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異形たちの饗宴!
創造と破壊、秋のフランケンまつり!
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📅9/7(月)~11(金)・13(日)【2本目割】
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●『ザ・ブライド!』(2026・米/PG12)【4K/7.1ch】… pic.twitter.com/s1ZnTJAldT— 新文芸坐 (@shin_bungeiza) September 5, 2026
それは希少と予約。
バラゴンと言えば、
「シン・ウルトラマン」予告で登場した禍威獣。
顔は使徒だが、
ガボラの造形は特徴的で覚えていた。(使い回しは知らなかった)
本作は未見。
みうらじゅんがバラゴンを熱く語っていたと記憶している。
ゴジラシリーズがどんどん陽気になっていった時期に公開された二本。
怪獣の悲しみに焦点を当てた暗くて、切ない物語だ。
反戦、反核の色調も色濃く、
巨大化するフランケンは、後の「進撃」に影響を与えた。と聞いた。
樋口監督は当然として、
諫山先生が幼少期に観て始めた物語だった。
円谷英二のミニチュア特撮が当然、観客のお目当てで、
Wikipedia曰く、
本作品の登場怪獣は、
ゴジラの半分近い20メートル前後の設定にされており、
ミニチュアの縮尺も6分の1、15分の1で作られ、
非常にリアリティーのある映像に仕上がっている。
また、フランケンシュタインの成長度合いによって
ミニチュアの縮尺を変えている。
円谷英二は馬や猪といった動物の描写も
あえてミニチュアで撮るこだわりを見せ、
冒頭のドイツ空襲、Uボート、バラゴンによる白根山のヒュッテ襲撃など、
円熟したミニチュアワークを展開している。
そして伊福部昭の音楽。
音楽担当の伊福部昭は、本作品のフランケンシュタインの主題曲に、
当時の日本では1つしかなかったバス・フルートという
低音の楽器を借りて使用している。
本来、この楽器は低音すぎて
オーケストラなどで利用価値のないものとされているが、
伊福部は「映画音楽しかできませんね」と、
マイクロフォンによる採音技法で見事にこれを活かしてみせている。
フランケンシュタインの巨大化に伴い楽器編成も厚くなるが、
その心が表れると恐怖表現のトレモロ奏法がなくなるなど、
音楽によるキャラクターの性格付けが意図されている。
この大作曲家なしに、東宝怪獣映画は成立しない。
本多猪四郎監督で、主演も高島忠夫。
東宝ゴジラお馴染みの座組で、昭和41年(1966)アメリカ進出も目指した作品。
半ば伝説と化している本作、私の前提知識はこれくらい。
では、雨のそぼ降る池袋へ。
《 開演 》
まあ、酷いもんですね。
みうらじゅんの指摘はヌルく、この頃すでに東宝は頭から腐ってます。
こんなトップの元、現場は頑張ってますよ。まるで日本社会の縮図。
エンディングがタコかどうかとか、服も巨大化するのかとか、
そんなことは、どーでもいいです。
人間パートのクソさは、”邦画はダメ”の展示会。
そりゃ、円谷は独立して、TVでウルトラマン撮りますよ。
才能あれば、離れますね。
音楽の伊福部昭は別格。
風格あり、かつ適切な劇伴は古今東西でも劇レアでしょう。
特撮の円谷英二はじめ美術全般。
とくに昭和40年代のメカメカしいセットは素晴らしい。
特撮のみならず、人間パートでも撮影は奮闘してます。
脚本の惨さは、”アメリカの介入が”、とか言い訳になりません。
クソな人間バート削れよ。円谷に尺渡せよ。
科学的な嘘(SF)は真面目につけよ。リサーチして。
むしろアメリカのクレームは至極真っ当で、
東映の怠慢と断じます。
脚本家の木村武に、ヤル気が有ったとて、
幹細胞や放射線の人体への影響について、
科学の嘘が書けるんですか?
