相米慎二特集「台風クラブ」「お引越し」(´-ω-`)脚本過小、監督過大で、功罪は?

早稲田松竹の相米慎二特集。最終日に滑り込む。


「台風クラブ」は昔、TVで観て大変面白く、「レゼ編」元ネタとして最近思い出す。

「お引越し」は未見。

 
予習は、
令和ならアウト。ブラックな制作を確認。
ガチガチに計算ずくで準備しておいて、
経験の浅い若年のハプニング待ちは賛同できず。
  
 
計算して、カッチリ指示出して撮るか、
あるいは、
即興性を引き出し、応変にサクサク進むか、
どちらかの長所は欲しく、
悪いとこ取りのようなスタイルは疑問。
  
役者もスタッフも無駄な消耗が過ぎて、
そりゃ、制作会社潰す。 
それでも撮らせ続けた伊地智啓プロデューサの支援は、
溝口健二と児井英生の関係に似ている。
入れ込んだ映画監督からは報われず、娯楽作のヒットを連発。
とはいえ、
80年代の映画斜陽期に、大ヒットが見込める作風でもなく、
監督自ら借金背負わず、コスパ最悪の制作姿勢は、
あまり好感が持てない。
 
青春ものを独特の作風で撮り、
薬師丸ひろ子を輝かせた功績は大でも、
育った後には、
監督を切った角川春樹が、製作責任者として正解に思えた。
角川の宝をぞんざいに扱った以外の理由でも、見切ったはず。

 確かに、聞き手はマシな人希望。

   
今回の特集は、角川を去った後、
才能を見込まれもして、名声を確立していく時期の2本。
  
何はともあれ、
映画衰退期かつバブル経済期の稀有な作風を堪能しよう。
 
 
 《 開演 》
 
 
借金背負う気合を観た直後なのが悪かったか。
どうしても賛成出来ない。
この素材なら、別の監督で観たかったと思ってしまった。(後述)
 
私が感じた長所。
 独特の空気感は相米慎二ならでは、
 粘りに粘った編集は流石。淀みない。
 経験少ない演者を(棒のまま)長回しでイジメて成功。
 
反面短所は、
 カット割って正解は有ったな。
 抑圧が強すぎて、解放は苦手。
 どうせ棒なら、粗くても応変に即興性引き出して欲しい。
 (粘るより、直前に台本渡すなど工夫したい)
 物語と相性悪い。脚本も自分で書いたらどうかな。
 
どうしても、
「急に具合」で感じた、
”台本通りの即興”の原型を相米慎二に見てしまう。
 
 
逆に、
脚本も歌詞も専門家に任せろと酷評されながらも、
自分で書いて、自社プロで借金も背負う。
細田守は偉いんだなと、再認識した。

アニメは、
リドリー・スコットのような自己責任型に向かった。(後述) 
実写映画は、
今村ー是枝ラインが唯一のインディ生き残り。

これで長谷川和彦は終わり、
大島渚や若松孝二の死で借金背負う監督も消えた。
 
確かに、
相米監督唯一の映像表現は今も残る。
しかし、批評家が褒めるような効よりは、
次のインディの芽を潰した罪の方が大きいかな。(後述)

 
では個別に。
 1.「台風クラブ」(1985年)
 1.1.地方都市80年代中学生の鬱屈
 1.2.抑圧は良し、解放は? やらされ感が、、
 1.3.”金閣寺みたい”の不整合(ちょいネタバレ)
 
 2.「お引越し」(1993年)
 2.1.大阪か京都か
 2.2.”ひとりにしないで” 相米シンジ君(ちょいネタバレ)
 2.3.福田雄一を褒める映画評論の是非
 
 3.相米慎二のタダ乗り
 3.1.借金背負わない
 3.2.脚本自分で書かない
 3.3.実写日本映画インディ壊滅
 
 
    
1.「台風クラブ」(1985年)
 物語的な消費に向かないことと、脚本の出来は別のこと。
 「スローなブギ」と同じく、エピソード羅列の群像劇。

  家出少女も登場。
 ただし、
  鬱屈し絶妙に不穏な序章から、
  地方都市の中学生の鬱屈が台風接近とシンクロして暴れ出し、
  台風一過で晴れやかな日常へ。
 というアイディアは秀逸で、脚本の勝利。
 演出ばかりが持ち上げられ、脚本が過小評価。

 ま、
 アート寄りの作風がヨーロッパでも評価され、
 褒められやすい下地はあった。
 ディレカン製作の中では、やや異色か。
 生き延びたモデル自体は、今村昌平ー是枝裕和ラインに近い。
 本作は角川映画追放後の一作、東京映画祭の報奨金も得て、
 次回作の製作を繋ぐ。
 逆に、
 ヒットを叩き出す娯楽作ではないので、
 興収で制作会社が潤うことは期待でない。
  
