今の志とクオリティ「クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」 新たな挑戦と努力信仰への着地。

名作の誉れ高い昔のクレしん映画だけで、山田玲司批判も良くないかと。
もうすぐ公開終了してしまうので、昨日観てきました。
ロボとーちゃん」と同じ高橋渉監督だし。
評判もとても良いし、ミステリーという新たなジャンルへの挑戦らしいし。

 
 テーマの深堀りがないと、感動も表面的、これは日本映画全般の問題か。
 チャレンジは拍手だけど、マイナス面もある。
 制約の中、志は生きている。質は予算やスケジュールの問題も大きいみたい。
 
前評判のように、手放しの称賛とは行きませんでしたが、
お役所仕事ではなかったよ。
これはこれで、チャレンジは讃えます。観客として。
 
 
その前日、期待してたある映画の出来が散々だったので、
ちょっと凹みました。 
志も技術も、両方揃わないとダメだと思い知る。
企画の段階が、やっつけ仕事すぎて、
結果テーマに対して浅く、対立構造を上手に作れない。
 
 企画が通ってから脚本に落とす段階で、
 取材もしてテーマ理解深めないと、安易な発想が透ける。
 Goサインが出た後に、良い準備が出来ない、その余裕がない。
 
日本映画の痛い弱点を思い知った。
黄金期の黒澤明のように、
 複数の脚本家を競わせて優れたシナリオ採用する。
なんて贅沢は今できないが、
 
それは、
必ずしも予算やスケジュールのせいだけじゃなく、
体質の問題も根深い気がした。
情熱だけあっても、能力がないと。
機械的流れ作業だから、というよりは、体質が脳筋なんじゃないかな。
 斧を研がない木こり。
まるで、日本経済の生産性の縮図ではないかな。
 
ま、とりあえず、観てきた映画の話を。 
 
 
・「天カス学園」とエリートというテーマ 
 ただ結果としての格差としか描けてない。
 「エリートとは何か?」「エリート教育とは?」「なぜエリートを目指すのか?」
 そこまで描くに至たらず、
 AIによる監視と格差しか描かない。
 名声や富が得られたらエリートという訳ではない、それはただの成功者。
 
 この程度の扱いで、社会批判とか安易に褒めてしまう、
 客と評論家が悪い。
  真面目に取り組めよ。
 って、言わんといかんと思う。
 批判だったら何でも良しで、
 空虚だろうと、薄っぺらかろうと、お構いなし。
 
 そこで、思考停止するのは、情熱の問題でなく体質の問題に見えるんだけどな。
 もっと言えば、能力の問題。
 演出も脚本も健闘してるのですが、
 
 エリートを作品内でどう扱うか、
 脚本の前にもっと、練り込んでおかないと、そりゃ後で祟るよ。
 
 杜撰な計画を根性でカバーって、日本人の得意で戦前から変わってない。 
 過剰な努力信仰は近代化の過程で無駄に勝ちすぎたかな。
 負けても、高度経済成長があったし。
 
 
 ま、戦後なおさらエリートって日本人苦手なジャンルですけど、
  藤井聡太先生が受けたシュタイナー教育とか、
  将棋出すなら能力開発も描けばいいのに、
  品行方正を管理するだけの学校と、エリート教育は別もの。
  
  落ちこぼれたら戦力外はいいんだけど、
  ただ格差が描かれるだけで、
  お受験とか、上流国民とか、ちゃんと取材もしてないよね。

  劇中、風間君は幼稚園児にして、エリート目指すのだけど、
  その決断に至る背景も描くべきじゃないかなぁ。
  より窮屈な運命の選択を。

 「エリートとは?」を記号で処理してしまったのは、最大の欠点でしたね。
 
 
 
・三幕構成とミステリーへのトライ 
 一幕目:学園生活とキャラや設定の紹介
 二幕目:ミステリー
 三幕目:エリートvs庶民の対決
 
 という構成。
 ミステリーで容疑者が少ないと消去法で犯人バレてしまう。
 そのため、学校側2人、生徒側5人の登場人物。
 途中で犯人でないと分かるエピソードが何人かあり、
 二幕目の謎解き。
 