イデオロギーで反戦、反核は設定出来ても、
鑑賞に耐えうる強度を持つSFのディテールは無理と見えます。
根本的な能力不足でしょう。
全米の観客を納得させるには、
ベネディクト・プロがお座なり設定に、監修を要求するのは当然です。
当時の東宝は、ハコモノ行政か。
現在のTOHOシネマズに続く、劇場と配給のプラットフォーマーであり、
TVに押される1970年代には、製作を分離。
コンテンツメイカー側の初代社長に就任した田中友幸は、
ゴジラの生みの親でありながら、
この時期、
怪獣特撮ものを、お座なりなプロダクトにしてしまった。
カネドブなクールジャパンの経産省と、
今でもガイナックス世代の庵野秀明や山崎貴が、
日本のコンテンツ文化を守る為に戦ってる現状は象徴的で、
歴史の輪廻とも呼ぶべき、硬直した組織vs現場クリエータの物語で、
東宝ゴジラの変遷に想いを馳せてしまいます。
役人が海外で儲けようと、素人の安易な発想の如く。
本作を観れば、
意思決定の根本が既にダメと伺えます。
子供だましが過ぎる。
この国は、
頭から腐って、
大災害で目覚め、カウンターが生まれ、
カウンター主流となり復活。
また頭が腐る。
の繰り返しだな。
そんな鑑賞後感でした。
映画単体として語るべきこと無いので、
本記事では、
本作から”邦画ダメ遺伝子”を読み取り、
東宝ゴジラを中心に、
組織腐敗と厄災と再生の物語を追いかけます。
※あらすじ紹介は散々されて、その範囲でネタバレします。
1.科学の嘘の雑 邦画実写の怠惰
2.映像へSFが ガイナックス世代とガンダムの登場
3.災害と行政と自衛隊 押井守、原恵一、庵野秀明
4.組織や官僚の描写 君塚良一、佐藤優、シン・ゴジラ
5.主張vsリアリティとダメ遺伝子 黒沢清と濵口竜介
6.ゴジラ再興が、今もハコモノ行政と戦う
因みに、
本作で思い出した。
「シン・ゴジラ」に対し、
鑑賞に耐えうる強度を持つディテールよりも、
左翼的イデオロギーを優先すべしとの旨、
発言していた、てらさわホーク界隈。
映画をプロパガンダの道具にする彼らの行為は、
一生忘れません。
1.科学の嘘の雑 邦画実写の怠惰
SFは科学の虚構として成立するもの。
ですが、
空想の産物に、
リアリティを与え、客を納得させるには、
”ミノフスキー粒子”的な科学的嘘が必要だったりする。
ガンダムはアニメで、
実写の日本映画である本作は、設定を放り出すだけ。
細胞を培養どころか、観測内容すら描写されず、
人間パートの主役たちの研究は、口だけ、
基礎データの記録すら怪しく、管理は杜撰の極み。
幹細胞技術は、ノーベル賞以上の世紀の大発見ですが、
本作には、バイオ技術の知見は全く見当たりません。
高島忠夫たちは、なんの研究をしてるのでしょうか、
あんな連中に任せてはいけない。重要な研究です。
百歩譲って、
放射線の細胞核への影響を、あの主人公たちが研究してたとして、
ベネディクト・プロが口を挟まなければ、
広島の科学者の姿を描けたのでしょうか?
取材したのでしょうか?
作り手に、そんな意識は見当たりません。
情緒的に、反核の物語は作れたとしても、科学的知見は皆無。
有ったら、もっと上手く嘘をつくでしょう。
もう、原作無しでは、
日本の実写映画はディテールまで想像が及ばない、
お座なりな脚本がまかり通る。
そんな沈みゆく時代。
原作が真面目な企画なら、
まだまだ、現場は頑張るんだよなぁ。
(「さよならジュピター」がトドメだけど、
やはり壮大過ぎるのは、アニメじゃないと描けないか)
2.映像へSFが ガイナックス世代とガンダムの登場
小松左京の頃、日本のSF小説も隆盛を極めた。
米ソ核開発を背景に発展した海外のSF小説が、
アーサー・C・クラークはじめハヤカワに届いた。
さらに、
「スターウォーズ」登場して、富野由悠季のガンダムと、
円谷特撮で育った世代が、
漸く映像でも、SF設定を真面目に取り組めるようになった。
本作観ては、そう納得せざるを得ない。
怪獣特撮にリアリティを与え、復権したのは、
大映製作の平成ガメラと言われ、
作品主義も許されたロマンポルノ出身の金子修介監督に、
特撮は、言わずとしれた樋口真嗣で、
脚本は押井守のパートナー伊藤和典。
老舗の日本実写映画は何してたんだろう?
本作観ては、そう疑問が湧く。
昭和では、田中友幸の贖罪のような84年版が最後の良心なのか。
東宝シンデレラ沢口靖子は鮮明に覚えている。
3.災害と行政と自衛隊 押井守、原恵一、庵野秀明
科学的嘘も然ることながら、
災害時における行政の対応、とりわけ自衛隊の出動が、
真面目に描かれるには、
実写映画は、ずっと無力だったと思われます。
(日本映画界には左翼思想が色濃いし、、)
本作では、
少年脱走後、主人公たちの追跡は、全く必然性の無いシーケンス。
まともなリアリティなら、
自衛隊が出動する災害では、行政の災害対策本部が記者会見するはず。
説明に成ってない説明に、
なんら緊迫感を産まないリアリティ皆無の右往左往、
本当に尺の無駄でした。円谷の特撮に譲れよ。
行政警察活動がリアルに描かれるのは、(検索の限りでは)
押井守&伊藤和典の「パトレイバー」(1993年)かららしい。
カンボジアPKO派遣から発想したと言われ、
地下鉄サリンは95年なので作品が先。
さらに、阪神淡路大震災の後、
明確に具現化したのは、原恵一。「クレしん」(1999年)
東日本大震災から、「シン・ゴジラ」が完全オマージュ。
押井守が先鞭をつけ、原恵一が実現し、庵野秀明が完成形。
だとすると、
全てアニメ畑の人達。
実写の日本映画界は何してたの?
