「愛のコリーダ」爽快な殺気100%の一発撮り\(⊙⊙;)/ 社会へ憤怒の確信犯vs昭和の国家のメンツ


遂にスクリーンで鑑賞。(ボカシ入り版ですが)


大島渚の足跡は、雑には承知。
独立プロを解散し、プランス発の企画で海外へ本格的にアクセス。
理不尽かつ愚かなムラ社会への怒りも、此処に極まれり。
 
題材は同じで、前年公開と先行する田中登「実録阿部定」(1975)は鑑賞済。

このクオリティ観ては、避けるのが普通かと。
 プロデューサ共々、一段と闘志燃やしたのか?
企画意図にも興味湧いた。(後述)
 
連休中の日曜朝から池袋東口へ。
 
 
 
 《 開演 》
 
 
 
タブーに挑む、ロマンポルノへの挑戦が、ビシビシと伝わる。
日本社会に対する愛憎凄まじく、欲情するか微妙。
むしろ畏敬に近い感情が湧きます。
 
死力尽くした精緻な銀幕に殺気登り立ち、まずは圧倒されます。
(配信で観て、日本社会の枠どおり、 
 しょーもない感想しか抱けないのは勿体無い)
 
70年代の日本社会の枠。
令和の眼で観ては、
成人指定なのに、局部が見えるかどうかだけに拘るのは、
国家権力のみならず、社会全体がズレている。
天使っぽく、無邪気に裸で走り回る児童にもボカシ入り、

 いや、規制すべきは其処じゃねーだろ!
とツッコミ入れてしまう。(現在の感想でもズレた儘か、、)
 近代思想を折衷案で取り入れた、悪い面が出てるな。
 マッカーサーに14才と言われるのは、そういうとこだよ。
この社会の後進性に、
法学部出身で、尚更怒りを燃やし続けたと知る。(後述)
 
  
より一層、
一発撮り、真剣勝負。フェアな姿勢が爽快。(後述)
技術さんも職人冥利に尽きる。
トチる場面もOK出してて驚きつつ、
リアルな鮮度をそのまま出すとは、こういうことかと。
相米作品の直後なので、なおさらの納得を得ました。
 
 
個別に、
 
 1.作劇意図 「実録阿部定」と比較
 2.他では出来ない唯一無二
 2.1.ジャポニズムの美術 固定で撮る
 2.2.アップも壮絶 カメラの寄りとメイク
 2.3.本番一発撮りならでは 監督の責任
 2.4.良き編集 瓢箪から駒
 3.公序良俗と法 日本らしい
 3.1.この映画に子供出す方が
 3.2.ゾーニングが先でしょ 
 3.3.規制がチグハグな訳 
 4.怒りの源泉 ポルノ裁判の軌跡
 
 
    
ストーリー自体は、田中版と同じく、事件に忠実。

※あとはネタバレどうか関係無い。と判断。 
 
 
1.作劇意図 「実録阿部定」と比較
 裁判記録など、調べたと窺われる。
 田中登版と同じエピソードも採用して、
  芸者の前で裸
  しいたけ
  換気もしない部屋
  校長先生 
  226
  二人きり
 なるほど、本作だけでは判りにくいストーリー追えます。
 
 ええ、単体でストーリー分からなくて当然。
 やたらと、手数多いもの。エロの。 
 
 宮下順子主演作の方は、
 ロマンポルノの枠組みの中で、完成度の高い文芸作。
 特に、美術と撮影は高品位。低予算と思えない。
 史実にも忠実なディテールと想像される。
 
 本作は、
 エロ全開でタブーに挑戦。が大前提。
 フランスに日本のロマンポルノを輸出するのだから、
 ジャポニズムな美術には、一切の妥協無し。
 ただし史実に囚われず、
 シュールでマジックなリアリズム可、自由なセンス爆発。
 憎んでるだけでは、こうも成らない。
 
 予算も付いて 
 資金難にあえぐ大映京都の全面協力で、ほぼセット。
 美術、照明、メイク、カメラ、命がけの役者が揃い。
 日本映画の実力を余す処無く発揮。
   
 
 作劇の意図が違う。
 フランスのプロデューサは、
 題材同じも領域被らず、モロ出し勝負を挑んだ。
 比較すると、
 情念に寄せてないかな。
 性と生そのものを描きたいと伝わる。
 
