「容疑者Xの献身」 生きてると推理力が必要なことあります。 <書評とか>

東京で暮らしてみて、ようやく慣れたかも。
まあ、不可解な相手組織の状況を読まねば、というケース増えてます。
生きてくって大変ですね。

ところで、シャマラン井上夢人→東野圭吾 という順で、遅ればせながら読みました。
なるほど! このマッチングは素晴らしい。ナイスアイディア。
でも惜しいかな。いやそれも含めてメガミックスな思惑か?
当時は特に版権高かったであろう、賞逃し気味だったベストセラー作家を思う。
 
 
 
なんか不自然だな、裏事情があるに違いない。
特に東京で生きると、そういう能力問われることがままあります。
推理小説読むという作業は、意外と実用かもしれません。ビジネス書なんかより。
 
そんな今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか、お久しぶりです。三歩目です。
 
 
ええと、献身ものから、容疑者Xというのは自然な流れで、
比較鑑賞しようと、読んだ感想おば。
ネタバレ全開でしか語れませんが、ご容赦。 
 
アイディア素晴らしいと思いました。第一に。
アイディアというのは、死体のトリックそのものでなく、
 
堤真一役の壮絶な決意を表現するに、実に適切なトリックを組み合わせたこと。
ただ罪を被る程度では、物足りないところに、コレを持ってくるのか、、
 
その組み合わせの妙は卓越と呼ぶに充分と思います。
この卓越なアイディアを具現化するに、東野圭吾の技量を以ってすれば、
優れたエンタテイメント作品を仕上げることは容易でしょう。
 
トリック自体が既に手垢ついてると言ったって、
手垢のついてないトリック見つけるのは、現在では不可能に近い。
大事なのは、どう使うか? とその演出。
 
マジックとかでタネ自体は新しくなくても、手を変え品を変え生き延びるように。
 
 
でも、惜しい。ボクなら前後編にする。
というか、その構想で、東野圭吾の筆で読んでみたかった。
 
 
天才数学者なんでしょ。
だったら、誰かが真相に気づいて、松雪泰子に自白促すことは、想定の範囲内じゃん。
そこで、プランが瓦解するんじゃ、緻密さに欠ける。
 
 
たとえ、自分以外の誰が真実を語ろうと、
証拠は無い、状況は圧倒的に自分の主張を裏付ける。
起訴されて、罪を全面的に認めれば、それで勝利確定。
現在の司法制度では、彼女達が罪を問われることは永久にない。
 
 
前半は、死体トリックと献身。元ネタは手垢の着いたミステリーで、
後半は、司法制度と献身。これは元ネタあるかな?
 
で、苦悩する松雪泰子の姿まで描けば、元ネタは手垢の着いたロシア文学だし。
 
 
 
そこまでやって欲しかった。
東野圭吾自身そこまで、思いついていただろうし、
そう書こうと思えば書けたでしょうね。
 
でも、長すぎ?
かえって、複雑でウケ悪くなるかもよ。
 
いやー、映画化といえば、これで直木賞あげるなら、
「手紙」あたりであげときゃよかったと思いますよ。
だいたい、審査員より売れちゃった人にあげない傾向あるよね。

今回は直木賞で、本、テレビ、映画という完璧なシナリオだから、
それを乱す要素は入れられなかったのだろうなぁ。
だから、その尺で前半部分だけでまとめた。
 
もとはオール読物の連載で、
どのタイミングでこのシナリオ完成してたか分かんないけど、
 
前後編で読みたかったなぁ。
というか、今からでも後編作って欲しいけど、
ラストで、堤真一が観念しちゃった描写いれちゃったからムリか。
 
いや、それ入れないと、完結しないので、仕方ないけどさ。
 
 
逆に言うと、あのラストが不満なんだよね。
司法制度の矛盾まで視野に入れているのに、そこで諦めて試合終了はないだろう。
 
起訴の前(がベストか、あるいは法廷か)に、
彼の完璧なプランを突き崩そうとする福山雅治、
自らの贖罪を望む松雪泰子親子。
 
状況証拠は献身の主張を覆すことは難しい。
物理学者チームはどうやって立ち向かうのだろう?
 