 芸術家気質で、
 予算も時間も労力も常に超過し、経営を圧迫。
 もともと無理なビジネスモデルにトドメを刺した。
 
 何かと、運命を決定づけた一作と言える。
  
  
 1.1.地方都市80年代中学生の鬱屈
  70年代暴れたい放題の時代は終わり、
  「金八先生」ほど過激ではないが、地味に爆発の元を溜め込む。
  純朴と反抗は冒頭から絶妙に描かれる。
   
  ただし、
  相米監督の圧政がどうしてもチラつき、
  夜のプールに侵入するよな自由は満喫出来なさそう。
  鬱屈の雰囲気は伝わる。が、、
  
  うーん。
  直前に台本渡して、素に近いファーストテイク狙うなど、
  経験浅い若手のもっと自由な姿も見たかった。
  気の毒にも見えてしまった。
  
 
  狭い世界で管理された若者を描くに、
  将軍様のようなディレクタが正解かもしれないけれど。
  
 1.2.抑圧は良し、解放は? やらされ感が、、
  そこから、
  台風が襲来し、校舎に閉じ込められ、
  どんちゃん騒ぎで、感情が解放される。
  
  大リーグボール3号を打つ伴宙太のように、
  力み解消するまで追い込むメソッドは解るけど、
  それは、
  解放とか爆発とか、そういう類とは別もの。
  
  同じ計算ずくの画面でも、
  師匠の長谷川和彦なら、若者のヤりたい放題を捉えただろう。
   
  
  違和感が残る。
 
 1.3.”金閣寺みたい”の不整合(ちょいネタバレ)
  工藤夕貴の最後のセリフ。
   家出少女に言わすのは、どうなの?

  キャラに対して、教養があり過ぎる。
  それが台本由来で残したのであれば、
  そのセリフを言いそうな人格に言わせたい。
    
  死に纏わる若者のアンバランスを描きたいのかも知れないけれど、
  人物がコマ扱い過ぎるかなぁ。
  リアリズムは端から期待しないが、
  人形のようなチルドレンに見えてしまう点は、
  私はマイナスに評価します。
 
 
  
2.「お引越し」(1993年)
 ディレカン亡き後、伊地智プロデューサが参加。
 読売テレビ主幹の作品。
 撮影期間は2ヶ月弱らしい、
 当時は、
 実より名を得た。映画祭への出展で成功。
  
 原作はひこ・田中。本作で椋鳩十児童文学賞受賞。
 脚本は「国宝」の奥寺佐渡子。
  
 前半と後半で、
 木に竹を継ぐような違和感があり。
 google先生に聞くと、原作→脚本→相米監督 
 と二段階の改変を経ているらしい。
  
 監督だけでなく、批評家筋も、
 子供を子供扱いする大人の傲慢さ丸出しと感じましたね。
 90年代は、
 子供を取り巻く環境に真剣に目を向ける時代ではなかった。
 
 改変ならば、原作ファンが福田雄一作品に言いたいこと同様。
  オリジナルでやれよ!

 映像がオリジナルでその高評価は理解するものの、
 賛同し難い。
 
 
 2.1.大阪か京都か 
  京都が舞台。原作も映画も。

  しかし、
  東北人が大阪の物語を制作したと観始めてしまった。
   まったく京都弁っぱくない。(千原ジュニア参考)
   お好み焼き。
   鶴瓶師匠の小学校。
   感情剥き出しの母親。(秋田生まれの関西弁に拍手でした)
   京都生まれとは言え、まだ棒な田畑智子。
   
  そこに、お祭り。

  祇園なの? 
  だんじりかと予想してしまった。
  
  前半は京都を感じられず、
  この段階で既に、原作から脚本への違和感が有る。
  どうやら元々は、  
   母親はクールで仕事の出来る、みやこ人で、
   娘は親の離婚を目前に、
   クレバーに大人と交渉しつつ世を渡ってゆく。
   暴力的要素は無く、頭脳戦。
  らしい。
  
  脚本の段階で、
  舞台設定のディテールが失われ、
   かつ、
  物語の意匠が変わった。
  大人目線で、子供を子供扱いへと。
  私はそう、想像した。
 
  
 2.2.”ひとりにしないで” 相米シンジ君(ちょいネタバレ)
  後半の幻想的シーンは、完全に相米オリジナルの改変らしい。
  
  両親が揃って水没し、”ひとりにしないで” は無理筋。
  相米監督は幼い頃に父親と死別し、からの孤立。
  が投影されている様子。
  
  いやいや、
  不仲な夫婦の板挟みになる苦しみと全く別種。
  孤立の方が不幸とも言い切れない。
  板挟みの方が心労が大きい場合もある。
  毎日の口論は、喪失よりストレス。

