「あなたの息子ひき出します!」家屋敷抵当に入れた(゚Д゚深川栄洋のガチに震える!リベラル勢からも資本出ない


え、深川栄洋って、娯楽映画を支えてきた職人監督かと。
クラファンも私は知らずにいた。
 
スポンサーもプロデューサーも、
クランクインの1ヶ月前に降りたの!
そのタイミングは、ちょっと有り得ない。
昭和の監督のように、家屋敷抵当に入れて、資金を捻出したとは。
  
引きこもりの社会復帰を支援するソーシャルワーカー描いて、
そんな事態に発展するとは思えないが、、
 
 
「もう見て見ぬふりはしないぞ」と思ってしまったから自費で映画化
ああ、ジャニーズ的な。。
”見ぬふりできない”と言うからには、芸能界の何かを見てきたんだね。

やっぱり、芸能事務所社長が何十年も行っていた性加害と支配の構造問題に
衝撃を受けたのが大きかったです。
薄っすらと噂は聞いていましたが、
本当にそんなに多くの被害者が居るんだと知って、
僕自身も傷ついてしまったんです。
それは僕も一緒によく仕事をしていた人たちなので、
自分が悪いのかな?と思ったというか。
彼らが輝いている姿を見せることによって、
違う被害者が生まれていた。そんな変な責任みたいなものも感じて、

それじゃあ脚本修正要求されるだろう。
監督それに応じず、決裂したんだな。
ニホンカモシカ。
令和の時代に大島渚クラスが居た。

「何千万もお金をかけて、何でこんなものを作るのですか?」
と言われました。
これが日本の映画界で出資が集まらない大きな理由で、
根本的な問題でもあると思うんです。
そうしたらプロデューサーも居なくなられて、
残ったのは深川家(夫婦)のみ。
でもキャスティングも決まっていて撮影1か月前になっていました。
ちょうどその日はオールスタッフミーティングだったので、
オールスタッフ(5人)に集まってもらい状況を説明し、
家であとどれくらいお金を工面できるかという話をしました。
僕も腰を据えて、
「家を抵当に入れる。お金を借りてくるからそのお金で映画を作ります」
と伝えました。

 
「ナギダイアリー」鑑賞にて、
私は以下、結論を出した。
 2026年カンヌコンペ出展の日本映画3作品は象徴的で、
  是枝→結局「ルックバック」でオリジナル実写映画の敗北宣言
  濵口→勝ちパターンの確立。最初からアッチの人、時流に乗る
  深田→内的必然失い、孤独描けず、評価されスポイルの典型例
 
そんな折、絶滅種の生存確認のニュースを知いた。

「この映画にどれだけのファンがつくの?」
「〇〇を引っ張ってこれたら、スポンサーが着くかも」
など考えればあるかもしれませんが、
そういうふうには作りたくなかったんです。
人気グループの男性が誰かの役を演じたとしても、
それをやっても僕が表現したいことには
ならないと思ったんです。

ルビコンを渡る勇者が、令和の世に居た。
そのキッカケは取材。オリジナル作品のための情報収集だと言う。

取材で出会ってしまった人がいるからです。
そこに自分は動かされたので、
その思いを大切に嘘をつかないで生きたいというのがありました。
時にはその嘘と上手く折り合いをつけて仕事をする時もあります。
むしろ、その仕事のスタイルはずっとやり続けている
割と得意分野だと思うんですけれど、
でもそうではない映画を最近観ていないと気づいて、
それを「観たい」とちょっと思ったんです。
それなら自分が作ろうと思い始めていて、
それに「もう見て見ぬふりはしないぞ」と思ってしまったということで、
今はちょうど人生の曲がり角なのだと思います。

真面目に取材するのは、てっきり原作者だとばかり、
映画は監修は入っても、
フィクションの映像に、そんな体力無いと私は決めつけていた。
喜びそうな人を喜ばせる映画なら、綿密な調査は要らないし。
似た題材の「四月の余白」が良作なのも、
吉田監督自ら、現場の声を聞いていたから。

それ↑だってキワキワを歩いている。安全に正義を振りかざすのとは違う。
引きこもり、虐待、依存症、(境界知能的な)女性搾取あたりがギリ。
そこに、
 寄り添いや絆など感情論を排し、
 治療が解決策と、現実解にまで踏み込んで、
 観客のカタルシスは難しい。
 良心的ではあるが、娯楽作とは観られない。
さらに、少年への性暴力足しちゃあ。。
 
