私は残念無念でした。
田舎暮らしも、家長制度も、同性愛は元より他人事で、
クリエータ論さえ空理空論。
建築というプロの仕事は舐めてるし、彫刻家は霞食べて生きてるようで。
今の深田監督はもう孤独ではなく、
内的必然を失ったと観ました。
東京近郊ベッドタウンに住む、個の孤独を描くことに飽きたかな。
冒頭のカメラのビミョウなワークから、
違和感を覚えました。
黒沢清・濵口竜介流派に汲みそうとしてるのですね。
賞狙いにしても、万事中途半端で、
止めるなら構図固定でしっかり、
カット割るなら割る、
対象の運動を追うなら追う。
カメラマンが宝の持ち腐れでした。
ご当地映画としても、背景が活きたとは思えません。
かといって、
素材として風景を扱うには、
”お客さん”として歓迎され、情が移り過ぎた。
かつての緊張感が抜けて、これなら配信でいいや。
そもそも、以下の2つは区別せねば。
日常を丁寧に描く中に、小さなドラマが在る。
のと、
不穏なドラマが、一見平凡な日常の下で進行している。
似て非なるもので、後者が深田監督の資質。
ジャームッシュでも小津でもない。
(原案が「東京物語」由来だとて)
急に日常系は具合が悪い。
奈義町の日記は、
ホン・サンスの即興的エチュードで固定の画だったらな。
鑑賞中、そう夢想してしまった。
クリエータ論も、劇中で実感込めて消化してくれるだろう。
平田オリザ由来でセリフが無理だけど、
舞台を敢えて翻案したのは弟子の自由で、
舞台人に罪は無い。
むしろ、
黒沢・濵口派に属しようと、
作品の表現では無く、説明で主張すると割り切り、
リアリズムの放棄を恐れなかったのだと、
私は解釈。
ご都合上等の実写映画に、
ファンや資本が付いて興行も成立するなら、まだしも。。
深田監督の出生が、良心の呵責が、妨げとなり、
万事中途半端に終わった。
特に後半は、
田舎暮らしも同性愛も当事者性が無く、
笑いの起こらないコント。
シリアスなドラマで、
あそこまで分別の無い大人と子供は居ない。
真顔で演じられてもね。
経験浅い若手では、ことさら気の毒。
と自分の期待の甘さに裏切られて、
一晩寝て、ダメージから回復すると、
かつて、深田監督は地方で撮影した事あるのかな?
そんな確認したくて、アマプラを頼る。

ロケーションは諏訪町。
アンドロイドは石黒浩教授の協力。
原作が平田オリザで比較しやすい。
うーん、映画であのセリフはキツイと思うけど。舞台空間ならでは。
ま、無理なら、そこで閉じる。
《 開演 》
少年が”アフリカぁー”と叫ぶシーンで無理でした。
島国の偏見丸出しで反差別とは、ちゃんちゃら可笑しい。
一旦、
左翼らしい甘さは置いて、純粋に映像を鑑賞しても、、
アンドロイドが登場する近未来で、マンデラ政権以前とは?
どう見ても30代までの外見で、ヒロインの年齢が合わない。
この時空の歪みは、是枝監督の近未来より無茶だよ。
日常を丁寧に描くより、ドラマ優先の作風でも、
SFでブサイクな嘘はキツイよ。
ただし、静寂の中にも、緊張感溢れる画面は、芳し。
固定でキメて、運動を追うときだけカメラ働く。
エリック・ロメールの影響と本人は言うけど、
フランスのオシャレで面倒くさい恋愛は、深田晃司に似合わないよ。
とグーグル先生に尋ねると、ハネケでどうかと。
ああ、あの画作りは、そのもの!

アマプラで最後まで観ました。無料広告付きで。
《 開演 》
※若干ネタバレ
リアリズム溢れる固定の画面に、
コントギリギリに耐える迫真の役者陣。(こういう演技が女優賞、男優賞ならね)
表面は日常でも、人間のグロテスクをあぶり出す。
まあ、音楽の力もあり、
なにより、
原作の思弁の深さがセーフティネットだろうけどね。
映画館で観たら笑っちゃうだろうから、ひとり配信で観て正解。
見応えありでも、エンディングは疑問。
原作もそうなの?
google先生は、改変だと答える。
原作は、自傷の後、母の元に帰る。
ハネケの意味は、街をさまよう社会的孤立。
孤立? 痛みを自覚して自立に向かうならまだしも、、
先生は、”観客を突き放す”エンディングと反論。
突然の無音のエンドロールが、それを表すのだと。
それは甘ちゃん!
