ミステリーとサスペンスの違いとは?「ガレージセール・ミステリー 探偵ジェニファー2」「ダウト 嘘つきオトコは誰?」「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」 人生も謎解きと宝探し。

ミステリーは謎が中心。謎の行方で興味を引っ張る。
サスペンスは道中のハラハラドキドキがメイン。
 
ミステリーの娯楽作は、自意識が漏れず、楽しませること。
それも、安易に主人公の危機でサスペンス的に盛り上げず。
あくまで、謎の行方で引っ張る。
 
これはストイックなことだと、再認識した。
逆に悪い経験が最近あり、こんなこと考えていた。
 
 自分のお客さんにだけ責任を持ち、
 それ以外には無駄に責任を持とうとせず、捨てる。
 大事な承認欲求と無駄な承認欲求の区別をしよう。
 エンタメって、いや、コンテンツ全般そうもの。
 
 価値を必要としている人に届けることだけに責任を持ち、
 対象外は捨てていく。万人に好かれなくていい。
 
ターゲティングとか理論をかじっても、
私は分かってなかった。勢いで出版しただけだった。 
 
 
 
一昔前のシリーズがアマプラで会員無料に。
お気楽なミステリーを2時間で楽しむ。今あまりないよね。
2にしたのは、1より面白いとレビューにあったから、特にそれ以上の理由はなく。

似てるようでも、ミステリーとサスペンスは異なる。
ホラーでも人間ドラマでもない、娯楽作。
純正のミステリーは、連続ドラマ向きだし、
 
最近の映画では難しい。
古典で、すでにやり尽くされてる感あるし。
と、思いながらボーッと。 
リラックスして、頭使わず、堪能しました。
  
 美男美女過ぎず、程よくTV的な感じが良いです。
 イギリスでなく、アメリカのアンティークという設定が秀逸。
 ヒロインの目利きの能力が捜査にも関係して、特徴よく活かしてる。
 
 古い自転車拾って、
 塗り直したり、付け替えたりすると価値が落ちる。
 これがまた設定を活かす脚本になってて好感しました。
 
 価値があることと無価値なこと、
 そのテーマを上手に謎に絡めて活かしています。
 
 
昔訪れた都市、ミャンマーのバガンを思い出しました。
壮大な遺跡が広がる街並みなのですが、
壁画が薄っすら残る壁を白ペンキで塗って綺麗に装飾したりしてました。
軍人って経済オンチなんだなと、眺めてましたけど、
そういうことするから、世界遺産に落選してしまう。
 
 価値を見極めて、売値との歪みを買うこと。
 投資全般の基本ですが、
 鑑定団モノはより鮮やかですね。

 物語はガラクタの中に潜む価値のあるものの行方が中心で、
 設定と基本プロットは何かと上手い。
 伊達にシリーズが続いた訳じゃない。
 
 役者さん達の丁度良さも、演技も会話も心地良い。
 
 
 ただ、脚本には若干、賛同出来ない点があり。
  A: 宝石泥棒
  B: 殺人事件
  C: 同僚の恋の行方
  D: 息子の宝探し
  と、4本のエピソードが並行し、最後に合流します。
  ま、
  最後は繋がるんだろうけど、途中は散漫に感じてしまう。
  登場人物とエピソード多すぎないかと。
 
  Bの殺人事件は無くてよいと観てました。
  そこは、
  ある落札を嗅ぎ回ってる奴が居て、骨董屋荒らしが頻発する。
  というだけで済ませていいと思う。
 
  オープニングで手際良く観せたAの宝石泥棒がメインの謎なのだから、
  お話としては、そこに集中させるべきですよ。
  真っ直ぐに描くと尺余るかとの懸念があっての、
  並列構造だと思うのですけど、却って興味を散漫にしたかな。裏目。
 
  そして、Aの宝石泥棒の正体は、
  骨董品を通じて一つひとつ、明らかになってゆく。
  ともっと、小出しにカード切って欲しかった。
  最後、一気に判明して急ぎ足なのは、勿体無い。
  ちゃんと伏線は効いてるのですけど、
  やっぱりちょっと謎解きが勿体無い。
 
  とはいえ、
  サスペンスにせず、ミステリーでお話を2時間運ぶ。
  古典ではない、古き良き時代を堪能しました。
 
 
 
最近、嫌なものを目の当たりにしてしまった。
骨董といえばと、連想してしまった。
古いことと、価値があることは、全く関係がない。
それは残酷なことだなあ。
もちろん、新しくても価値のないことも多数なのだけど。
 
 あるお爺さんが、自分の経験を語るのだが、
 サラリーマン時代に我慢してきたという話しかなく、
 自分のリスクで意思決定した経験でないので、参考にはならない。
 ただ、右肩上がりの時代を生きただけ。
 
 いつも承認欲求ダダ漏れなのだが、もう認知が歪んで自分では気づけない。
 「布施」の精神とか説教したがるのだが、
 本人は常にクレクレ星人に陥ってると自覚出来ない。
 
  自分の意思決定で、損してでも、布施の精神貫いた実体験あるの?
 
