観よう観ようと先延ばしにしてた3作品観ました。
前々回、成田凌が良かったので、
ああ、そういえば、あの話題作観てなかったと。
岸井ゆきのを一躍スターダムに押し上げた作品。
wikiによると、
当初は全国72館で公開されたが、10代後半 – 30代の女性やカップルを中心にSNSや口コミで評判となり、独立系の低予算作品としてはあまり例を見ないロングランヒットを記録。2019年6月時点で152館まで上映館が拡大された[6][7]。
そういう現象が起こるのは喜ばしいし、観てなるほど。
納得の出来栄えですね。
一に脚本、ニに監督(演出)、三にキャスト。
その順ですね大事なの。役者は揃うから、日本でも。
「おじいちゃん、死んじゃったって。」は劇場で観たのですが、
そのときはそれほど、主役の印象も薄かった。
本作は全力でやべえ人。ナチュラルに怪演でした。
公開当時話題になったので、観よう観ようとは思ってました。
角田光代なので、原作でハラハラする心配はないだろう。
成田凌といえば、やっぱクズ役だよな。
程度の予備知識で観ました。
冒頭のエピソードが素晴らしく。
開始早々に安心しました。
寝込んでる成田凌が夜中電話で岸井ゆきのを呼びつける、
看病してくれと。
味噌煮込みうどん作ってくれるところまではいいんだけど、
風呂掃除まで始める。
そこで、帰れと彼女を追い返すクズ男ぶり。
呆然とする岸井ゆきのの表情を観て、ああこの映画大丈夫だと。
最初の5分で二人の関係性を提示するのですが、無駄が無い。
今泉力哉監督の映像が過不足なく、
余計なことをしない。説明的でもない。でもちゃんと伝わる。
成田凌は安定のクズっぷり。
岸井ゆきのって目が独特で犬っぽい顔で犬っぽい役、
こんなにうまかったっけ。
インテリアや衣装も程よくオシャレで、目にも嬉しい。
街並みもオシャレ過ぎない程良さ。
短期撮影のため、季節感が出せないのが、唯一の残念。
フードの使い方も上手ですね。
めんつゆじゃなくて、味噌煮込みうどんというのが絶妙ですね。
私には美味そうでしたけど、
カレーうどんじゃ発汗を促すので、また別の意味になってしまう。
お話の構造は、
岸井ゆきの×成田凌、若葉竜也×深川麻衣
の似たような二組のカップル。
そこに、異物江口のりこがぶっこまれることで、
二組のカップルに変化が起こる。
二組似てるんですけど、若葉竜也は猫っぽい。
似てるけど違う気がする。。
最終的に、全く違う二組の結末でしたし。
背の高い優男。成田凌は今泉監督の投影だけど、
監督は俳優ほどイケメンでもなく、モテないような気もする。
いや、この男は止めた方がいいと思わせながら、
ああ、でもこれはやられちゃうよな。
魔性の男。
が、冒頭のシーン。
男はクズだが、風呂掃除始める女も大概で、
私的な領域侵食されるのは怖い。まるで毒な母親みたい。
相手が居るようで、相手は居ない。
愛されることは必ずしも、幸福に直結しない。
魔性の男は天性なので仕方ない。
でも、この女はヤバい。壁を立てて防御しなくては。
江口のりこを投入して、共依存は避ける。
感情的には、男の方に移入してしまう。
男がクズ野郎なのに、女の方がヤバい。
この二重構造が巧みで、ドンピシャのキャストで、
確かな演出。
それで、角田光代原作ですから、勝ちですよねそりゃ。
テーマが無私なる情熱。かな。
無私だからといって、エゴイスティックで無いわけでもない。
愛ってなんだろ。
依存というか、中毒。
江口のりこというショック療法で、改善に向かうのかと思いきや。
ラスト、全然治ってないのか、、
相変わらず、
相手が居るようんで相手が居ない。
ただ没入による。境界線の喪失。
愛する他者と自分が同化する感覚にドーパミンが放出されているかのよう。
もはや、愛とか、どーでもいいのか?
この映画、ホラーだったの。。
リアルなフリして、遠いところまで連れてってくれる。
なるほど、ただの恋愛映画じゃ、ここまでヒットしないか。
角田光代の恐ろしい原作と、
高い完成度での映画化。
ま、成田凌を愛でるだけでも、もと取れますけどね。
そこで、脳のあり方と人格形成の本、最近興味深く読みました。
報酬系の刺激に反応を止められない脳は存在するという。
日常系で、ホラーじゃないのに、怖い恋愛映画。
連想してしまったので、次に観た。50年ほど前のフランス映画。
アニエス・ヴァルダの映画は精神を抉られることがあるので、
観ないようにしていた。
ま、とにかく映像が素晴らしく。鮮やかで美しい。
画を観てるだけで飽きません。
ネタバレですけどね、
町山さんの解説を先に聴いてもよいかな。
怖いけど、なんだかよく分からないし。
ずっと、モーツァルトが不穏です。
お話はてらいもなく、真っ直ぐ。
オキシトシンがダダ漏れる、家族の幸福なピクニックで始まり。
ピクニックで衝撃の告白と事件。
幸福な家族のピクニックで終わる。
何を観せられているんだろう?
