「雨月物語」納得行かず、「地獄門」比較( •ω•˘ )φ ”社会批判が偉い”は菊池寛も解さない、と教わる。


祇園の姉妹」に続き神保町シアターへ。


昭和20年後半は、
大映中心にヨーロッパの賞ラッシュの時代。
 昭和23年(1948年)永田雅一が大映オーナーに復帰。
 昭和26年(1951年)黒澤明監督「羅生門」(大映)がベネチアでグランプリ。
           シネマ旬報5位。         
           当初、”訳が分からん”と永田激怒。
           その後、海外で認められる企画も積極的に展開。
 昭和27年(1952年)溝口健二監督「西鶴一代女」(新東宝)がベネチア国際賞。
 昭和28年(1953年)溝口健二監督「雨月物語」(大映)がベネチア銀獅子賞。
 昭和28年(1953年)衣笠貞之助監督「地獄門」(大映)がカンヌパルムドール。
           大映最初のカラー作品。
           永田が社の反対押し切り、巨額投じる。
           シネマ旬報20位(!)。         
 昭和29年(1954年)溝口健二監督「山椒大夫」(大映)がベネチア銀獅子賞。

先に観た、  
怪談」は、
昭和40年(1965年)小林正樹監督(にんじんくらぶ)でカンヌ審査員特別賞。
 オムニバスでなく、一遍ごと独立した連作なら、
 にんじんくらぶ倒産せずともと、私は惜しむ。
 プロデューサが制作をグリップ出来なかった。

圧倒的な映像美と、オリエンタリズムの高下駄で、
「雨月物語」10年来の二匹目のドジョウの企画意図とも見えた。
 
溝口健二のベネチア三連続の中から、「雨月物語」をチョイス。
「怪談」との比較の意味も込めて、
 
 
改めての予習は無く、小雨気味でも外出。
 
 《 開演 》
 
期待を大幅に下回りました。
「雨月物語」の方が、
 前年実績&オリエンタリズムの高下駄
に見えた。
 
 代名詞の長回しは、
  ギミックに過ぎず、
  画面から緊張感が消えて、弛緩している。
 
 社会は描かず、
  突然イベントが起こるだけ、
  「残菊物語」では、
   執拗に生活や風俗を描いたのに、

   同一の監督とは、思えない。
 
 テーマは、
  イソップ童話や「花咲か爺さん」のような分かり易さ。
  反戦や女性搾取も安い。
  冷徹なリアリズムは影も無く。
 
 美術や撮影は、変わらずとも、
  写実でなく、幻想を描くのなら、
  溝口健二の必然性有るのかな。疑問。
 
 
制球力は素晴らしくとも、球威は感じない。
腑抜けたよう。精密な設計がユルい。
この頃から、
 露骨な賞狙いで、”置きに行っている”
巨匠にしても、既に企画されたのかぁ。。。
欲が災いとは、作品の教訓。
 
翌年の「山椒大夫」は反省も踏まえ、
原点回帰も窺えたと聞くも、
ま、取り敢えず本作は、
溝口健二の必然性の無く、名声と得た。と見えた。
  
 
あまりに無念で、google先生に訊く。
 幻想はギミックで、画面は弛緩。
 他の監督に撮らすべき企画では?
 
先生の曰く、 
 「怪談」や「地獄門」と比較してはどうかと、
私は応えて、
 「怪談」は時代が違うし、整理が悪いし、一旦置いて。
 「地獄門」が素晴らしいなら、それで充分じゃん。
先生も遂に、異を唱えない。
 
更に、溝口健二に比べ、
衣笠貞之助の評価が、不当に低い理由を教わる。
映像の完成度高いこと、双璧とも思えるのに。

 
 
当時存在した日本の映画評論について、
そのダメさは、
大映初のカラー作品観てからじゃないと、断定出来ないや。
急にスクリーンでは難しく、アマプラで観る。
https://amzn.to/4r0w4VL
 
※「雨月物語」の感想は以上で、
 ここから「地獄門」について。
 「地獄門」のネタバレも若干します。
 テーマ性を語ると致し方無し。
 
 《 開演 》
  
配信でも、凄すぎて震えました。
「パリ・テキサス」の初見と同じ感覚でした。

 同じくパルムドール。
うーん、 
昭和28年の日本は、これを評価出来ないのか、、
 
なるほど、
仰る通りだ、
当時の日本の映画評論には、文学的素養が無い。
 反戦や女性搾取は分かり易くて、飛びつくが、
 時代性もイデオロギーも無関係に存在するテーマ、
 菊池寛の文学では、
 鑑賞する為の補助線を、批評家たちは自分で引けない。
彼らは、テーマを解さず、
菊池寛も衣笠貞之助もただの娯楽だとしか消化出来ない。
 