本作の当時、
戦後まだ、悲惨な災害に襲われて無いとは言え、
子供だましが過ぎて、呆れてしまいました。
4.組織や官僚の描写 君塚良一、佐藤優、シン・ゴジラ
「踊る大捜査線」から何年経ってるんだよ、
学生が作ってるのか?
組織を描けず、そうツッコんでしまう作品は現在でも。
東宝だって、
「八甲田山」のように、日本型社会のマネジメント描く作品も配給しましたよ。
原作有りきですけど。
それでも、
”邦画は”、組織が描けない、ディテールがお座なりと、
一括りに言われても、擁護は出来ない。
今でも、しばしば。

佐藤優が2005年、官僚機構の内幕を暴露。
「踊る」のキャリア・ノンキャリアの構造に実感を与えた。
「シンゴジ」では、本作の欠点を克服。
無駄な人間パートをバッサリ省略。
国家レベルの意思決定のみならず、
官僚という人種の生態まで描く。
それだって、もう10年前なのだから。
自主制作じゃないんだし。
映画館で、そんな残念は避けたいですね。
5.主張vsリアリティとダメ遺伝子 黒沢清と濵口竜介
黒沢清と濵口竜介のツーショットが、象徴的だなぁと、
本作鑑賞中によぎる。
ディテールへの忠実より、作為や主張が勝ってしまう。
虚構の嘘は、もうちょと誠実についてよ。
国家権力を批判するのに、肝心の対象をご都合で描いては、
ただのプロパガンダ。
組織が描けない作品に、そのパターンは多いかなあ。。
私にとって、
今年不満が残る日本映画は全て医療がらみ。
アレとか、コレとか、ソレとか。
感染症、高齢者介護、終末ケアと、タイプは違えど、
どれも、
作り手が真面目に取り組んでるとは思えない。
材料として使っただけ。
まあ、勝手に期待を裏切られただけですが、残念至極。
リサーチしたのかな? と疑う、
杜撰なディテールで、お座なりな作劇は、
”ダメな邦画”の遺伝子で、
説明された風であれば、それで納得する、
舐められて当然の観客が育んだ。とも思う。
ガイナックス世代の気質は、それを嫌った作劇。
が、そんなヲタクはデッド。大衆化した自認溢れる。
(石ノ森の漫画の仮面ライダーを”原作”と呼んだり)
調べることもなく、説明を待つ。
6.ゴジラ再興が、今もハコモノ行政と戦う
東日本大震災の後が「シン・ゴジラ」で、
コロナの明けに、「ゴジラ-1.0」
現在も厄災と戦っているらしい。
責任取らず、そのまま居座り、看板だけ代える。
結果が伴わなければ、交代させる事が出来る。
これが最低限大事。民主主義かどうかよりも。
現実は、官僚は居座り、責任を取らない。
株式会社なら、
投資家は経済的損失を負い、
代理人たる経営者は株主総会で解任。
それだけでも、
学校では教わらない資本主義は、マシに見えます。
経産省の破壊に、
二人のゴジラ監督が抗う。
その予算を、文化庁に渡して、
アニメや特撮含む日本の文化財保護に使えよせめて。
労働環境の改善を助成するなら、厚労省だし。
映画界のダメから、国のダメへ、
歴史は繰り返す。
本作では、
無駄な人間パートを削減して、
円谷特撮に振り分けて欲しかったし、
最初から、そう要求されていた。
撮る前に、誰か止めてよ。あの人間パート。
客としては、
せめて、作劇の不誠実にはノーと言いたい。
予算の不足しか見えないのは節穴が過ぎるし、
説明しないのは構わないが、
説明した風で、肝心の部分に触れない。はぐらかす。
そんな誤魔化しを”説明充分”とは呼ばない。
自分の脳がラク出来る事と、作品の出来は関係無い。
本作観て、そんなこと去来しました。
客舐め過ぎの果てに、
円谷は独立して、TV観た子供が、ゴジラも救う。
作品自体は、お奨め出来ませんが、
日本特撮の歴史的転換を体感出来ます。
本作も、日本の神話の一部でした。
2026.09.08 15:30現在
-2σから20MAまでのリバンドも抵抗強し。
ここで隠線なのか。元気なさそうに見えます。
