「お坊さまと鉄砲」いかにも左翼映画人が飛びつきそうな浅薄な着地に寸止めで耐える良作。「未来王国ブータン」「ファスト&スロー」「疑う力の習慣術」


国民総幸福量とか、立憲君主制への移行とか、
このテーマでは、左翼映画人が薄っぺらい理想を語りそう。
いやいや、
ドルジ監督は現実をフラットに見つめる常識人で、
その視点が品質を支えている。
ファスト思考の人が嫌いな、答えは観る側に委ねる作りにも成っている。
作品として、ちゃんと面白い。
 
役者陣は現実に近いところで演じていると想像される。ごく自然。
何より撮影が素晴らしい。
てらいなく堂々とした画作りで、美しい山間の景色も堪能できる。
それだけで、スクリーンで観て良かったなと、充分満足してしまう。
小津安二郎的な静かな芸風ではあるが、
”謎”=鉄砲がなぜ必要か? が物語を最後まで引っ張ってくれる。
ブータンを取り巻く現実を見せながら。
素朴と思わせて、ちゃんと上手い。そこはもっと褒められていいのに。
 
ブータンを知らない人を想定して作っているので、
観れば分かるように出来ている。かつ、全く無駄がない。
陸上選手のような体脂肪率。
余計なことはせず、必要なことは揃っている。
こういう優秀さは優秀となかなか評価されないが、優秀な作品である。
 
お話のパターンで分類すると、”おバカの勝利”というタイプで、
「フォレスト・ガンプ」「裸の大将放浪記」など、
ある地域に異者がやって来て、騒動が巻き起こる。
本作の異者は、選挙制度であり、あるいは近代化という抽象的な存在。
田舎の生活と起きる騒動の描き方が上手い。
  
 
ブータンの民主化、普通選挙の導入がテーマなので、
 ブータンの近代化の未来を手放しで称賛するのは短絡だけど、
 じゃあ、翻って自国はどうなのかと、
考えるように作られている。
 日本の現状と幕末の近代化に思いを馳せたり、
 王制について、日本、タイ、ブータンを比較してみたり、
観ている最中も、そんなことが浮かんだ。
 
絶対王制から立憲君主制への移行にあたり、
候補者同士の対立を煽るよう模擬選挙が予行される。
 ネガティブキャンペーンをやるような、いがみ合いの導入が、
 果たして、この国に必要なのか?
と役人は問われる。
 いやあ、良いものだから、民主化する訳じゃなく、
 これは大政奉還とか、江戸城無血開城のような撤退戦なんだよ。
 近代化に対する撤退戦。
 要不要の視点が、、そういうことじゃないんだよ。
と、私の心は勝手に答えてしまう。
それに、
 本当に必要無いものなら、運用で有名無実になるよ。
 北朝鮮の投票率は100%近いと聞いた。
 「水ダウ」の不正選挙のようになるかもしれないが、
 日本も国難にあたり、戦前の二大政党制は解決策を与えず、
 政治を疲弊させただけ。
 戦後は55年体制で経済は高度成長し、
 本気で政権奪取を目指す野党第一党は生まれない。
 生まれても不幸を産むだけ。
良し悪しに関係なく、否が応でも近代化はやって来る。
この国の指導者は英明にも、より犠牲の少ない選択をした。
それだけだよ。
テレビもネットも無い時代には戻れない。諦めましょう。
  
国の体制が揺らぐと、
いつ何時、隣国チベットのように成ってしまうかも分からない。
王様が尊敬されている間に、立憲君主制に移行しておきたい。 
タイは民主化に成功したとは言い難いが、かつては王様の徳で治まった。
日本は特殊なケースで、近代化に成功して、立憲君主制の制裁も整えた。
が、議会制での意思決定に失敗し大きな犠牲を払った。
 
能天気に絶対王政のままでとは言えない。
上手に近代化に移行中とはいえ、安心していいもんでもない。
でも、もしかしたら、
大勢の歴史のような犠牲を払わず済む世界線を、見せてくれるかもしれない。
 
ついでに自国の政治について考えると、
与党のポンコツぶりと、実力無い野党第一党、その間隙を縫って、
有権者のベネフィットに訴える政党が出てくるなら、
制度ではなく、実質的な意思決定が歴史的に変わるかもしれない。
石破さんが首相なお陰というのも皮肉なものです。
ま、悲観したから世の中良くなる訳でもないし。
  
なんてこと、思いながら、ブータンの風景を堪能しておりました。 
 
 
ところで、
お花畑に飛びつかずに済むのは、
ファスト思考のリスクについて読んだからでもなく、

冒険家のお陰で、知識を得ていたから。

ブータンといえば、私は、
国王が来日され、劇団ひとりがモノマネして物議を醸した際に、
”世界一幸せな国”キャッチフレーズを知った程度。
ネパールやチベットとの区別すら怪しい。
そんな私に、遠い国の実情を教えてくれた。
今回改めて、アマゾンで買い直した。