近年の例だと、
ノマドランド」「君たちはどう生きるか」など、


アカデミーで評価される意味が理解出来ないとか。
昭和20年後半は、それがプロの評論かよ。
小難しい理屈垂れるくせに。
 
 
日本は文学にも、優れたる国だと思う、
と同時に、
作品を読み解いて、客に補助線を引くのが、
評論の意義でもあると思うのだが。
うーん、
後に、ロマンポルノでも、神代辰巳を評価出来たのは、
中上健次が左翼に好まれる要素有ったからかなぁ。
 
 
兎も角も、
検索して更に会話。当時の状況を教わり、 
映画評論のダメさに憤りを感じてしまった。 
そりゃ、死滅するよ。。音楽や文芸に比べても、
信頼を失うよ。
(オールドメディアとか、野党とか、
 結局イデオロギーと批判だけ。に似ている)
 
 
以下、 
PC画面で、広告付きでしたが、順に。

 
 1.近代文学なテーマ性(ネタバレ有り)
 2.人物造形、キャストと解像度高い演技(ネタバレ有り)
 3.”映画は馬”を、あの装束、あの色彩で(ネタバレ有り)
 4.娯楽がアートで、文学性は検知されない
 
 比較します。
  日本で、溝口健二最高傑作の呼び声もある「雨月物語」
  (わたしゃ、「残菊物語」から劣ると思いますが)
  と、 
  凄くても国内で評価されない「地獄門」を。
 
 
 
1.近代文学なテーマ性(ネタバレ有り)
 最初、歴史絵巻で始まり、
 (平家物語でも、もっと有名なクダリしか知らない私は)
 一生懸命キャッチアップしつつ、
 大映初めてのカラーとは思えない色彩設計に、
 圧倒されてました。
 完全なデジタル修復で、IMAXで観たいものです。
 
 セットアップから後、
 時代考証と現代劇のバランス取ってるんだなと理解し、 
 メロドラマに転調したのかと、気づく。
 段々と、
 当代きっての大スターがストーカー化?

 そして、
 夫役の山形勲が独白が衝撃。

  信頼して貰えなかったと、嘆く。
 人格者で地位も有り、
 二人は愛情通わせ、仲睦まじい夫婦でも。。
 無念にも、妻から悩みを打ち明けてもらえず。
  人間という生き物は、
  他者と本当には解り合うことは出来ない。
 そんな絶望に到達してしまう。
 単に、
 ”死を悲しむ”で終わらせないのが、菊池寛。 
 
 受けての長谷川一夫は、
  自死もせず、一生妄執から抜け出せまい。
  ただ去るのみ。
 終わりが無いのが終わり。
 
 この世に人間として生まれた地獄を描いて容赦無い。
 時代も社会も問わない普遍、
 情念さえも超越して、
 近代文学者菊池寛の本領でしたね。
 映像で応えた衣笠貞之助も素晴らしい。
 
 ところが、 
 google先生によると、
  当時の日本の映画評論界は、
  文学の素養無く、
  この到達が分からない朴念仁ばかりで、
  菊池寛も衣笠貞之助も、ただの娯楽と舐めた扱い。
  キネマ旬報20位が、それを示している。
  (芥川龍之介&黒澤明も5位)

  話はそれで終わらず、
  カンヌ審査員はフランスの文豪ジャン・コクトーで、
  当然の如く、作品の価値を見抜く。
  
  慌てた評論家たちは、”オリエンタリズムの高下駄”と貶める。
  「雨月物語」は絶賛したんだろ?
  ジャン・コクトーまで舐めている。
 
 
 「雨月物語」のテーマは童話のように平易で、
 社会はむしろ写実せず。
 しかも、
 反戦、女性搾取の文脈で飛びつき易い。安い。
 
 審査員が、まことの芸術家で唯一救い。
 それでも、
 正当に評価されない衣笠貞之助は気の毒である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E4%B9%8B%E4%B8%9E%E5%A4%89%E5%8C%96
    
 
 私は問い、  
  テーマは童話で、幻想を描く「雨月物語」に、
  写実を失っては、
  溝口健二の必然性無くね?
  (ギミックが観たけりゃ、
   古い映画ならヒチコックで済むし)
 