 綺麗事は特に、実体験なしだと言葉が軽すぎて、むしろ軽蔑が湧く。
 いつも、我慢したエピソードしか無いことに矛盾感じて、
 どうしても軽く聞こえてしまう。

瑠璃も玻璃も光る。
古ければ価値があるとは限らない。

ああ、せめて私は、
必要としてくれる人に、実質ある経験や情報を伝えよう。
あのお爺さんのように時代に順応することは、私は無理で、
いろんな授業料沢山払ってきたのだから。
と、自分を改善できれば、彼にも価値があったということ。
 
上から目線ではあるが、
あのお爺さんのコンテンツのなさは、如何ともし難く。
そういう目利きの能力は必要だよな。
自分ごとでも、他人事のように、査定できるといいな。 
 
 
 
ほんとは、次は、「ビブリア古書堂の事件手帖」を予定していた。
評判も良かったし、黒木華ならそんなにハズさないだろう。
が、
アマプラで観れないのか、、
いろいろ探した結果、永江二朗監督に再登場願った。

トモダチゲーム」の監督。
低予算で、無理めな企画脚本を、上手に処理する人。という印象があり、
本作も、なかなかの無理ゲーそうなので、ハードルを下げ、期待して観た。
  
この中に1人だけ本物が居る。
偽物の秘密を暴き、消去法で本物を残す。
謎が中心のミステリーです。少なくとも本来の構造は。
 
 
 予算はちゃんとあるんだ。と驚き。
 堀田茜ちゃん以下、演技力を求める内容ではない。想像より酷くない。
 さすが、永江監督。オープニングの状況説明は手際よい。
 衣装もロケーションも良く、
 美人さんを美しく撮れてて、
 これなら言い寄るハイスペックな男が絶えないのも説得力あります。

 ただねぇ。
 途中から、サスペンスやりやがんの。
 それが全然緊張感がない。
  原作はゲームで、この設定でヒロインが堀田茜。
  ハードな展開は事務所NGだろ。
 ハラハラしたくても、それは無理な相談。
 さらに永江監督はサスペンスよりもミステリー向きの資質かもしれない。

 サスペンスパートの脚本も演出もちょっと頂けない。
 原作も、サスペンスではなく。
 証拠を集めて、偽物の謎を暴いてゆく。それが醍醐味のゲームらしい。
 
 尺の関係で、端折ったり、整理したりはあっても、
 基本謎解きでお話引っ張らんと。
 それを簡略化して、サスペンスで盛り上げようとするのは、
 志が低くないかな。
 原作に忠実だったら申し訳ない誤解なのだが、
 
 B級であることと、お話の魅力への志とはまた違うことで、
 あくまで謎解き中心に、原作の面白さを再現する。
 そこは譲らず頑張って欲しかったなぁ。
 
   
 展開が読めるとか、演技が棒とか、
 そういうクレームは、この手の宿命なので、
 それはスルーしてしまえばよい。
 でもね、 
 志低い改変については、批判が妥当。
 
 予算が増えて、しがらみも増えて、
 「トモダチゲーム」では出来てたこと、難しくなったかな。
 クリエイティブでない部門から脚本の直し入ることもあるし。
 痛し痒し。
 
  
どういう座組なら受け入れるか?
ほんとに大事ですね。
働いていたころは、その距離感で失敗していた。
 妥協も大切だと説く、サラリーマンのベテランも居た。
 ま、その会社はすぐに跡形も無くなるのだか。
 
どこまで自らの責任として関わるのが適切か?
 
当時の私は、それを自らに問うのが先決でしたね。
一方で、
本当は永江監督って、私には想像できない程クレバーな人だと思う。
 
  
 
スイス・アーミー・マン」の監督ダニエル・シャイナート。
観たかったという誘惑に負けて、選びました。ミステリーだろうか? 

