ZeroToOneと、1に足したり掛けたりするのの違いが分からない人って、
一生分かりません。
本人は分かってるって言いガチですが、全然分かってないから、簡単に分かってるって言います。
ゼロをイチにするのは大変ですね。
違うゲームをプレイするってのは、チームを変わるのと違う。
Eクアドラントから半分、強制的にスタートじゃん幸か不幸か日本じゃ。
どっぷり洗脳社会に浸かってからの、
違う視点を獲得して、
違うゲームのルールを学び、
違うゲームをプレイするんだよね。
そういう考え方が出来る、そういう風に体が動く、ってナルが先。
BE,DO,HAVEの順じゃん。物事って、
成って、出来て、手に入れる。
PDACは万能薬じゃないカイゼン向き。
世の中的には、万能薬のように言われますけど、
同じところグルグル回る訳ですから、
ある程度、環境も方向性も固まってるなかでのカイゼン向きなんだよ。
もともと生産管理の技法でしょ。
ある程度安定した、企業の中のある部門とかにはいいでしょうけど、
それこそ、工場のラインとかなら、もってこい。
だけどね。
ゼロをイチにするとき、しかも個人で、
それって、有効なのかね?
それで私は脱サラ起業しました、って言うなら認めてもいいけどさ。
アンタ、サラリーマンのままだよね。
そういう発想だから、ゼロからイチじゃなく、
同じところのカイゼンなんじゃないの?
あのPDACの絵からしてグルグル、同じ場所って、
決して偶然じゃないよ。
捨て上手は拾い上手。
今までの考え方を変えるって、今までの何かを捨てることだよ。
それを知らないまま、
自分がサラリーマンのままで、人に起業勧めちゃダメだよ。
捨てた決断が無い人が、人にその決断促すのか、
おっと、人のことはいいや、
ともかく、
意識して、昔居た場所の考え方を捨てて、
今まで考えなかった、新しい場所の考え方で考える。
この訓練するとき、PDACは有害。昔の考えをベースにすること自体が有害だから、
どうしても引っ張られるよ。
忘れるとか、意図的に捨てるとか、
そういう作業を伴うときには、採用しちゃいけないやり方。
カイゼンが得意だと、ゼロからイチが苦手になるよ。
ダメならドンドン捨てるだけ、振り返らなくていい。
成功体験の拡大と、
失敗の教訓からの学習はあるけど、
PDAC的じゃいけないと思うよ。
上書きするんじゃなくて、ただ抜き出すだけ、あとは捨てる。
むしろ忘れることの方が重要。
ガムシャラさと紙一重ではあるけれど、
ゼロをイチってお手本が見つからないことも多いもん。
答えが分かってるときはPDACは有効、優等生向き、学校の勉強向き、
だけどさ、それカイゼンしてること自体がダメかもしれない。
捨てなきゃいけない。そのことにホントはもっと早く気づきたかった。
けど、それはやっぱ後で分かるんだんなぁ。
PDACだったら、一生気付けなかったとは思う。
直交した軸に行く、いままでの延長線上にないとこって、変態だよ。
青虫がサナギになって体内の細胞ドロドロにして、
再生成して羽化するようなもの。
キモカワの蒲田君が第4形態の見慣れたゴジラになるように。
PDACはそれに相応しいモデルではないです。
逆に、それが分からないってことは、
ゼロをイチにするってことが分かってないんだよ。
最初の会社辞めてようと思ってから、
フリーランスに成るまでは、
除々に考え方が変わっていった結果、羽化したんだと思う。
組織人として、適切でも有能でも無かったよ。
家賃収入で暮らそうと決めたときは、意図的に視点を変えようとした。
Eクアドラントな人たちとの付き合いは意図的に避けた。まだ働いてた。
Eクアドラントの人たち、不労所得って言いますよね。
ボクは使わない言葉。
リスクに見合うリターンとか、サービスに見合う対価とか、
逆に彼ら、そういう言葉使いますか?
働いたから、収入があるってのは、
Eクアドラントのゲームのルール。
その領域のルールであって、絶対の真理がそこにあるわけじゃない。
どの世界が良いかは自分が決めればいいけど、
違う次元には違う次元の環境がある。
一つの世界しか知らなければ、違う世界があるってことすら知らない。
知らないことすら知らない。
まあ、個人の起業だから、フリーランスより大掛かりでも、
基本、Sクアドラントだよね。
EとSで何が違うの?
それ知らないで、起業勧めるなよ。
根本的にダメだよ。
ゼロからイチって、自己の変態を伴うもんだと覚悟しておいた方が無難じゃね。
現状のカイゼンでは到達できない。質的な絶対的変化。
その支払い、舐めて得することはないよ。
ちょっとイラッとしたので、書いてみました。
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