 
 
 2.他では出来ない唯一無二
 なにより、
 製作サイドも、スタッフも役者も、
 捕まる覚悟、干される覚悟で挑んだ本作ですから、
 最初は、この殺気100%の映像を褒めたい。
 
 
  2.1.ジャポニズムの美術 固定で撮る
https://eiga.com/movie/2585/gallery/6/
  田中版に負けじ、美術にセットの気合すげぇと、
  単純に観始めました。
  大島渚にしては、カメラ固定でしっかり魅せてくれる。
  
  ところが、
  上空アングルの画の中心は中庭で、鳥居の頭が明確におかしい。
https://eiga.com/movie/2585/gallery/8/
    
  ああ、フランス向けに、サービス精神満載と分かる。
  浮世絵みたいなジャポニズムの様式美がシュール。

  戸田重昌の全力に恐れ入ります。意匠までくわえる。
  (この時点で、”芸術”と判断されるのは当然でもあるが、、)
 
  
 2.2.アップも壮絶 カメラの寄りとメイク
  色彩や構図だけでなく、ズームアップもゾクゾクと。
  干される覚悟の役者の殺気に圧倒され。
https://eiga.com/movie/2585/gallery/
   ようやく大画面で拝む。  
  カラミでもギリ崩れない大沢菊江のヘアを乗せて、
  竹村幸二の化粧。本当に凄い人。
  静脈の蒼は、なかなか捉えられない。
  死の匂い。こうでなくては。
 
 
 2.3.本番一発撮りならでは 監督の責任
  午前中はスタッフと入念に打ち合わせ、
  午後から撮影は、リハ無し本番一発撮り。やり直しも嫌った。
  役者以外も登用し、下手でもお構いなし。
 
  念写のような気迫、
  だけでなく同時に責任も引き受けた。
  それが爽快でしたね。
  
  自分でキャスティングしておいて、イメージに合わないとか、
  空虚で支配的な、
  80年代の嫌なとこ煮詰めた相米作品の直後だったので、
  
  60年代安保闘争以来の怒りから、
  70年代独立系ヤりたい放題の全力が、
   干されたり、
   借金背負ったり、
   捕まったり、
  自らリスクテイクで、これだけの作品に結実。
  真剣勝負ならでは。

  それを美しい状態で、ボカシ入りとは言え、
  スクリーンで鑑賞できて、この上ない快感でした。
 
  独立プロ解散したのは、
  これで捕まって最期の映画でも。と覚悟したからか。

  google先生に、
  こんな映像残す類似の監督を挙げて と頼んだ。
   うーん、そこまででは、、
  何人かの名前にピンと来ない。
  やはり、北野武が直系じゃないかな。
  捕まる人は面構えが違う。

  深作欣二が降りて、画は頭の中で出来てて早撮り。
  陰影濃い画面に乾いたノワール。
  松竹の奥山Pだったのか、東映じゃない。
  
  とかく、
  いつまでもOK出さないのが神話のように扱われガチ。
  だけど、
  予算もスケジュールも超過は監督の責任で、
  その上興収でリターン出来ず、借金も他人が負うのは、    
  崇めちゃいけない。
  鑑賞しても、物語に関わらず、不快が空気感に残る。
 
  そういう嫌な処が一つも無く。
  監督はじめ、スタッフ演者も皆、
  ”泳げたいやきくん”のような働きで、このクオリティ。
  しかも、
  ちゃんと捕まるような問題作。
  後進的な世情も相まって、70年代の奇跡と思う。
 
  
 2.4.良き編集 瓢箪から駒
  撮影後、
  フィルムの現像から編集、完成までは、
  国内法が及ばない、フランスへ空輸して行った。
  (デジタルなら現行犯)
    