 
クラインクイン1ヶ月前の土壇場で、
スポンサーもプロデューサーも逃げ出した。
配給も大手は難しい中、
まもなく歴史を閉じるシネスイッチが手を上げた。


早速、土曜の午後、銀座の人混みをかき分けた。
  
 
 
 《 開演 》
 
 
 
毒喰らわば皿まで。 
最後まで妥協無し。特にラストは圧巻。
  
脳や精神の疾患が関連する問題は、
素人の寄り添いでは何も解決しない。
本作は、そんな現実に対して忠実で、
綿密な取材に基づき、おためごかしを一切排除。 
残酷な答えを提示します。
  
観客は、予定に反する結論を無視し、”答えが無い”と言い、
治療は被害を抑止すると、説明されても納得しない。
 こんな映画作ってなんになる
と言われ、スポンサーは逃げ出す。
商業映画の合理と、私は納得してしまった。
 誰でも、自分の属する社会は健全である、と思いたい。
 健全なのだから、感情の消費だけで済ませたい。思考停止したい。
 
この映画を、家屋敷抵当に入れて制作し、自主で配給したとは、
令和の奇跡。
誰が褒めなくても偉業。
年間ベストとか、そんな賛辞では生ヌルい。
人生いろいろ、映画もいろいろ、私は救われました。
    
 
ここ数年、
ときどき挙げる、「ホールドオーバーズ」はじめ、
 (発達障害など)軽度の問題を抱える人物に、
 周囲が寄り添い、
一時的に気分が良くなるだけの作品が幾つか公開されました。
 本当は、
 問題解決に繋がらず、
 本人も周囲も、最後は消耗するだけ。
 有効なアプローチは、寄り添いでなく治療なのに。
2時間で観客は気分良くなるも、
社会を地獄に導く善意にしか見えません。

脳の病気は、意思や改心や本人の努力では、どうにもならない。
思えば映画で、そんな良心的例外に出会ったのは、
「こちらあみ子」と「四月の余白」(前出)くらい。
https://link.amazon/B04CxVrpP

それでも奇跡ですが、
本作は更に踏み込む。
罰しても、本人に贖罪意識が有っても、脳は治らない。
  
深川監督は、現実を見て知ってしまった。
 
 
 
本来は、ジャーナリズムの領域ですかね。
地道な取材↓は稀有な例でしょう。



 淡々と現実を伝えて、感情は煽らない。
 
医学的な根拠に基づく治療が、唯一有効と考えられるアプローチで、
寛解せずとも、症状を軽減したり、通常の生活の維持に寄与したり、
それは結局、被害者を減らすと説明されても、
 自分の属す社会が健全だと思いたければ、納得しない。
 ダメな世界が、少しでもマシになると考えたくない。
 ただの異物と、感情で処理したい。
法的な罰則が無くてよいとは、誰も言ってない。
しかし罰しても、現行法では、一生閉じ込めておけない。
(GPS埋め込みなどの取り組みに、私は賛成)
 
 
  
本作は、
冒頭から、カット目まぐるしく、
最小の撮影体制で、画角ミチミチに人物を陰影濃く映します。
信州の美しい背景よりも、

人物優先で、忙しい本作は、
てんこ盛り。全部乗せ。  
 知的障害と女性の性的搾取
 精神疾患と引きこもり
 性加害者の社会復帰
まあ疲れます。処理が追いつかない程。
とはいえ、
重いテーマに取り組みながらも、
主人公の活動は、ささやかな希望を灯す。 
明るい色調で、
ほっこりに着地するのかと、観てしまいます。
 
そして、スポンサーも逃げ出す。
 幼児性愛と再犯
あの大森南朋は恐ろしい。 
他の有名な役者さんは、替えが利くかもしれませんが、
別格でした、告白に震えました。
治らない人の、残念を理解しそうになる。 
ここだけ、ゆっくり震えます。

そこに、容赦無い、残酷なハッピーエンド。
 え、おかわり?

そのままの終劇じゃ甘く、
納得行かないと先回りして観ていて、裏切られる。
行き届いた脚本は、そんなヌルい予想を軽く超える。
前フリだったのか、伏線回収までヤるのかよ。(後述)
 
深川監督やりきりました。家屋敷抵当に入れた甲斐が有りました。
考察勢にも観てもらいたい。
いつもの主張と真逆ですが、本作には答えが在ります。
 
  
ぜひ、映画館に足を運んで頂きたい本作。
ここからは、鑑賞済を前提に、ネタバレ有りで、
私なりに終盤の導線を引きたい。
 
 
 
 
 
 
  
