「気づきを得た」だけでは無意味。センスない人と接したときに、その人のセンスが問われる。

他人には口うるさいくせに、自分は平気で玄関に包丁置きっぱなしにする。
そんな存在について、前回言及しました。
 
いまだ怒りを感じるのは、本能のセンサーが鳴ってるからです。
今、あまりビジネスセンス溢れるとは言えない人とやり取りしてます。
 
 取捨選択が下手、無駄が多いので、余計なことに時間取られて、話が進まない。
 大事なことから選ぶ、優先事項を優先するが出来てない。
 
  
「今、センス無い人と接してるぞ、」
そのお知らせに気づいたら、放置しちゃダメだよ。
と本能が教えてくれています。
 
麻雀で言えば、転んだときに右腕庇う魚谷プロ
の「違いをもたらす違い」に気づけない若手プロは惜しい。

ヤッチくんより、萩原京平選手にセンスを感じます。
 
で、センスの無い人へ、 
 苦手なところで戦わなくていいよ。
 既に私が(アナタより何倍も)体験してるところで、100点とろうとされてさ、
 私の無知な領域で、1点でも加点してくれよ。
 勝てるところで勝ってね。
 
そんなメッセージ送りました。
完成度に拘らなくていいから、方向感は正しくあれ。
苦手なところでの努力は成果出ないよ。 
 
 
そこで、センスについて、思い出したので、読み直してみました。
薄っぺらいと侮ることなかれ、
センスない人と接したときに、その人のセンスが問われる。

著者が後輩の起業披露パーティでの実体験を書いてます。

そのパーティーの幹事は田舎の子のように素朴な人たちです。
同時に150人が集まるような会で、小さなエレベーターの上の場所をとること自体、場所設定が間違っています。
そこでコートを預かることにも問題があったのです。

「女子大生を使ったマーケティング」というポワーンとしたイメージはあります。
でも、具体的に何をやるかは何も見えていない状態です。 パーティー後のタイムテーブルを聞くと、「試験期間が始まるので、それが終わってから始めます」と言うのです。「ウワー、サークル活動だ」と思いました。
でも、彼女たちにセンスがあるとしたら、やることが見えていないのに会社をつくろうとしていることです。
私は彼女たちの知り合いではありません。 でも、私と同じ早稲田出身の子だし、助けてあげようと思ったのです。

今日はクロークで手伝わせてもらおう、誘導係で手伝わせてもらおう、裏方で手伝わせてもらおうというふうに、手伝うところをワンポイントに絞れることがセンスです。
才能とセンスとは違います。
才能は、いろいろなことができなければなりません。
センスは、10個のうち1個できればOKです。
そう考えるとラクになります。センスは、がんばりすぎてはいけません。
ここで何を手伝ったらいいかに気づけば、あなたのセンスになります。
現場の予算がないことに気づいたら、負担をかけないようにはどうすればいいかと気を使うのもセンスです。
招待状を見ると、相手のセンスがわかります。
それを見てどのくらい大混乱になるかを予測することでも、あなたのセンスは磨かれるのです。

センスの無い後輩に関わってしまった。
 「だめだこりゃ」と愛想を尽かす多数派、
 あまりのダメさに大人気なく怒ってしまう人、
 混雑の中で、狭い受付により集中してしまうセンス無い人、

著者は、
センス良く手伝って、状況改善に寄与するするセンスある人。とのこと。

招待状の段階でセンスない起業だと想像はついていた。
でも、その無謀さに好ましい可能性を感じた。
好ましいなら、センスを発揮して助けてあげよう。

そこから派生して、
センスの良い人の目立たないけど、違いを生み出す違いが列挙されます。
 
 
 
「玄関に包丁出しっぱなし」センスない人材の最たるもので、
これでは、奴隷労働しか任せられないだろうし、
それでも、配慮不足から周りは大変だろう。

 劣等感に執着し、
 自分より弱い立場の子供相手にストレス発散するからなおさら、
 成長は無い。能力に向き合わない。
 余計にセンスのなさを発揮し続ける。
 という負のスパイラル。
 
って、今なら能力を分析する余裕があるが、当時は無理だな。
当時、無理で、気づきを何も活用出来なかった自分を許してやれよ。
子供なんだよ。
 
今なら、そういう本性とは、関わらなきゃいいだけだけど。
逃れられない関係なら、今ならどうするだろう。
 ・当事者としては諦めて接する。期待しない。
 ・そういう本性との経験を他で活かすよう意識する。
 
 
 
当事者としては諦めて接する。期待しない。
親という地位に必要な能力という基準を用いず。
本性のままの能力を前提に、無駄な期待をしない。一切期待しない。
出来てくれたことには、素直に感謝して、
あとは、自分に集中していればいい。

こちらの課題に土足で踏み込むようなことをしてきたら、殴ればよかった。
あなたには関係がない、知ったこっちゃないと伝える。
言語以外でも伝えときゃよかったな。

心を揺らさず殴るとか出来るように訓練出来たかもしれない。
まあ、犯罪者になる勇気はなかったし、今も無いかもしれないけど。
もっと早めに決定的に対決しておけば、早めに縁が切れたかもしれない。
気づきに対する対処は大事だね。
  