  結果、編集パトリック・スピネで、
  それは、功を奏した。と観てました。
  パノラマ的長回しを感じないのは、この編集の為か。
   
  次から次へと、エロシーン繰り出す。
  情緒に寄り過ぎない。日本映画らしからぬ。
  尺の都合か圧縮もされ、さっさと終わる。
  これが良かった。私には。

  説明を排除し、即物的でひんやり乾いた質感を伝える、
  
  フレンチ・ノワールのテイスト。

  テンポよく、鬱陶しい説明が一切無い。
  言い訳がましい映像からは、爽快さは生まれない。
   
  反面、
  ストーリー見失っても仕方ないが、
  既に田中登版を観てる私には知ったことじゃない。
  法のすり抜け以外で、和洋折衷の恩恵を私は受けました。
  
 
 
3.公序良俗と法 日本らしい
 性暴力、虐待、搾取などの犯罪を助長という内容ではない。
 私には、そう映った。
 
 陰茎切り取り以外にも、変態で倒錯的ではあるけれど、
 史実に基づき、
 狂った純愛であるが、日本伝統の心中ものとも。
 
 田中登版と違い、確信犯的に前張り貼らず、
 モロ出しだけど、
 そこが、問題なのかぁ。。
 成人指定なら、ところ構わず陳列してもない。
 
 令和の眼では、
 わいせつか芸術か、が争われる社会が滑稽に思えた。
 規制すべきは、そこか? 
 
 
 3.1.この映画に子供出す方が
  今だと、そっちがアウトだろう。
  ボカシ入れるかどうかで争って、
   子供の出演はスルーかよ。問題視しないんだ
 
  校則みたい。
  優先順位は、そう決まっているかどうか。
  実害は関係無し。
  
  大島渚が人間の自由を全肯定しているのは分かる。
  国家の法が、それと対決することも有ろう。
  しかし、規制の内容はズレてる。
  
  子供は、自己決定に責任負えない。
  ”本人の意思で出演した”じゃ通らない。
  これは、表現の自由より先んじるべき問題じゃないの。
  人間の自由を重んじるなら尚更。
  
  当時でも、ヨーロッパの先進国なら、
  そういう問題にセンシティブじゃないかな。
  googleの野郎に質問すると、
  シラを切る。児童の出演は無いという。
   オレは、この眼で見たんだよ!
   児童出演に対するヨーロッパの反応は?
   流石に、この映画に出演はアウトじゃねぇの?
  探せよ。

  まあ、そうだよな。  
  押し問答の末、やっとBBCか、どこかの記事を見つけてくる。
  やはり、問題視された記録は有り、
  後に大島渚は、配慮不足を認めたらしい。
  その点、フェアに戦ってる。
  
  局部が映ってるかだけ、そんなに重要なのか、、
  
 
 3.2.ゾーニングが先でしょ 
  更に、googleに尋ねると、
  映画の過激なポスターが商店街にも張り出され、
  PTAなどからも苦情が来たらしい。
  
  それって、成人映画の監督の問題か?
  コンビニでエロ本売らなくても、ってのと一緒で、

  ゾーニングの問題じゃねぇの。
  条例がダメなら、国の法律でもいいけど、
  貼り出す業者が取り締まるべき対象でしょう。
 
  当時は、ゾーニングという概念は普及してないらしい。
  それで、
  見えたかどうかで争う、それが社会現象。
  社会が、愚かで狂ってないかなぁ。
  手段と目的の関係や、優先順位付けに、合理性を全く感じない。  
 
  ま、取り敢えず、
  大島渚が怒りを蓄えるには充分な理不尽かな。
 
  
 
 3.3.規制がチグハグな訳 
  昔と今では、感覚が違うから、
  ボカシの有無や範囲は、変化あり得るだろうけど、
  
  自己決定出来ない状態での性的な、
  暴力、搾取、虐待etcに、
  接触しそうな問題はスルーなの。
  
  googleに訊いた限りでは、
   当時、そういう問題意識は無く、
   見える見えないのイタチごっこが続き、
   中でも、元から尖っていた大島渚が、
   法の抜け道を見つけたウルトラC決行に対し、
  検察はメンツに懸けて立件したらしい。
   
 
   
4.怒りの源泉 ポルノ裁判の軌跡
 閉鎖的な社会に対する怒りから、
 表現の自由で、
 国家の司法と対決に至る経緯を確認してみた。
 
 1972年(昭和47)日活ロマンポルノ事件

日本映画界の自主統制機関である
映画倫理委員会が審査した成人映画が、
刑法の猥褻図画公然陳列罪容疑で起訴され、
日活ロマンポルノが『芸術か猥褻か』が裁判で問われ、
刑事訴訟に発展した事件である。
起訴された被告は、全員無罪が確定した。