それはそれで、実に興味深い物語になったことだろう。
たぶん、直木賞という縛りがなければ、
原作と映画は前後編で行けただろう、残念。
 
と勝手な推察をしてます。
 
まあ、一度裁かれたら、それで終わりだからってアイディアの作品あれば、
見つけたら次は読んでみます。
 
 
 
それはさておき、容疑者Xの論争があったらしい。
知らんかった。
これが本格ミステリかどうかと訊かれたら、
作品の肝はそこじゃねえだろとツッコミたくはなるけど、
本格かどうかは、正直どうでもいい。

これが純愛かどうかと訊かれたら、
愛という西洋的な概念はそもそも、4つぐらいに分類してるくらいだから、
モラルな愛だけが愛じゃなくて、
むしろモラルに反するそれのカタチを描く方が、文学的にはありきたりなんだが、
 
純愛かどうかは、どうでもいいだけでなく、
小説を語る読み手側の見識を問われるよそれじゃ、
 
 
なのだが、
孤独な数学教師が本当に愛したのは母親ではなく娘ではないか、
という指摘は、オレも同じこと思った。
 
というか、作者東野圭吾自体は娘の方に肩入れしてる。
ここはもう一つポイントかと思う。
 
この作品、心理描写は一貫して、一面的で分かりやすくベタに書かれてる。
ドラマ「渡る世間」のナレーションのように。
 
心の動きを追うのでもなく、ハードボイルドをヤルのでもなく。
敢えてベタに分かりやすくやってる。
この計算は縛りなのか、東野圭吾の特質なのか、
評価が微妙だと思った。
ただ、承知の上で敢えてそうやってるという気がする。
 
 
 
だって、さあ。
ろくでなしとは言え殺して、他の男のオファーに浮かれるオンナ。 感情移入出来る?
外見は男を惑わす美貌の持ち主でも、
 
能天気な白痴美人にしか描かれていない。
綾瀬はるかから純真さを引いた感じ。そんな人物造形なんだよなぁ。
 
 
恋は思案の外とは言え、そんな人格に頭いい人が惚れるかなぁ。
 
それに対比して、ちょっとだけ描かれる、娘さん。
母親の姿に苦言を呈するとこでも分かるとおり、
しっかりもので、内面に苦悩抱えるらしいと想像される。
惚れるならコッチでしょ。
 
外見は母親譲りで、内面は別の遺伝。
場当たり的に男選びして、頭もそれ以外も軽そうなオンナが親じゃ、
そりゃ苦労絶えないな。
 
不憫である。
この娘だけは、守りたい。
孤独な天才がそう決意した、とする方が、全体に感情移入しやすい。
 
で、ベストセラー作家は少なくとも、ダメな人として母親を造形してる。
娘のリストカットが唐突と批判ありましょうけど、
娘の内面を書きすぎると、
バカな母親と、それに恋する男はもっと愚かに見えてしまう。
 
 
諸々のバランス考えて、
書くことと書かないこと決めたんじゃないだろうか。
ま、擁護にはなんねえけど、
 
能力100%というよりは、いろんな事情の縛りを想像してしまう作品ではある。
まあ、なんで今さら直木賞? って先入観のなせる技かもしれないが。
 
 
 
個人的には、弁当屋に通うとこはカットして、書き直せんだろうかと。
逆に偏愛から盗聴くらいのエピソードは入れて。 
 
この娘だけは守ろう、バカな親でも母親は必要だ。
そこを動機にして、
司法制度の矛盾を利用した勝利を目指す。
そこまでに、何重にもトリックを巡らす。
 
真意を知った天才探偵と、それを聞いた親子の葛藤。
で、勝利の行方をハラハラと書いてくれたらなぁ。
 
前後編で丁度いい長さだと思うんだけどなぁ。
 
 
実に、惜しい。
 
 
 
自分の心づくしに値する相手かどうかは関係ない
アンチテーゼとして、井上夢人がヤリたかったのは、この点かもしれないね。
 
現実には、それが一番大事なことだったりするから尚更、
そのアンチテーゼがイイ感じかな。
 
 
心を尽くす甲斐の無い人に心を尽くしても人生のムダ。
現実を生きる上では、その見極めが、とても重要なテーマだもの。
 
だからこその、
全てを承知した上での、愚かな純真が光る。
 
 
東野圭吾は全てを承知の上で、自分の得手不得手も把握した上で、
どこにポイントを置いたのだろう。
 
その配慮の仕方こそが、ベストセラーの秘密かもしれん。
 
かつてロバートキヨサキが、
自分は優秀な書き手ではないが、ベストセラー作家であると言った。
 
そう、セールスの能力とは何か、マーケティングの卓越とは何か、
それは、芸術を創るのとはまた別の能力。
 
そんなこと書いてた記憶がある。
 
 
ま、人間ってピンからキリだから。にんげんけだもの。
自分の質も勘定に入れて、どういうポジションニングでどう振る舞うかが、
生存戦略というものである。
 
結局この世は、適者生存だと改めて思う。
寒さも凌げたし、拙を守りて山奥に帰るべきかな。
そんな今日このごろ。
 
 
 
 
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