現代の目で観ると、男目線とか、そういう浅さじゃないよな。
不倫を描くというのとも、違うよな。
自分が確信してた幸せが、
ただ交換可能なパーツに過ぎなかった。
そんな失望は男にも多いと思われ。
にしても、なにこのエンド。
近年の頑張って、サイコパス描いても遠く及ばない怖さ。
前出の橘玲の本でも、博愛主義者は共感性に乏しいと記述あるのだが、
ガンジーも、マザー・テレサも身近な人には冷淡だったらしいと。
平均的な人が想像出来るエゴは表現がグロいだけだものなぁ。
幸福追求権という言葉があります。
無垢な男はただひたすら幸福を追求するのみ。
女はそれを認めず、自分の幸福と家庭のため戦うことも出来た。
あるいは、
ただ純粋に受け入れていたらどうなのだろう。
もしかしたら、幸福の総量は同じだったかもしれない。
まあ、自殺だと思うけど、
ひょっとしたら、夫がヤッた可能性もあるんじゃ。
どうせ事故だと思いこむんだから、変わりゃしない。
幸福は追求したもん勝ちか、
家庭なんて、動物と違って所詮人工物だし。
エゴのくせに、純真無垢。「愛がなんだ」の裏返しの怖さ。
そんなこんなで、丁度いい本も読んでみた。
おっしゃることはごもっとも、
ただいつもそこまで武装してるのは生きづらい。
ま、そうでもしなくちゃ、直視し難いこともある。
すべての人間が家族に関して認識しておくべきことがある。それは、「家族を含めて、すべての人間集団は本質的には利益集団である」ということだ。
家族が利益集団になったのは、一九八〇年代からでもないし、資本主義の影響でもない。そもそも、人間は、なぜ集団を形成するのか。集団を形成するほうが、利益があるからだ。自己防衛になるからだ。
他人と共にいるほうが寂しくないし、心強いというのも立派な利益だ。ひょっとしたら、集団形成のほんとうの意味とか利益とか必要性は、孤独からの疑似解放感だけかもしれない。
その集団の人間関係が深まり、日常を共にするようになれば家族と呼ばれるのであり、家族という集団それ自体に特別な何かが備わっているわけではないのではないか。それこそ「家族神話」ではないのか。
何事も、手放しで信じると、ときどき痛い面に合います。
私も身を持って教わりました。
幸福追求権と同様に、愚行権という概念があったと連想して、
新作公開されてる、石川慶監督の処女作。
石川監督の作品は初めて観ました。
評価は相半ばといったところか、総じて、
脚本はあまり褒めてないが、演技を褒める傾向にある。
うーん、個人的には、あまり評価しません。
丁寧だけど、不親切。
と感じます。
映像化が難しい原作を脚本にする段階でちょっと厳しかったかな。
それと、原作自体が孕む問題がそのまま処理されず露呈するのもノイズ。
お話は、
A:DV家庭の兄妹
B:虚栄に満ちたキャンパスライフからの惨殺事件
が終盤交差する。
のですが、Bだけでよくねえか?
無理にAを持ち出したのが、蛇足に感じる。
それと、
満島ひかりが何かと被害者ズラするんだが、
慶応大学合格して、不自由なく暮らせているんだし、
大学気に入らないなら、仮面浪人して東大でも目指せばいいのに、
賢いのなら官僚にでもなれば、マンションデベロッパーの社畜とかより、
優越感感じられるんじゃねぇの。
それで、
過去の境遇から抜け出せるかどうかは、100%本人の選択で、
自ら率先してキャンパス内カーストに属して、
それはないよ。
ただ類は友を呼ぶだけ、波動同調の法則。
その辺の批判は↓の映画評に詳しい。
愚行録を逆から観るとわかる物語
http://www.jiyuuniikiru.com/sonota/gukouroku.html
野望がありそうなこと言ってて、結局しょぼい。
性質が悪いだけで、非合理な選択を敢えてしてる訳でもない。
ま、性質が悪いのも、性根の問題以上に、浅はかさは重いけど。
長期的利益を軽視する浅はかさは、浅はかと形容されて、
あんまり、愚行とは言われない気がする。
前出の橘玲本でも引用される定番。
目先の欲望に飛びつくのがファスト思考。
だいたい、恋人のコネで就職しておいて、
入社したら、用済みか?
いや、これからより有効に活用しなくちゃ。
出世しなくていいの?
しかもマンションデベロッパーなんて、
これからリーマンショック経験するんだろ。
勉強は出来ても、思慮には欠ける。
そういう人達の似たようなエピソードが繰り返される。
いやあ、一生やっててよ。としか感想はない。
その浅はかさから破滅しても自業自得じゃん。
神は信じるものにしか居ないので、
家柄でも、ブランドバッグでも、キンコン西野でも、何でも。
信じるものの間でしか、支配構造は成立しないし。
その閉鎖空間から脱する方法は、あるし。
心を動かされる要素がないので、単調にグルグル人を変えては繰り返し。
早稲田でも慶応でも東大でも、
スーパーフリー事件的なことは起こっているのだから、
そういうの題材に映画化した方が、まだ面白そう。
Bの謎に興味失うと、Aの話もとってつけたようで、関心が持てない。
そこで起こる第二の殺人がまた杜撰でご都合なので、更に白ける。
それじゃ、すぐ足着くよ。
原作はストーリーの完成度ではなく、会話劇で引っ張るところの面白さ。
それを失って、魅力のない小市民な悪意を描かれても、
演技は上手いんだけどなぁ。謎が輝かない。
と観てしまいました。
演技に引き込まれたら、楽しめたと思います。
映像的には、映画的で流石のポーランド留学。
ですが、
会話のシーンでカメラ揺れるのは、酔うし見辛い。
ちょっと、うるさいかとは思いました。
原作のインタビューの場面、回想で映像化してるのですが、
設定が変わるだけで、役者さんたちの変化少ないので、
(臼田あさ美さんだけ、変化つけてくれてたけど、)
時間の経過がわかりづらく、
似たような人の似たようなエピソード繰り返すので、
頭の中で整理しづらい。
丁寧な割には、不親切かなぁ。。
惜しい。
演出や演技はとてもよいので、ハマれる人は楽しめたと思われ。
一に脚本だと、改めて思う。