  映倫の規制を越えて、起訴したのもポイント。
  裁判で証言したのは独立系の監督で、大島渚は中心人物。

また大島渚、今村昌平、新藤兼人ら映画監督、
映画評論家も証言台に立ち、大論争が巻き起こった。
日活ロマンポルノ裁判は足かけ9年続いた。

 
 1978年(昭和53)無罪判決。
  結果、映倫の自主規制がお墨付きを得る。

一審の東京地方裁判所は無罪判決を下した。
判決では
「性描写をどこまで許すかは、
時代と共に変わる社会的通念による。」
とした上で
「映倫の審査はすでに一定の社会的評価、
信頼が確立されており、
映倫の審査を尊重するべき」とした。

  上告も棄却され、検察はメンツ潰れる。
 
 
 1976年(昭和51)「愛のコリーダ」公開

この作品の脚本と宣伝用写真等を掲載した同題名の書籍が
三一書房から発行されたが、
その一部がわいせつ文書図画に当たるとして、
警視庁からわいせつ物頒布罪で
監督と出版社社長が検挙起訴された。
対する被告人側は
「刑法175条は憲法違反である」と主張し憲法判断を求めた。

  映画ではなく、関連書籍で起訴。
  検察は、ヤる気満々の大島渚側の挑発に乗ったきらいはある。
 
 
 1981年(昭和51)東京高裁判決、無罪確定。

一審二審とも従来の判例を基本的に維持しながらも、
「当該書籍はわいせつ物に当たらない」
として無罪とした。

  発禁の行政処分は可能か分からないけど、
  脚本とスチール写真で映画監督の送検は、強引過ぎて、、
  出版元の罰金くらいが関の山じゃないの。
 
  常に、理不尽な社会に怒りをたぎらせ、
  巨大な敵に立ち向かった闘牛士は、
  無罪は歓迎したけれど、
  ”芸術だからセーフ”は不本意だったかもしれない。
  
  芸術だからと、擁護してくれた味方には囲まれたらしいが、
  理解者は少なかった様子。 
 
 
 判決の同年、宇宙企画創業。
  ビデオという媒体が社会を変えた。
  アダルトにも積極的だったVHSが市場を制した。
 
 うーん、   
  映ってるかどうか、それがわいせつかどうかより、
  表現の自由を制限すべき要件は他にあるだろう、
  ゾーニングが機能してるなら。
 これが、社会問題とは、
 随分と幸せな社会なのだと、未来人は思う。
   
 
役者の小松方正は、本作を観て、
 あなたは不幸な人ですね 
と監督本人に話しかけた。
 
幸せかは分からないが、
それこそフランスで制限少なく創作出来ていたら、
逆にクリエータとしては、どうだったろう。
闘牛士には成らず、
ただ理屈っぽい映画作って終わった想像もされた。
  
こんな映画は撮れそうにない。
他の誰にも、
別の時代の日本でも撮れない。
   
 
 
煩悩の舟で、業の海を征く。

子供の頃を、私も思い出す。時代変われど、、
 
 
 
2026.10.12現在
 梁大臣の報復発言は、政治の根幹に関わる。
 追求してもらいたい。が、審議拒否とか国会戦術望んでない。

 そして、
 オールドメディアに、ミソクソ一緒に批判して欲しい訳じゃない。 
 被災地で忙しい行政に、意味無い質問しかしないの本当の事。
 カレー食うのが関の山。
 利権構造の解説もyoutubeが勝る。 

  ミッチー由来で保守分裂。
  道路利権拒否で比例復活。農林vs建設のドロドロ。 
  挙句の報復発言リークは、敵も多いと知れる。
  選挙に弱いの選ばないって首相自ら言ってたじゃん。
 
 マスコミに既得権有るのだし、それくらい報道してくれよ。 
 いつもどこかズレてる。

 フェアに戦おうとする左翼は大島渚、最後の人か。
 ソビエト崩壊後は、現実が否定するし、今は表現規制の正義に付く。
 ご都合と感情消費だけ残る。
 
 
 相場は明日。押し目かどうか見極め。

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