折角だから、溝口健二特集の最終上映も、神保町に向かいました。
【次回上映】
特集企画
「没後70年
映画監督・溝口健二の世界」
8/15(土)~9/11(金)開催当館ではじつに15年ぶりの上映となる遺作『赤線地帯』は、35㎜フィルム上映でお送りします。https://t.co/JjQSnJVCg2 pic.twitter.com/ksdiiVGZlQ
— 神保町シアターのひと (@jinbocho123) August 3, 2026
特集で観た作品を時系列に並べると。
祇園の姉妹(1936年、第一映画)
残菊物語(1939年、松竹京都)
夜の女たち(1948年、松竹京都)
西鶴一代女(1952年、新東宝・児井プロ)
雨月物語(1953年、大映京都)
赤線地帯(1956年、大映東京)
時代や社会に翻弄され、虐げられる女性を描くこと、
共通のテーマですが、
「残菊物語」は別格で、「祇園の姉妹」は異色なノワール。
「夜の女たち」「赤線地帯」は、
性を春をひさぐ女性たちの人間模様を写実する。
敗戦に売春防止法と、
どちらも描くべき同時代の強い必然性あり。
「雨月物語」は、賞狙いで作風を変えている。(後述)
「西鶴一代女」も同様だろうか?
確認したく最後に選ぶ。「山椒大夫」はパス。
人身売買という社会問題を扱うのに、
森鴎外のお坊ちゃんなプロットが元では、
改変したとて、私は耐えられそうにない。
原作は未読、特に予習せず。
《 開演 》
黒澤明「羅生門」に触発され、
「西鶴一代女」の段階から、明確に賞狙いで、作風変えてます。
特に、カメラワークが全く違い、
固定で精密に隙無く、3次元に設計された画面と、
カメラを動かし、絵巻物のようにパノラマを魅せるのでは、
カットを割らない長回しでも、演出の意味が全く異なります。
チェンジアップとスライダーくらい違います。
リアリズムは失われ、社会を描くことは犠牲に。
絵巻物はファンタジーで、お話の展開が中心の為、
人物個々には、感情移入しにくい。
やはり、「雨月物語」同様に丁寧に導線は引いてくれない。
どうやら、
戦後のスランプ期から、
ターゲティングを再考し、それに伴い作風も意図的に変えている。
戦後から高度成長期への変化にアジャストしようと、
巨匠の苦闘が伝わります。
私の期待は、
老いて、落ちぶれて、妖怪扱いされる女の悲哀を、
田中絹代で、たっぷり冷徹に描いて欲しかった。
それは、
当時もはやオワコンだった、と想像されます。
戦後復興から成長へ離陸する端境期では。
うーん、、
”長回し”、”リアリズム”と十把一絡げに、紹介されすぎですね。
goole先生のお陰で、
当時の評価と、
公平で客観で誠実な佐藤忠男の存在を知りました。
では、順に。
1.カメラワークの違い
2.絵巻はファンタジー 社会は描けない(ネタバレ)
3.当時の批評はコウモリでも
4.佐藤忠男ただ一人
5.リアリズムからバカリズムまで
6.制作者それぞれの物語
今回特集の総括も兼ねて。
1.カメラワークの違い
最初に目につくのは、
何と言っても、パノラマの長回し。
美術全般、贅を尽くした見事さ。
衣装は、特に艶やかで、カラーで観たいと思わせる。
独立プロでは荷が重そう、東宝のカネなのか? と心配に。(後述)
もう過去の溝口健二は居ない。
固定カメラで、精密な画面作りから伝わる、
極限まで研ぎ澄ました緊張感は、
消えていました。
一括りに、ワンカット長回しと言われるけれど、
演出そのものが、全く違いますね。
「雨月物語」のときは、「残菊物語」からの期待を裏切られ、
ギミックに走りやがって!
と反感も覚えましたが、
明確に意図的に、作風を変えていたのだと、
ここで、納得しました。
パノラマ=横スクロール=絵巻物 とシンプルに理解しました。
画面は真四角のままですが、
奥行きの意識を減らして、ワイドに風景を流します。
美術の見事さが際立ちます。ロケもセットも凄まじい。
お話は、原作長いので、ダイジェスト味強く、
「国宝」と同じ感覚を味わいます。
細かいこと言わず、見事な美術と映像楽しめば良し。
なのですが、
大女優は風格が有り過ぎて、乙女はキツイ。
現在時点の無念も背負った生き様を描くのが、
リアリズムの本領発揮ではないかと、
綺羅びやかな景色は素晴らしくも、期待は満たされず。
本作が「地獄門」↑より先となると、
ヌーベルバーグ世代に衝撃を与え、
ゴダールのバスルームのは、これが元ネタか!