倒叙型ミステリーとして、成立はしてます。
「刑事コロンボ」は上手かったんだなぁ。
ミステリーだけど、
倒叙型は、秘密が暴露されてしまうかどうかでハラハラさせる。
 
目撃者が犯人に付け狙われるというような、サスペンスとは違い、
あくまで謎が中心。
謎がバレる相手が、観客なのか、劇中の人物なのかの違い。
主役の犯人が最初から危機に陥ってるから、ハラハラする。
 
そのため、倒叙型はサスペンスと主張する派もあり。
が、
私はミステリーとする派、
やはり、謎が中心で、
主人公に危機が迫ることで、最後までお話を繋ぐサスペンスとは、
違うんじゃないかな。と認定してます。
 
 
 それはさておき、
 ディック・ロング氏の死を隠蔽しようする主人公が可笑しい。
 おバカに取り繕うとすればするほど、ドツボ。
 ああ、映画館で笑いたかったなあ。

 原題は「馬並氏の死」とでも訳すのが適切でしょうか。
 名前と馬並みを掛けてます。紺野ぶるま嬢みたい。
 
 主人公のおバカさと、南部の閉塞感がコーエン兄弟みたいと評されてます。
 私は、「ブロークバック・マウンテン」にゲッツ板谷の「ドイツ鯉の思い出」。
 彷彿としました。
 
 鬱屈と歪んだ性癖。それが可笑しくも、なんとも物悲しい。
 やっぱ、人生は直球が健全だね。
 
 劇中の死因は実話。まあそうでしょうね。
 

病院の緊急医療センターに「肛門異物挿入」で救急車のお世話になる患者もほとんど男性だ。性的快感を求めて、肛門にアルミ缶やエナジードリンクの瓶や湯飲みや牛乳瓶や剃刀(!)を入れ、それらが直腸に入り込み、取り出せなくなった男性たちだ。
<中略>
ある離島の病院で看護師として働いていたことがある年下の友人は、「山羊の膣(?)に自分の性器を挿入して抜くことができなくなって病院に担ぎ込まれた男性がいて、その男性の生命を救うためには性器を切断するしかなく、山羊も死んだ」という実例を話してくれた。

 男性の内面では、抑圧と性欲はどこか繋がってるのかな。
 私にそういう趣味は無いが、繋がってる気もする。
 
 前半は、恥ずかしい秘密が中心にお話が転がる。
 なかなかに可笑しいです。劇場で笑いたかった。
 
 そこで人間関係が提示されますが、
 設定はカリフォルニアでもフィラデルフィアでもなく、
 南部の田舎町。
 保守的で閉鎖的な絵に描いたような田舎の人間関係。
 多分、アメリカ人が観たらもっと偏見的なギャグが分かるのでしょうけど、
 キャスティングが見事。
  キャスティング力は子役で分かりますよね。
  黒澤明だって駄目なときは駄目。
  現在では是枝監督ですかね。キャスティング最強は。
  子役の使い方、常に盤石ですもの。

 警察はみんな太っている。裕福ではなさそう。
 ポリスメン達の造形は見事。
 エリートじゃないけど、ちゃんと有能。
 女性と男性を常に対比的に描いていて、
 その制約の中よく、役者さん揃えていた。
 
 オファーして断られ続けて、
 ディック・ロング役は監督自ら演じるという逸話に、
 強いこだわりを感じます。成功してます。
 
  
 「スイス・アーミー・マン」同様、死体をぞんざいに扱ってますが、
 映像と音楽は、信頼のブランド。
 あのオレンジの光はなんとも美しく、音楽は切ない。
 
 これがミステリーとは言い切れないのは、
 謎が終結したあとにも、余韻があって、
 
 賢くて強い女性に囲まれた中での、男たちの友情。
 前出の藤森かよこ先生曰く。

友人関係には、そのような切羽つまった必要性がない。そのかわりに、友人関係は、恋人関係ほど排他的ではない。家族と違って選ぶことができる。仕事関係者と違って利害関係はない。 
友人関係は、なくても困らないが、いい友人関係ならば、実に素敵な贅沢品だ。

 失われゆく素敵な贅沢品。
 この映画、車と沼のシーンが「サイコ」オマージュと指摘されますが、
 それはどーでもいい。
 ラストの馬を逃がすのは「さらばバルデス」かと。
 大事なものを失い、去ってゆく。時代の趨勢には抗えない。
 それはテーマ的にも重要でしょう。 
  
 男子校みたいな男だけの秘密。
 そういうものは過去の遺物に成りつつあるという指摘は、さすがの慧眼ですね。
 
 ストーリーについては、
 私はこれはこれで、良いと観てました。
  ミステリーやり過ぎなくてもね。どうせバレるよアレじゃ。
  「古畑任三郎」の風間杜夫回のように。
 そこはシネトコさんと意見分かれます。
 
 前半をもっとコメディに全振りして、
 エピソード入れた方が話題になったろうけど、
 このくらいのバランスでもいいかな。
 
 前半、おバカで笑わし、
 後半、しみじみ。ミステリー以外の要素だな。。
 
 
自分の宝物、見つけておいて、大事にして、死にたいねぇ。
目利きな自分でありたいものですね。

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