厳格な毒親育ちのマイケル・ジャクソン的音楽家は、
端から孤立してる。
いまさら社会的孤立は、痛くも痒くもない。
原作通り、共依存の底なし地獄で閉じるなら、納得するけど。
ヌルいよ。ヌル過ぎ。
どうやら、巨匠は、
ほのぼの親子愛に着地したと、観客に誤解されるのを恐れた。らしい。
それで”容赦無い突き放し”とは、聞いて呆れる。ただのビビリ。
ハネケ監督は、原作本来を描くより、観客との勝負を優先したのか?
舐められたくないと。
google先生によると、あくまで拠ると、
真相はその通りだと認めた。
文学なら妥協無いが、商業映画は、その程度が限界か?
あるいは、
(中東やソビエトなど)捕まる覚悟の映画監督との差か?
先生は否定せず、ラース・フォン・トリアーなら、容赦なく描くと仰る。
いやいや、トリアー監督は捕まる側だよ。
孤立でなく、抹殺。
イスラム国家より結果は過酷。いわんやハネケの孤立おや。
この世では、捕まえる側と捕まる側に、人は二分されると昔習った。
ハネケは捕まる人のポーズで、捕まえる側の人。
安全なところから石投げてるだけで、
現実にコミットしない空理空論の黒沢・濵口派と五十歩百歩じゃん。
ああ、
深田監督は孤独という内的必然を失い、
黒沢・濵口派に参加しようとして、それも良心の呵責から中途に終わる。
そういえば、
中東の監督が描く、イスラム社会の風土が、捕まる側の映画の原体験で、
深田監督の”家長制度ガー”は、比べてしまい笑っちゃう。
東京に進学して、就職すれば、一旦どうにかなる程度で。
同じく、
同性愛とか抜かしても、「ブルーボーイ事件」の当事者性は微塵も伝わらない。
そもそも、
ホモでもヘテロでも性愛は深田監督の資質でなく、
社会の偏見だけ切り取るのも無理筋。
それも、原体験に見劣りしてしまう。
空理空論側に属すのは、”さようなら”としか言えないが、
書生論に時間もカネも払えない、払いたくない。
それに、
黒沢・濵口派が、不誠実な嘘上等の映画が、上手く行っても、
所詮、漫画やアニメに及ばない。
もっと上手に誠実に嘘も付く、
コンプラやリベラル界隈を気にせずテーマ深掘る。
原作の実写化以上のオリジナルは彼らに期待できない。
ああ、そう思えば、
是枝監督の「ルックバック」が、
現実への最適解と諦観したのなら、それはそれで立派。
実写化する意味に疑問の声もあるらしいが、
才能あるなら、映像より、漫画や小説目指して欲しいので、
私は是枝監督に同意。
生身の演技ならではの、
イマーシブな体験を提供することに特化すればいいよ。
「八甲田山」ですら、原作ものだもの。
実際、
日本映画の75%は、原作ものだと言う。
いっくらなんでも、
進撃やキムタク版ヤマトを例に出すのは、悪意ありすぎ。
問題は、
改変して、原作より優れた表現出来るのかと。
巨匠ハネケですら、改変の理由はしょーもないプライド。
ホイチョイ監督の主張する原稿料の問題は、すり替えと思うけどね。
モンキー・パンチに宮崎駿のような才能の映画監督居るの?
そんな才能なら、原作の側に回りなよ。勿体無い。
さりとて、
日本で捕まる覚悟の映画制作は、、
大島渚クラスの狂人でなきゃ無理。
ポーズは捕まえる側の人。
原作もアニメも嫌いだし、是枝監督は観たくないけど、
「ルックバック」行こうかな。
ワンチャン感動するかもしれない。
今の映画界で原作無しは、、
才能が無尽蔵な、孤立も出来ない。
昔の深田監督に戻って欲しいが。
2026.10.02 21:00現在
前の高値トライですね。
不明を恥じるのみ。
良い数字期待高いのでしょうね。
来週どっちでも、ついてくのみ。