ヨーロッパの審査員も納得させたのだと、同意しました。
まるで、
浮世絵がモンマルトルを震撼させた様に。
(ゴッホは画壇に認めて貰えなかったけれど)
巨匠は、黒澤明「羅生門」に刺激され、
野心たぎらせ、賞狙っています。
反面、
それなら溝口健二で無くともと、
未来人は、比較して愚考します。
2.絵巻はファンタジー 社会は描けない(ネタバレ)
脚本は甘く、もはや社会は描けません。
お話の為の舞台設定にすぎません。
これは無い、絶対に無いと断定できるのが、
側室として世継ぎを生んだ田中絹代が追放される場面。
幽閉なら納得出来ても、追放は無い。有り得ない。
メンツに拘るのが武家社会で、醜聞の漏洩はご法度。
そんなリスクを冒すはずもなく、ストーリーはご都合。
ああ脚本は、「切腹」から遥かに劣る。
原作では、
正室のイビリに耐えかねて逃げ出す展開らしく、
悲劇のヒロインに仕立てる為、安い改変。
写実は何処へ、ただのメロドラマに変質。
もはや社会は描けない。描こうとしてない。
スランプ期を経て、明らかに過去の作風とは決別しています。
これほどの巨匠が、
時代の変化にキャッチアップしようと、
なりふり構わず、懸命に足掻いている。
二匹目のドジョウ「雨月物語」では、
令和ロマンのように解明した勝ち方に忠実でも、
本作の時点では、
「羅生門」の成功を目の当たりにして、
貪欲に、追いつけ追い越せと、
もう一花、逆転の一発を狙ってます。
失ってもいいと、過去を捨てて、
甘い脚本に感心は出来ませんが、
覚悟を感じます。
3.当時の批評はコウモリでも
国内では当初、本作の評価は今ひとつだったらしい。
美術の素晴らしさは認めても、
作劇全般に、かつての精密が失われている。
田中絹代に十代は強引過ぎるし、
と欠点も目立ってしまう。
ところが、
ベネチアで評価されると態度を一変。
欧米コンプレックスも手伝って、華麗なる掌返し。
次作「雨月物語」は公開時から絶賛。
欠点の指摘は、正当と思われるのに、
ブレず貫くことは出来ない。
コウモリたる所以です。
更に、ところが、
衣笠貞之助は娯楽の人 と烙印を押し、
カンヌが「地獄門」に金メダルを与えても、
オリエンタリズムの高下駄、何匹目かのドジョウと、
評価しない。(菊池寛の文学も解さない)
権威主義も呆れてしまう話。
と信用ならない連中らしいですが、
当初の欠点の指摘自体は、妥当性があるものと思われます。
ターゲットが欧米であっても、国内で興行打つのですから。
4.佐藤忠男ただ一人
そんな中、
作風の変化、その狙いと、演出法まで、
中立公正、客観的に解説したのが、佐藤忠男その人。らしい。
ドキュメンタリも観ときゃよかった。
真の評論家は孤高であったと、想像されます。
今は、
映画は紹介は出来ても、評論は出来ませんが、
そんな人が居たのだと、google先生に教わりました。
確認しようとして、
Kindleでは求めるもの無く、
図書館で溝口健二論を探し、読んだのですが、

固定カメラの精密な画面設計から、
絵巻物の平面的華やかさへの、
変遷は語られていませんでした。
音楽に関しては、
クラシックと能楽を併せたのは最初と教わり、
もっと讃えるべきでした。
(比較した「地獄門」「怪談」でも音楽同様に立派なので、
それが普通と思ってしまった。
それで「国宝」の音楽は、見劣り感じてしまう)
ただし、
黒澤明世代の台頭で、オワコンと見られ、
それでも、戦後の映画黄金期にアジャストしようと、
必至に模索していた、と記述は有り。
やはり戦後は、
写実の作劇姿勢が、
イデオロギー側から社会批判しないと批判されたとも。
プロパガンダを強要されるのは戦前だけとは限らない、
と毎度思う。
それはさておき、
「西鶴一代女」の原作を佐藤忠男は、
近代の小説同様に捉えて、
好色は、風俗業の女性に対する作者の偏見と見做す。
そこで、
溝口健二は、好色の要素を排除し、
時代や男の都合に翻弄される女性に改変したと。
改変は納得なのですが、
しかし同意出来ない。(知見は当然私が劣るけれど)
元禄の時代、井原西鶴の浮世草子は大衆娯楽で、