 
 
そういう本性との経験を他で活かすよう意識する。
働いても、移動先の座席表も作らずオフィスの引っ越し計画する課長も居る。
その程度には、センスない人材と接する経験は日常茶飯だった。
お金が欲しいから、勇気を発揮出来ないでいた。 

都度チャント指摘して、嫌われておけばよかった。
嫌味ではなく、感情でもなく、
仕事上、影響ある問題点は処理しておけばよかった。
摩擦の起こし方が下手なのは、幼年期の体験にある。
「気づき」を活かすセンスある対処ができなてない。

今はさすがに、アラーム鳴ったら、付き合える可能な範囲を峻別して、
最適な範囲で付き合えるように、限定できる。かな。
 
 
 
たまには不動産の話、滞納が発生して。
後から請求かけるタイプの家賃保証だった。

保証人が固い、家賃保証あり。でも。
慢性的に滞納が発生するようならさ。
入居者さんの状況を話あって、ちゃんと確認しておいて欲しい。
その上で善後策は考えよう。
 
追い詰める必要はないけれど、
後から家賃保証に払えばいいと習慣化だけは避けよう。
事情をよく確認して、
私の物件に住んでもらって、悪習慣の温床だけは、ダメ絶対。
私達は、幸せの総量を増やす活動をしてる。 

気づいているのに放置はない。必ず対処する。
  
管理会社の担当さんに電話して、
入居者さんや、保証人さんに連絡とってもらった。
 
その後の経過も都度確認。
こちらから、管理会社の担当さんに何度も電話した。
問題解決の本気度を共有して貰わんと。
当人はもとより、担当さんも、保証人さんも本気になってね。 
 
  
大家なら、当たり前に出来てることが、他ではできない私。
大家は確かに強い立場だけど、
  
弱い立場だから出来ないで、停止するのはセンスない。

最近、視座を変えることに成功したので、
センス無い人にも対応するセンスが変わった気がしてます。

 拒絶する → 効果的に限定する
まで、今経験してます。

良いチームを編成する はまだ、不動産以外では出来てません。
ITだと、勝手が違うのは、参画の仕方に問題あるかもしれません。
視座が変われば、変わるかもしれません。
 

実は、センスの本に気づきがあった。

「センスとは、知識に基づく予測」らしいです。中谷彰宏と一緒。
 

歴史を眺めてみると、技術が劇的な進化を遂げるとセンスの時代が来て、しばらくするとまた技術の時代がやって来るという〝サイクル〟が感じられます。
たとえば利休が生きた時代は、イタリアで起こったルネッサンスが隆盛を迎えた時代とも重なります。ルネッサンスとは、復興、再生を意味し、古代ローマやギリシャのセンスを取り戻そうという「なつかしさ」を求めた文化運動です。

 

僕の仮説が正しければ、情報革命によって技術がピークを迎えたあとのこれからの時代は、センスの時代です。「無料で世界中の人とコンタクトが取れる、すごい!」と言っていた技術の時代は終わりを告げ、しばらく停滞するでしょう。どのようにその技術を楽しむか、細部の発達、文化や美が求められるようになるでしょう。

市場はすでに、センスの方向に動き始めているのです。だからセンスのいい企業が成長し、センスのあるビジネスパーソンが求められているのではないでしょうか。

時代のニーズは変化します。たとえば、高度経済成長時代の企業に求められたのは、真面目に熱心に働くことでした。
その代表がパナソニックであり、松下幸之助さんでしょう。残された多くの著書を見ると、彼が大切にしていたのは真面目さ、勤勉さ、倫理観や道徳心だと感じます。どれも素晴らしいもので、尊敬する経営者の一人ですが、センスや美意識に言及された本はあまり見ません。

 
センスに関わる、自らが置かれた環境認識を、この本で改めた。
センス無い人達で溢れていて当然の孤島だった。
センス無い人達に囲まれたときの振る舞いに、私のセンスが問われていたのだね。。
  
  
さらに、大家業の自分がITよりもマシな理由も分かる。

知識というのは紙のようなもので、センスとは絵のようなものです。
紙が大きければ大きいほど、そこに描かれる絵は自由でおおらかなものになる可能性が高くなっていきます。
道路を掃除する人は、「きれいな道路」という価値を生み出す仕事に就いているのですから、きれいにするとはどういうことかを知っていなくてはなりません。
コンビニで働く人は、「便利さ」という価値を顧客に与える仕事に就いているのですから、便利とはどういうことかを知っていなければなりません。
きれいな道路、あるいは便利さというのは、どのくらい価値あることなのか。どういうことをするとその価値がキープできるのか。そうした知識がなければ、マニュアルどおりに動くしかなくなります。

ITだと、成果物が見えやすい反面、価値についての知識が粗い。私は。
 
昔、西山雄一さんに、
 入居者の生活習慣も大家の姿勢次第、
と教わった。
 
ITの仕事するときとは、全然取り組み方が自分でも違うと分かる。
職場環境に流されすぎだね。

リモートの時代になってほんとに良かった。いい時代です。

カテゴリー: 不動産投資, 書評、映画評など, 管理業務 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*