 私は肯定した。
  衣笠貞之助「地獄門」が凌駕していると。
 
 
  
2.人物造形、キャストと解像度高い演技(ネタバレ有り)
 写実を旨とする溝口健二なら、演技は自然を良しとして、
 演技が過ぎるとOKは出ない。だろう。
 多少棒でも、逆に構わない。
 
 衣笠貞之助「地獄門」では、セリフも説明もギリで、
 演技で、やるせなさを表現せねば伝わらない。
 
 高畑勲がモデルとしたであろう京マチ子は、 
  魔性の中にも、凛とした決意を秘める。

 
 山形勲の造形は素晴らしく。
  大人としての余裕を見せ、完璧超人の佇まい。
  なのに疎通出来ず、結局無力。からの絶望。

 更に、

 大映の重役兼大看板には、
  武士の風上に置ける要素はミリも無い、
  死も儘ならない情けなさ。容赦無さ。
  ちゃんと目がイッてる。
 
  
 そんな人格設計に、
 高い解像度で演者は応えている。
 褒めろよ。
 
 
 
3.”映画は馬”を、あの装束、あの色彩で(ネタバレ有り)
 映像は色彩だけでなく、
 カット割から構図から、まったく隙が無いのだが、、
 ”長回し”というブランドなら褒めるのか?
 
 少なくとも、
 ”映画は馬”なのだから、そこは認めろ。

 (ジョン・フォードも黒澤明も見事は前提として)
 平安の装束に、
 緋と紫の対称に青空の色彩で、
 馬も大迫力で、他に類を観ない仕上がり。
 
 心理劇だけでは無い。
 流石に、そこも評価しない、出来ないのは節穴が過ぎる。
 
  
 
4.娯楽がアートで、文学性は検知されない
 前回観た、鈴木清順は娯楽じゃん。 
 もっと古典でも、それこそ、 
 客にカタルシスを与えて帰す黒澤明は娯楽。
 それはそれで、当然のこと。
 手塚治虫と思えば同じ。
 
 鳥山明の画が如何程に凄くても、
 娯楽として読む。
 
 
 現実は、
 文学性が高いと摂取消化されず、娯楽部分だけが吸収され、
 高尚そうで権威が付けば、娯楽はアートに格上げ。
 
 その上、
 反戦、反女性搾取、反差別、ポリコレなら、
 無条件にポイント溜まる。我田引水な高評価も日常的。
 安くとも、有利なテーマがある。
 
 
 「地獄門」は、
 この世の苦諦を描いて、他責を許さない。
 が、
 社会批判が偉く、それのみ吸収される層には、
 時代のせい、政治のせい、
 資本主義のせい。との声が聞こえなけば、
 テーマは黙殺されガチ。
 
 仮に、
 映像の芸術性が高くても評価もされない。
 
 現実はそんなもんだと、AIは答えてくれた。
  
 
 
娯楽作なら、シンデレラストーリーは存在する。

名も無き小資本の日常系はキツイ。
海外の映画祭で、目利きに見つけて貰うしかないのかな。
そんな事、考えてしまった。
  
昔から、
日本の大手資本がヨーロッパ三大映画祭に挑んでは、
渾身から、”置きに行く”まで様々と、
今回改めて、知りました。
高下駄無しの現代劇で、評価される作品は、もちょっと後。



更に近年は、何処でもポリコレに寄せた方が優位だろう。
 
 
「ナギダイアリー」はLGBTも、ぶっ込むけれど、

松たか子の演技が女優賞に値するのかどうかだけでも、見届けたい。
映像はイケてるようだけどなぁ。
深田監督が誠実に作って、評価されてくんないと、キツイなぁ。
アザといのはキツイ。窒息してしまいそう。
 
いや、是枝監督が、

 安牌な原作ものに手を出した理由は知らねど、
 職業監督的に評価されるなら、
それはそれで素晴らしいこと。とは思ってる。
それより、
イ・チャンドンやマーティン・マクドナーの出来良くて、
日本公開されるなら喜ばしいと、そちらをより注目だけど。
  
 
そんなことより今回、
溝口健二のベネチア受賞作から選ぶなら、
「西鶴一代女」か「山椒大夫」を選びたいか。。


 
 
 
日本の音階って、こういうオリエンタル。


 
 
 
2026.09.10 20:00現在
 今日は陽線で少し盛り返したけれど、
 -2σにタッチしそう。前の安値目指しそうかな。

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