昨日の続きですが、チャント書いておきます。メモ。
毎度ですが、何度でも書きます。
まずは環境認識が大事。
愛情は能力だし、親として無能なまま親になった例も多数、
自分のコンプレックスの発散として子供を利用する人間モドキも普通に存在する。
どんな親に当たるかは、選べない。
選んで来ると言う人も居ますが、「確かめようもないことは確かめられない」、
不確実なことを無理やり信じる必要もない。
まあ、運が悪かった。配牌が悪い。
大事なことは、
配牌の悪さをきちんと認識した上で、最善を尽くす。
毒親と距離も置かずに、関係修復しようとするのは、
無理にアガリを目指すようなもの。
点数状況が有利だったり、
自分の親番残ってたり、
トータルではこの順位で充分だったり、
だったら、多井隆晴プロの推奨するように、配牌オリでいい。
↓他は恵まれて、毒親とは精神的な問題だけ。
ぼくはあなたに何も言えない
https://cakes.mu/posts/31268
この相談者の主な失敗は、過去に間違った相談者を選んで来たこと。
歪んでない愛情受けて育った人には理解されないし、
耳障りのいい言葉は実態はどうあれ多数派だしね。
血は繋がってもクソはクソ。毒親は許さなくていいし、捨てればいい。
アナタが同じクソでなければ、縁は切れるよ。
タダ逃げるだけで済まないなら、必要な法的精算は専門家に相談してね。
今独立して、自由な選択が出来るなら、もう関係がない。
自分が自分の親になればいい。
自分の内面で、自分の不幸を再生産し続けているだけ。
ちゃっちゃと、そう指摘してあげないのは、薄情だな。
問題は、内面の不幸の再生産。
反芻が止まらないことですよね。これが毒親の二次被害。
スクリーンに映る映像を観てる観客の自分に気付く。
メタ視点を得て、
自分を脇に置いた理性的な場況判断に至る。
それから自己受容ですけど。
間違った「ゆるし」が横行しすぎ。それが相談者を苦しめています。
「ゆるす」はクソな人間モドキと関係修復することではない。
「ゆるす」は悪を善であるかの如く反応することではない。
「ゆるす」は感情でなく理性で対処すること。
「ゆるす」は裁くのは自分の仕事ではないと自覚しつつ、現実は決然と対処すること。
「ゆるす」は自分をゆるすこと。
「ゆるす」はそんな毒親と当時繋がっていた自分の愚かな判断をゆるすこと。
クソな人はクソ。人を変えることは諦めましょう。
それは自分の範疇でない他人の荷物。
自分の荷物は、
当時見捨てることが出来なかった、
逆に対決することも出来なかった、
間違って、分かって欲しいと思ってしまった。
そんな、
自分の愚かさも、悔しかった感情も、
認めてあげよう。自分が自分の親になってあげよう。
もう、そんな失敗を繰り返す必要はないですから。
復讐はオススメしないけど、対決は有効。
この本は実践に基づいてます。きれい事がまだまだ横行する中では。
どうでもよい学術よりのところは飛ばしてもいいので。要点は。
・青年期以降の怒りの反芻が二次被害であること。多くの毒親育ちがこれに苦しむ。
・間違った「ゆるし」は逆効果で許せないことに苦しむ。
・対決は未来指向に自分が変わるために有効である。
・間違った相談者を選ばず、適切なカウンセリングを受けるべし。
でした。
特筆すべきは、対決の有効性。
人間が儀式を行うのは、これまでの過去とこれからは違う。
バンジー的な通過儀礼によって、自己認識を改めます。
私の場合、相手が生きてるうちに、ちゃんと縁切れてよかった。
墓石相手でなく、ライブの方が臨場感あります。
血は繋がっても心は切れるのですが、
過去とは違うという、区切りがつく儀式あるといいですね。
健康な運命の人は、葬式なのでしょうけど、
葬式に出ない約束もそこで出来ましたから。私の場合。
生前というラッキーを逃してしまったら、
墓石前でなくても、イメージで縁切りのワークするかな。
できれば、現実的な縁切りの記しが残るといいですね。縁切り神社行くもよし。
相手は平気で嘘をつく冷酷な生き物ですから、
その後も、折りに触れ、関係修復迫ってくることも多い。
その時に、ハッキリ形に残る標しを持ってると、悪霊退散します。
許さなくていいですよ。ただし許せない自分に罪悪感持つのはご法度。
ちゃんと現状肯定しましょうよ。
お互い様とかも、思わなくていいです。
裁くのは有罪でも無罪でも辞めましょう。自分の仕事じゃない。
ただ、拒絶すればいい。
生きているなら、自分の意志を伝えれば、それでいい。
周りの「常識的」なアドバイスしてくるヤカラどもも、在庫一掃。
関係を断てばそれでいい。
あいつら、さほど成果出してもない。幸せでもない。責任観念もない。
関わる必要のある集団ではないですよ。
波動同調の法則、類は友を呼ぶ。
彼らは、今のアナタに調度良くない。
今の「調度いい」に出会い、良い未来を築きましょう。
捨てるもの捨て、次を拾う。
基本それで解決しますけど、反芻の止め方が、まだ残る。
私も反芻はようやく止まってはいますが、
毒親問題について考えると、
フラッシュバックしますし、怒りの感情も再現されます。
あ、
今映画のように、映像見てると、没入から離れる。
さっき浮かんできた映像は、
偉そうに、ガミガミと箸の上げ下ろしに文句つけるくせに。
包丁を玄関に出しっぱなしに平気でしてる、血だけ繋がった女性の姿です。
宅配便の荷物を(ハサミでもなく)台所から取り出した包丁でほどき、
荷物は片付けても、包丁は役が済んだので、興味が無いので放置。
劣等感だけで出来ている存在。
「他人が怪我したら」という想像力や優しさの能力は無い。
なんで、こんなクズ見捨てられなかったんだろう。
小さなことに見えるが、これが本質。
無能は無能。
役職に求められることでも、その人には能力が無いという現実がある。
幼年期の自分がまだ許せないらしいです。
怒りは二次感情ですから。
こんな人が親という絶望と悲しみ。
現実を拒否してしまった。
現実を現実として受け入れていれば、チャント無視すべきをもっと無視できた。
依存が高く、見極めをつける能力が低い。
子供の自分を許してもいいよ、子供なんだから。
無力な子供だった悔しさも、せめて自分は認めてあげようよ。
今はもう修了したのだから。
むしろ自分の手持ちカードは「良くも悪くもこれこそが自分というものだ」と開き直って「業の肯定」をしてしまえれば、
「皇帝」を撃つための秘策が見えてくるのではないでしょうか。
ゆるさなくていいけど、手持ちのカードが悪いとセイにするのは違うな。
そういう感情の処理はしない。
ヤッチくん見ていると、恵まれたものが有利とも限らず、
今あるもので最大限戦う方が爽やかな会見。
展望拓けそうですね。
私もかくありたい。