何をするにも、方向性と優先順位は決められている。実は「自由」はいくらもないが、あまりに無理がないので、自由がないことに気づかないほどである。国民はそれに身を委ねていればよい。だから個人に責任がなく、葛藤もない。 
シンゲイさんをはじめとするブータンのインテリがあんなに純真な瞳と素敵な笑みを浮かべていられるのはそのせいではなかろうか。 
アジアの他の国でも庶民はこういう瞳と笑顔の人が多いが、インテリになると、とたんに少なくなる。教育水準が上がり経済的に余裕が出てくると、人生の選択肢が増え、葛藤がはじまるらしい。自分の決断に迷い、悩み、悔いる。不幸はそこに生まれる。 
でもブータンのインテリにはそんな葛藤はない。庶民と同じようにインテリも迷いなく生きるシステムがこの国にはできあがっている。
ブータン人は上から下まで自由に悩まないようにできている。 
それこそがブータンが「世界でいちばん幸せな国」である真の理由ではないだろうか。

やはり若者は、都会を目指すようになるんじゃないかな。
選択肢が増えれば。と、
耕作放棄地も散見される、日本の美しい田園風景を思い出した。
それでも、ブータンだけ別の世界線を歩むかもしれない。
そんな夢を見させてくれる地域らしい。

ただ一つ、ブータンだけが例外である。まるで後出しジャンケンのように、先進国のよいところだけ取り入れ取り入れて、悪いところはすべて避けている。その結果、世界の他の国とはまるでちがう進化を遂げている。まるで同じ先祖をもつとされるラクダとクジラを見比べるようだ。

 
個人的には、これから近代化の葛藤を迎える国で生まれるより、
 お花畑に夢見て、
 悪いことは他責で処理して、
 ぬくぬくと平和な日本で暮らす方が、
幸福度は高いように思えた。
 
昔、
福島の放射能の危険を告発し、政府を批判する、かつ、
仙台で何の対策もせず、
普通に暮らす中年男性に対し、
 ”じゃあ、せめて俵万智のように沖縄に逃げたらどうか?”
風向き次第では、飛んでくるものもあるだろう。
と訊いたら、回答は無かった。
彼は自分の不安を、何もせず転嫁したいだけだった。
当時の私は、
大の大人の知性がそれじゃと、軽蔑したものだったが、
 
今は、
この世は適者生存で、
彼は彼なりに最適な生存戦略を選んでいるだけだ、と思う。
人間はその程度には合理だ。
 
そんな人を批判することは容易いのだけれど、
彼らの生き方が、自分の生存戦略に適合するかどうかに集中した方が良い。
参考になれば真似し、有害なら避ける。今はそう思う。
 
それでもやはり、
彼らのようにノーリスクで転嫁すればいいとは、どうしても思えない。
同じように思考したら、どっかで痛い目に遭いそう。
私は不器用だから、上手に思考を使い分けることは出来ないし。

それに対して、左翼の人たちは、自分たちが正義の主張をしていると考えているから、自分たち自身を疑えなくなってしまっている。時代に合わなくなっても従来と同じ主張を続け、その主張をコロコロと変えるようなことはしない。権力側の人たちよりも、筋は通っているのだが、自分自身に対して疑う力を持たないないために、世の中の流れから取り残されてしまうことも少なくない。 
おおむね、自分こそが正義だと思っている人は、自分を疑う力を奪われてしまっているようだ。

その上で、認知の力は重要だと言う。

自分の力を疑うときに、一番必要なのがメタ認知だ。メタ認知というのは、自分のことを客観的に見つめる能力である。 
本来は自分の認知を認知するのでメタ認知と呼ばれるのだが、今の自分の認知パターンが「自分の立場に縛られたものでないか」、「感情に左右されたものでないか」などと疑って、自分の行動に修正を加えていくのもメタ認知である。

当に正論なのだけど、
判断の精度が高ければ幸福という訳でもない。
酒でも飲まなきゃやってられないかもしれない。
 
高名なお医者様をでも、他山の石として、もう一つ引用させていただく。
他責過ぎても、自責過ぎても、判断の精度は上がらないということ。 

むしろ、問題なのは、官僚たちに対して「よい問題」を与えない政治家の側にあるだろう。
-中略-
新しい問題を与えるのが政治家の役割だ。無理難題ではあっても、そのやり方を考えることが官僚の仕事である。 それでも官僚が「無理です」と抵抗したら、「それならば、君には辞めてもらう。トヨタからそれをできる人を連れてきてやってもらう」というような感じで、官僚に脅しをかけるくらいのことも必要だろう。

いやいや、その問題解決のことを政策と言うのですよ。
政策を立案するのは本来、立法府の仕事で、行政自身じゃない。
そして、
立法府のメンバーを選ぶのが選挙で、その任命責任は有権者に有る。
あなたもわたしも、意思決定をして来た結果じゃん。
 
ま、嫌なら逃げるべき、俵万智が正しい。
私は、まだ東京で暮らしているのだから、
それなりに便利に文明を享受して、
暮らしには満足しているのだろう。
仙台の彼のように。
 
髪を切るのをためらいながら、電車のベルを待つ。 

 
 
2024.12.24 22:00現在
もうクリスマス休暇で、レンジ内の動きで今年は終わりかな。

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