現在なら、ビジネス書からジャンプやAVまで兼ねるコンテンツ。
遍歴と人生の浮き沈みを繰り返す大河ロマンであり、
かつ、
好色=痴女もの ではなかろうか。偏見とか主観でなくジャンル。
ま、
西鶴は尾田栄一郎に近いと思う。
女性キャラの体型が批判されることもあるし。
本作でも、
人間の愚かさ、滑稽さをコメディとする浪速の笑いあり、
クスッとする場面も。
たとえ明るいトーンが苦手でも、アジャストせねば。
絵巻だもの、物語らねば。
ついでに、も一つ同意出来ないのが、
冒頭の五百羅漢のシーンで宗教的意味合いに触れるが、
日蓮宗門徒である溝口健二の趣味に過ぎないと思う。
5.リアリズムからバカリズムまで
佐藤忠男のみ、
雷同せず、正確な観察眼を持ち得たのか、
インテリの出でもなく、鶴見俊輔から学んだからとも、google先生に教わる。
鶴見俊輔は、
ベタベタに左翼でインテリ出身と思うのだけれど、
大衆娯楽まで守備範囲の広い、博学強記の人。
思想は私は分からない。
実践を尊び、生活の中に芸術を見出す人らしく、
佐藤忠男は、映画評論で良い部分を受け継いだらしい。
そして、日本映画学校。
今村昌平監督が設立し、佐藤忠男は長く学長を務めた。
学校は、三池崇史や李相日を輩出した。
写実的な観察眼、批評性は脈々と続いたのか、
私は、バカリズムにその面影を見てしまう。
本人は脚本は1ミリも教わってないと言い、
出川哲朗から狩野英孝ラインの説明がつかないけれど。
6.制作者それぞれの物語
溝口健二はオワコンと見られ、覇権は黒澤明へ。
必死の巻き返しを図る。
田中絹代は米国親善大使を務め、
アメリカナイズされた姿を披露して、
敗戦国の劣等感を刺激し、猛バッシングを受ける。
そのとき、児井英生は立ち上がった。
「西鶴一代女」制作開始。
大監督と四つに組んでみたいと決心をし、
児井プロの自主製作とし、
新東宝に3,800万円で買い取らせることにした。
児井は全く経費を惜しむことをせず、
制作費は7,000万円となり、
児井が製作した生涯唯一の赤字映画となり、
児井プロは約4千万円の借金を抱えたという。
-中略-
その頃、ヴェニスやカンヌの映画祭は
パーティーを開くなど派手な運動をしなければ
入賞できないと言われており、
児井は出品には消極的であったが、林文三郎から強く勧められ、
児井と新東宝の佐生社長が40万円ずつポケットマネーを出して
翻訳とスーパーインポーズの費用に充て送るだけ送ったという。
受賞は全く予期しなかったことで、
授賞式に行く金もなく、賞状とライオン像は送ってもらった。
本作をベネチアに売り込んだのは、川喜多かしこらしい、
確かな審美眼と名声も後世まで。
田中絹代は、映画監督へ転身するも、
溝口健二は独占欲のためか、決別、これを妨害。
逆に、
成瀬巳喜男、黒澤明、小津安二郎、木下恵介など、
錚々たる巨匠たちが田中絹代監督誕生を支援した。
児井英生は、
「雨月物語」以降、大映永田雅一に”鳶に油揚げ”で、
借金残るが、溝口健二は大映と契約。
それでも、”拾う神あり”
常務の江守清樹郎の誘いで日活と契約。
契約プロデューサーだったが、
高額の契約料で事実上の日活専属となった。
以後、活動の場を日活に移し、
日本映画監督協会が企画し、
齋藤良輔と小津安二郎が脚本を執筆した、
女優・田中絹代の監督作『月は上りぬ』を製作した。-中略-
その後、1957年から石原裕次郎主演の『嵐を呼ぶ男』、
小林旭の「渡り鳥シリーズ」、
吉永小百合・浜田光夫主演の『愛と死をみつめて』
などのヒット作を連発、
ヒットメーカーとして名を馳せた。
溝口健二は、
売春防止法成立直前に「赤線地帯」を制作。
公開直後に世を去る。
またと無い機会に、観るべき6作品を観て僥倖でした。
フォークからロックへの転身を彷彿。
分かんねーなら邪魔すんなよって、
今は若者の方が、画一的で頭堅い気がするけど。
それも私の老化か。
2026.09.12 21:00現在
-2σタッチからリバンドの陽線ですが、
前日の隠線を超えることは無さそう。
月曜始まってから考えれば充分ですが、
前の安値を試すと見ています。
