スクリーンで観ること叶うなら、折角だから、地下鉄に乗った。
本日は相米慎二監督の25回目の御命日です。
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あの #相米慎二 にもデビュー作があった
(当たり前だけど)
\相米慎二監督デビュー作
『翔んだカップル』*オリジナル版
35㎜フィルム上映
10/10(土)~10/16(金)上映◎詳細近日 https://t.co/pctahG9c6T
— 神保町シアターのひと (@jinbocho123) September 9, 2026
TVで大昔、本作は視聴済。楽しんだはず。
内容は忘れて、ローラースケートだけ鮮明に覚えている。
むしろ、TV版の方が思い出に残っている。
桂木文の方が可愛く見えて、
轟二郎や柳沢慎吾が明るく大活躍。
H2Oの主題歌はTVからだった。
原作はまだ、連載中だったかもしれない。

同居にトキメク頃を過ぎて、ギスギスすれ違っていた気がする。
あだち充などラブコメの原型。
ラノベみたいな設定と感想も多く、笑ってしまった。
玉置浩二をコロッケのようと言うが如く。
《 開演 》
ああ、そんなだった。
薬師丸ひろ子は、
ずっと献身的で、健気。
外見は小学生と言われても納得してしまう。まだ子供。
思い詰めた表情を引き出したのは、相米慎二ならでは。
対する石原真理子は、
大学生以上にしか見えず、完成されている。
この頃は、優等生役も似合うね。
史実どおり、身を引いていた。さっさと逃げた方が。。
終盤シュールな絵柄を足すのは、デビュー作からで、
え、これで終わり!
とやはり唐突。
ヘンテコリンな展開だが、
基本、原作ダイジェストだと思われる。
この頃はまだ、脚本の意図に忠実ではある。
その為か、
演技は棒でも、若手の瑞々しさへの好感が強く残る。
画もまだ、相米節は控えめで、
随所に工夫されて、独特でも、
長回しを多用するのは、むしろ日活由来の伝統に見えた。

遠景はパノラマで魅せ、
対象の運動を丁寧に、執拗にカメラが追う。
職人監督なら、きちっとアイドル映画を撮ったはず。
原作エッセンスを抽出しながらも、
なんとも不安定で、テンポの狂う、爽やかとは言えない。
やはり、
相米ブランドの80年代青春アイドル映画に仕上げている。
相米作品の中では、本作がフェイバリット。
そんなファンも多いのではなかろうか。
監督の自意識は、このくらいのバランスでと、
私は、お願いしたい。
大変好感触でした。
オリジナル版に文句は無いものの、
フィルムかなり傷んでいて、リマスター版希望。
不満はそれだけ。
80年代の空気感を堪能しました。
それから、ようやく気づいた事あり、
以下、項目ごと語ります。
0.相米慎二 予習
1.成瀬巳喜男な訳ない 鵜呑みと韜晦
2.むしろ後期の溝口健二
3.キューブリック的な粘着質の狂気
4.ブレッソンの作劇メソッド
5.愛された理由
※ネタバレしません。
現在の眼で、コンプラ的な是非については、
先日の相米慎二特集と重複するので、今回は置きます。
0.相米慎二 予習
相米慎二フィルモグラフィまとめてから、鑑賞しました。
岩手生まれ、少年期に父死別。
後に、寺山修司に助監督として参加。
東北、父親と親和性高いが、ドロドロと上京しない。
情念や思想の継承は感じない。
徳に後年、郷愁や喪失を幻想的に描き、影響を感じる。
あくまで表現やルック。継承は限定的。
左翼に傾倒するが、時代は70年安保闘争敗北後。
団塊の世代と言えど、
師匠長谷川和彦から、ひとつ下の世代。
日活入社。
師匠や曽根中生の薫陶を受ける。
ただし作風は独特で、ダイレクトな影響とは思えない。
この時期、パワハラ気味な新人女優指導法も習得。
伊地智啓に見出される。
ディレカンへ。
師匠に賛同し、独立プロに参加。
80年代青春アイドル映画の監督に。
キティ・フィルム伊地智啓に抜擢され「翔んだカップル」で監督デビュー。