  不仲な両親に育てられるより、片親で円満な方がマシというデータが、
  アメリカに存在したような気がする。
 
  監督や褒めの批評家は、それを理解しない。
  分かり易い定型に当て嵌めている。
  
  自立しないのは、
  経済的責任も負わず、
  脚本は書かない、なのに好き放題改変。
  実家暮らしの相米シンジ君。
   
  そういう話じゃないでしょ。
  強引過ぎる改変で、どれだけ編集が上手くてもツギハギ。
   
  最初のチルドレン薬師丸ひろ子は、司令官から離れるが、
  子供が自立的に生きる姿を物語が描くのはハガレンが先鞭かな。
  2000年代を待たねばならぬ。

  勘の悪い大人は嫌いだ。
  自己満足的過ぎないか。
    
  子供目線で、離婚の現実見つめる作風で観たいかな。
  それこそ初期の是枝監督みたいな。 
 
 
 2.3.福田雄一を褒める映画評論の是非
  この時代、原作ファンの声は届かない。
  強引な改変が非難の的になることはまだ、なかったんじゃないかな。
  
  今でも、
  映画界隈から、改変が成功したかどうかという評価はされない。
  
  改変するくらいなら、
  自らの原体験を、雪景色を舞台に書いてよ。
  読売テレビで具合が悪いかもしれんが、
  ネイティブの言葉で書いてよ。
  外国人になって、字幕で鑑賞出来たらと想像したよ。
 
  褒める人達、鈍感過ぎないかと、
  疑問が募った。
   
  ま、読売テレビは本作で、箔が付いたね。
 
 
  
3.相米慎二のタダ乗り
 今回の特集で、効と罪なら、罪の方が大きいかな。
 唯一無二の表現は残したけれど。。
 そんな感慨が残ってしまった。
 
 こういうタイプの監督他に居るのか先生に訊いたところ、
 
   デビッド・フィンチャーや瀬々敬久を挙げる。
  いやいや、
  体質は昭和かもしれないが、
  興行として、ちゃんと当てに行くでしょ。
  
   今度は、リドリー・スコットと言う。
  なおさら無いだろ。
  ブレードランナーの興行的失敗はあったが、

  自分のプロダクションですべて責任とれる仕組み。
     
  
 それこそ、
 アニメはリドリー・スコット的な自社製作で、
 TVとも交渉できるような体制作った。
 実写はね。
 長谷川和彦に鈴木敏夫は出現セず、
 一旦、
 自主独立の芽を詰んじゃったんじゃないかな。
 

 3.1.借金背負わない
  観客が文句言うべき立場に無いけどさ。
   プロダクションは借金負って、
   後進の独立の道も狭めて、
  それで現場では王様かぁ。
  
  観終わって、釈然としない。
  何より、
  あの演技でそんなにOKテイク出さない意味あるのかな。
   妥協したとて、大差ないのでないか?
   ”違いを産まない違い”なのではないか?
  その疑問が拭えない。
  
  もし自分のカネなら、もっとコンパクトに撮ったのではないか、
  コンパクトに撮る工夫の余地は、在ったのではないか。
 
夏目雅子曰く。

監督がさあ、私にイメージじゃない、って言うの。
夏目さんは洗練され過ぎていて、漁師の娘には見えないって。
イメージじゃなきゃ最初からキャスティングしなきゃいいじゃない。
なのに毎日畳の上に正座させてお説教するんだけど
急に変わるわけないよね。
(中略)毎日付き合ってあげたけど、あまり頭よくないよね

  自分のカネだったら、どうだったろうか。
  いや、想像力をエンジンに設計書の図面引く人だろうか。  
 
 
 3.2.脚本自分で書かない
  色々言われているが結局、
  100から正解を見つける人で、ゼロイチの人じゃない。
  だから、
  脚本書けないし、自分発の企画は立てられない。
  取り敢えず、リハしないと何もイメージ湧いてこない。
  夏目雅子の指摘は、そのとおり。想像力が無い。
 
  インディなら、内的必然の有る企画をを立ち上げてよ。
  それこそ、「あなたの息子」みたいに。

  借金してでも、低予算でも実現しようという、
  自分発の動機に乏しいから、
  如何ほど、
  表現が素晴らしくても、相米作品は心に響かない。
 
 
 3.3.実写日本映画インディ壊滅
  バブル崩壊で、
  80年代まで続いた日本映画衰退期の独立系は、ほぼ滅ぶ。
  黒沢清たち、ちょい後の世代は、
  Vシネなど映画以外のメディアに向かった。
  
  実写の独立系は、ミニシアターブームの後。
  2000年代から再スタート。
  自分の企画を低予算でも撮り切る監督が現れるのは。
  単館なら、配給先が見つかるし、
  デジタルになって低予算でも撮りやすくなった。
  
  相米慎二の在籍したディレカンが存続しようと、 
  独立系は大差無いだろう。

  ま、そもそも、
  インディで撮るべき人じゃないんだよな。
  日本映画界は暗くても、世はバブルだから成立した特殊事例。
  2001年に才能を惜しまれつつ生涯を閉じた。
 
 
  
役者潰さず、リソース消耗させず、
即興性豊富な実写の実験映画撮ってくれてもいいのに。 

   
 
 
2026.10.10現在
 ここで押し目かどうか全く分かりません。
 連休明けは様子見です。

カテゴリー: 書評、映画評など パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*