※以下、ネタバレします。
 
 1.大森南朋恐るべし 独白の凄み
 2.妥協無きトゥルーエンドな回収
 3.正解は在るが、資本は逃げる
 
鑑賞後に、お会いしたく。
 
  
1.大森南朋恐るべし 独白の凄み
 加害者からの手紙は、ありきたりな反省文かと、身構えると、、
 
  生きる価値も無い、ちっぽけな自尊心が傷ついた
 真相の告白が、他者の想像では書けないと思わせる。
  贖罪も反省も、行動を改めさせない。
  彼の力では脳を変えることは出来ない。
  治療という選択肢を知らない。
 
 ここも一つ、伏線回収なのですが、
 最悪の組み合わせが、更なる結果を産む。
 あーあ、あんぐりと釘付け。
 
 大森南朋恐るべし。
 日本に何万人と、こんな人生送る人居るんだろうなと、
 想像してしまう。
 
 
 
2.妥協無きトゥルーエンドな回収
 冒頭、軽度の知的障害の性風俗への従事から。
 ヒロイン典子は、
  カードを効果的に使い、
  ときどき、”もう一度はじめから言ってください” と説明を促す。
 
 そこから、終盤の展開では、
  いっくらなんでも、聖人過ぎる!
  似非ヒューマニズムに着地? 
  お前もか!!
 と、観客をハラハラさせておいて、
 
 途中出動の児童相談所が、切り札を切る。
 一捻りしたタイトル回収までやるのか。。
 
 残酷ながらも、幸せな結末。
  息子くんは、最低限の教育は受け成人するだろう。
  母親に、
  知的障害の自覚が芽生えれば、治療の第一歩。
  破滅的な暴走は避けられそう。
 
 知的障害の女性搾取から、
 知的障害の母子家庭へと、テーマが循環しつつ。
 
 親子の情愛に着地するとの観客の予想を裏切りつつ、
 子供将来思えば、行政の介入は適切な判断だよなと、
 アンビバレントな感情を引き起こして、
 唐突に、
 まるでいい話風のエンディング曲が流れる。

 
 
3.正解は在るが、資本は逃げる
 罰するだけでは解決しない問題に、治療という軽減の策が在ると示す。
 それは被害を防ぐためでもある。 
   
 親子の情では解決出来ない生活には、
 行政の介入で、子供を保護。
 
  
 正解は在る。
 魔法のように、明日からスッキリ解決する訳ではないし、
 未来は厳しいままですが、現実解。
 答えが在るのだから、見つけたらいいじゃないですか。
 それがたとえ、気に入らなくても。
 
 ハネケのように、観客と駆け引きしてる訳でもない。
 取材の果てにたどり着いた、現在の最善。
 スポンサーが逃げ出す次善の策。
 
 

 「フロリダ・プロジェクト」は”泣ける”らしいから、
 エンタメのとしての感情消費の余地があるらしい、
 現実解にコミットを避けるリベラルらしい社会風刺なら、
 資本も集まったかもしれない。
 ショーン・ベイカーはアカデミーに相応しい監督。
 
 本作は、悲劇に浸ることすら許さない。
 ”答え”は提示する。感情を操ろうとはしない。
 おもねりは端から拒否している。 
 単なるリアリズムでも、ないんだな。
  
 
 今年のカンヌの「フィヨルド」は、まだ誠実そうだけど、

 国外脱出という現実の結末までは描かない、
 ”冷酷なシステム”の切り取りらしい。
 (観ないで断定できないけれど、あらすじと評の限りでは)
 ショーン・ベイカーの感情消費よりマシな、
 それが、資本を集める映画の限界っぽい。
 
 最初から最後まで実際の事件を丁寧に追ったら、
  自主でドキュメンタリでやれ と言われてしまう。
  良質な報道機関なんてものも無いのだろうな。
 
 現実は既に、国外脱出という選択の結論が出てるのに、
 ”答えが無い”と、定型に落ち着く。らしい。
 (観てみないと、なんとも言えませんが)
 リアリズムを気取っても、所詮切り取り。
 資本が集まる要素をギリ残すらしい。
 
 ノルウェーのシステムを無慈悲な悪役に描けば、 
 ルーマニアやキリスト教保守から、カネ引けそうな題材。
 商業映画の限界かなぁ。審査員も投票しやすいギリで。
 
 
 それすら拒否して、本作唐突に終わる。 
 もうせっかく、自主だから、毒喰らわば皿まで。
 
 
偉業としか、言いようのない作品。
賞は芥の如し。
嘘くらいは、誠実についてくれた。 
 
 
 
妙なる調べ天より響く 

私は救われました。
 
 
 
2026.10.04 現在
 前の高値を突破して、来週走るのか。
 動くなら、追うよりないです。

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