな我々の一面なのだ。彼は我々のいちばんの望みを代弁している。とんでもなくバカな日だって、我々の話はちゃんと筋が通っているんだ……。

定番のストーリーに、職場という非生産的な空間のシチュエーションコメディ。 

菜々緒をツモった時点で勝ちである。非現実的存在の説得力。

相変わらず、井浦新は上手いなこういう役。

そう。いい人は搾取されちゃうんだよなぁ。世界は残酷。
 
現代的だと思うのは、
ルッキズムにも通じる外見の権威性。(なんで石破総裁で選挙戦えると思ったんだろう?)
他者承認を一切必要としない清々しさ。圧倒的異物。(ポストとかに擦り寄らないのが正解!)
 
私は、”生きてるだけで価値がある”という言葉がキライだ。
価値は他者が決める評価で、
生きてゆけるなら、価値なんて無くてもいいじゃない。
それじゃ、いつまで経っても必要とされないと生きてゆけない。
価値がある者が生き延びるの訳ではない、環境に適したものが勝者だ。

サラリーマンのほんとの勝ち組って、↑こういう人のこと。
責任に比例するリターンなんて社内に無い。
安定じゃなくお金が問題なら、お金のスキルを磨くべきだし。

  
ま、生きづらい世の中と思ったら、
断愛、断承認。
無理なく、ゆっくりと落としてゆこう。 
もう、リバウンドはしない。
 
中毒させるのがビジネスだとは承知するが、
ジャンキーとは距離を置こう。
 
兎にも角にも、眼力が大事だな。
 

ほとんどの人は、今まで、見抜く、ということをしてこなかったと思います。 
テレビを見るとか、新聞を読むというのは、情報を入れているだけです。 
情報を入れることも大切だけど、入れるばっかりで見抜くことがなかったら、情報なんかいくらあってもムダ。

目安になるのは、

精神論的にいうと、急がせるものは悪、落ち着かせるものが神です。 
不動産屋さんに限らず、「今、買っておかないとダメですよ」とか、「損しますよ」っていわれたら、それは悪魔のささやきです。 
だから、それは、「おかしい」と思わなきゃいけません。

ニュース見てても、旧態依然は滅びのサインで、
今の私には、眼力ある経営者を見抜く力が必要とされている。

時代というものは、変わります。 
そのとき、社長は社長で「世の中は変わったんだ」という眼力を持っていないと、今までの成功例をいくら並べても、うまくいかないのです。

 
ああ、
短編の映画をもう一度振り返ると、
主人公の成功は、才能とプロとしての資質が総てで、
努力とか友情とか、勝利に関係が無いと分かる。

「こうしたらダメだった。じゃあ、これだったらどうだろう。あれはどうだろう」と、やっているのは楽しいでしょ? 
そうやって、最初の一本で成功すれば苦労しないで、もっと楽しくて、それと同じやり方で他のも育てれば成功するからさらに楽しい。なおかつ、無農薬リンゴが売れて楽しい。わかりますか?
-中略-
だから、自分が何かひらめいてやるときは、ちゃんと段取りを組んで、自分が楽しみながらやれるようにする。そうすると、成功って、苦労がいらないのです。

成功しない人ほど努力信仰かと、私は昔から怪しんでいた。
ギャンブルじゃない成功に一票を投じないと。
 
 
 
2024.11.09現在
トランプ再選もFOMCの利下げ決定も無事通過。
少なくとも、-2σタッチまでは来て、そこからどう転ぶか?
まだまだレンジか、
上昇する前に、一回下落あると、まだ見ている。
 
アメリカが中国にものすごい関税かけて、利下げもするなんてヤれるのか。
減税だけで、インフレ抑止出来るものだろうか、
何が起こって、どう転ぶか、まったく分からないけれど。
まだ、待っている。
 

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