薬師丸ひろ子をパワハラ気味にしつこく指導。
同様の手法で、工藤夕貴、斉藤由貴を発掘。
最初から異能の芸風。
ノープラン(コンテ無し)でリハから段取りを作り上げてゆく。
何度もNGテイクを重ね、拷問のような時間の中で、
ただ一つの正解を見つけ出す。
編集作業もアフレコも同様にしつこい。
タイパ、コスパは極めて悪く、独立プロの経営も追い込む。
独特の長回し、カメラの暴力と言われるが、
対象を捉えることに執拗で愚直。
カットを繋いで、オサレに作ることは好まない。
(それを補うように、編集はシームレスで素晴らしいと思うが)
これで、
”成瀬巳喜男に憧れた”という発言が摩訶不思議。
なわけあるかい! とプロの評論家がツッコまないのは異様。(後述)
90年年代に作風の変化。喪失や郷愁を描く。
青春映画の後、迷走期に。
舞台演出から新たな表現も獲得し、
「お引越し」で新たな作風確立。
子ども視点、幻想シーンなど導入し、喪失や郷愁を描く。
おそらく、これが本来の資質。回帰を果たす。
世界的評価も得る。
ヨーロッパ映画祭に出展も重ね。名声も獲得。
伊地智Pの尽力もあり、
製作委員会方式の中で、映画制作を生涯続ける。
コスパの悪い制作手法は相変わらずで、
ややアート寄りの作風に、大ヒットは見込めないが、
業界内のファンも多く信頼のブランド。オファー続いた。
2001年永眠。
脚本は書かず、書けず?
書く必要に迫られず、錚々たる顔ぶれに任せる。
座組もプロデューサ主導と言える。
インディで撮るタイプではなく、
日本経済爛熟期までは、コスパ最悪の制作に耐えても、
バブル崩壊後に、どんな映画が可能か分からない。
逆に、
映画黄金期なら、遅くて不人気で会社は許さないだろう。
TVにもVシネにも流れることなく、
80年代、90年代固有の映画人生を駆け抜けた。
個人的には、
80年代の青春を描き、アイドルを輝かせた人として記憶。
どんより支配的で空虚。
暴力的であっても、70年代の破壊や爽快は無い。
そんな大人しい青春にアイドルの時代。
80年代の青春アイドル映画は、相米慎二そのもの。
この時代をフィルムに残す。
アイドル映画らしいアイドル映画とも、
大林宣彦のような普遍性を持つ青春とも違う。
しかし、
脚本と演出の意図が揃わないので、
自分で書きなよ
と毎度思ってしまう。
90年代の自身の投影を観て、余計に。
90年代以降は、内省的な自分語りをするなら、
独立系の他の監督を優先的に観たいかな。
クセ強な長回しに、賛否あると思う。
その素材で粘った編集を褒めたい。
芸風は承知して観る。が、
脚本の意図からの分裂に、ノイズ感じて苦手。
1.成瀬巳喜男な訳ない 鵜呑みと韜晦
前出のホイチョイ監督の説明通り、
成瀬巳喜男監督は、
撮影前に頭の中で画は完成されていて、さっさと撮り終える。
カット多用しテンポ良く簡潔にして分かり易い。無駄が無い。
役者の些細な演技で情感を伝える。
youtubeで鑑賞可能。観れば分かる。
まるっきり真逆。
憧れていたなら、
いくらなんでもデビュー作くらい、
その影響が見て取れるもの。それが微塵も無い。
類似は一つも無い。
これで、
枕詞のように”成瀬巳喜男に憧れて”と紹介し、
それきり思考停止して、作風に言及しないのは、
プロの批評なら、怠慢が過ぎる。
比較しないなら、戦前から活躍した巨匠の名を出す必要も無い。
明らかにおかしい。
相米慎二は、質問をはぐらかす監督である。
google先生に、他に感銘受けた作品を訊くと、
芸風がすべて真逆で、
これは敵わないと思ったであろう名作ばかり。
真に受ける方がおかしい。
意図的に嘘をついている。私はそう仮説を立てた。
比較しようもない正反対を挙げた。
手の内を明かしても、百害あって一利なし。
それに、
名作と比べられて、自ら告白するのは気恥ずかしい。
2.むしろ後期の溝口健二
更に、googleに質問。
相米慎二が、本当の意味で、影響を受けて参考にしてる監督は誰?
日活由来の近しい人達は大抵、さっさと撮る。
役者の色よりも、フレッシュに撮って出しは優先するものの、
何度も繰り返し、無職になるまでヤラせたり、
そんな執念深い撮影はしない。
何度もそれは違うと、NGを出し続けようやく、
うん、
成瀬巳喜男の名前出すくらいなら
私も端から連想していた。黙っていたが。
溝口健二の名前が挙がる。
役者には、正解を与えず、ダメ出しだけ繰り返した。
粘りに粘る。
棒でも構わないが、演技じみた芝居は嫌った。
戦前の精密な画面作りは、別種の長回しでも、
作風をモデルチェンジした戦後、「西鶴一代女」以降ならね。
絵巻物のように平面的にパノラマを意識している。
カメラ固定に拘らず、人物の運動もよく追う。
坂道の映像は、類似性があると観ていた。
演出付けるのが、監督の仕事なので、
こんなやり方が毎度では、大抵は会社が許さないだろう。
日本で他には、
「シン・仮面ライダー」で無茶振りする庵野秀明くらいしか、
私は思いつかない。
3.キューブリック的な粘着質の狂気
粘着質で、狂気じみて、役者を追い込む。
暴力的で、剥き出しの素材を好む。
そんな監督をもっと広範囲にと、googleに問う。
ピンとくる答えを返さないので、
私の知る範囲だと、
自転車やローラースケートは、若干似てるかと思ったよ。
三輪車のシーンから連想。
一連のシーケンスで、唐突に壁にぶつかる場面とか。
ラストはプツリと終わるとか。
そういう処、真似たと観ていた。
だって、「台風クラブ」は「シャイニング」だもの。
多分、シナリオにそんな意図は無くて、監督が勝手に足した。
デビュー作から、
アイドルを暴力的に追いつめる。
それで、素の表情を捉えることに成功して、
斉藤由貴まで続けた。
90年代にはアイドルの時代も終わって、
テーマは変わるが、手法は変わらず。
4.ブレッソンの作劇メソッド
他に、源流は居ないかと訊くと、
決定打と思える名前が出た。
ロベール・ブレッソンか、なるほど
ロベール・ブレッソン『田舎司祭の日記』(1951)における語りと演技
ブレッソンは職業俳優を使用せず、
ブレッソンが「モデル」と呼称する素人俳優に反復練習を課し、
自動的な演技をさせることの重要性を何度も主張している。

アマプラで確認。
その静謐は90年代相米作品にも影響を与えたか。
同じシーンを繰り返す内に、
自意識を失い、無心の自然な運動に近づく。
演者を漂白するような極めてコスパの悪い手法を採用している。
執拗に暴力的でキューブリック的支配の作風を80年代とすると、
静謐の90年代が、ブレッソンにまで回帰。
そんなとこまで、辿ろうとした。
と仮説を立てた。
成瀬巳喜男は、煙幕&照れ隠し。
2000年代に映画制作続けていたら、
素人使った低予算な実験映画撮る世界線在っただろうか。
恐らく、バブル崩壊後の予算しか調達出来ない。
死んでも早撮りは出来ない。
舞台演劇の方に向かうかもしれない。
5.愛された理由
映画でなければムリな作劇スタイルではあった。
TVドラマやVシネには、行けなかった。
映画的な映像制作しか出来なかった、
その不器用さが余計に映画ファンに愛された。
私は、
やっぱり脚本と意図が分裂されると苦手で、
自分で書きなよ言いたくなるし、
そして、
素を魅せたいなら、
新鮮なまま撮って出す工夫を尊びたいので、
苦手ですが、
唯一無二な魅力にハマる人はハマった。
相米作品の中では、私も本作がフェイバリット。
再評価されて、スクリーンで拝めて嬉しかった。
監督は粘っこく、怯え泣く演者も居たでしょうね。
令和では、ダメです。
2026.10.15 15:30現在
-2σタッチまでの下落来ました。
アメリカ利上げ観測らしいですが、
テクニカル的には、まだ前の安値試すに至らず。
まだ、レンジの動きの範囲で、
次の一波が来るかどうかが大きな転換点と見ます。