 キャラ設定を並列に描くのだけど、
 説明に尺取られすぎというマイナスを生んだ。
 その分、ギャグもスペクタクルも減ってる。
 
 謎解きのため仕方ないのだけど、前半説明に終始してるのはちょっとツラい。
 
 一方で、
 謎解きパート自体は健闘しているので、これが高評価に繋がってると思われ。
 
 三幕目の対決がクライマックス。
 もっとヤッて欲しいですが、予算との兼ね合いか、
 スペクタクルが展開されます。やっぱ手練れ。安定のクオリティ。

 ただ、お話としては、、
 それで感動するのは、ちょっと子供向けじゃないか日本人。
 構造的欠陥があるようで、気になってしまった。
 
 
 
・対決の構造上の問題 
 風間君vsしんちゃんで、エリートvs庶民が描かれるのですが、
 対立構造が出来てない。

 対立構造が作れないときは、洗脳で無理やり敵作るのはマーベルのスキーム。
 マーベルの悪いところ真似しましたよね。
 本当は対決する理由がない。 

 風間君が対立する理由はもっとちゃんと描けた。
  エリート目指して、お受験するから、しんのすけ達とはここでお別れ。
 なのに、敢えての洗脳。
 ヴィランが薄っぺらいと、対決モノとして成立しない。
 
 
 もう一つ、気になったのは、
 一生懸命だから応援するという心理。
 そこで感動させようというのは安易。
 
 努力という幻想で感動させる、やり方は私はちょっと受け付けなかった。

 エリートも庶民も努力は一緒。
 努力の結果の差は遺伝子。らしい。
 「ガタカ」みたいに。
  
 努力信仰って、実際はただの能力主義と大差ない。
 庶民の勝ちではない。そこで嘘つくのはいかがなものか、
 
 近未来に想定される風間君としんちゃんの別れで、
 ドラマ作ることは出来るにも関わらず、
 なんだかなぁ。
 そのお茶の濁し方なら、エリートとか扱わなければいいのに。
 
  
残酷な成果主義を描きたいなら、努力信仰で感動は首尾一貫してますけどね。
それが、エリートvs庶民となると、なんかチグハグ。
またかよ、やれやれ。
ミステリーへのチャレンジだけを手放しでは褒められない。
この欠陥は、脚本の前にテーマ深堀りしないと、解決しないだろうな。
と、純粋には楽しめなかったなぁ。 
 
 
 
そして、 
どうやら世界はもっと清々しく残酷らしい。
 

学校や家庭でも同じようなことがあります。みなさんも親や先生から「頑張ればきっと報われる」と言われたことがあるかも知れませんが、一方で、〝もし頑張れなかったらどうなるのか、そもそも頑張れない子どもはどうなるのか〟については、未だ明確な答えを聞いたことがありません。概して現在の社会では頑張らないと報われないのです。

身長はコーチ出来ない。
大谷翔平は人並み以上の努力もしてますが、
努力だけで大谷翔平に成れるもんでもない。
 
Daigo炎上でも似たところあり、
 ホームレス減らしたいなら、ホームレス支援しないと無理。逆に、
 Daigoに感情刺激されて叩く人も、別に弱者に優しい訳でもない。
発言自体はアウトでも、その炎上もなんだかな。
映画観てて、どこか似たような感情が去来しました。
 
能力主義や成果主義が好きな人自体は、私は全然構わない。
むしろ弱者の思考も、弱者利用の利権も疑問視してます。
それはさておき、 
能力主義や成果主義に反感覚える人が、一皮剥くと努力信仰なのが、
正直、気持ち悪いです。
   
 
「天カス学園」では、何がエリートとして評価されるのか、
きちんと描かれません。学園長のだたの主観だけ。
成功者ならなんでもいいってのは、エリート教育とは違う覇道。

一見無駄な活動に見えても、それがお金になれば評価は一転します。例えば近年eSports(eスポーツ)が注目されてきて、他国ではプロ選手も大勢います。優勝賞金も10億円を超え、海外であれば年収が1億円を超えているプレーヤーもいます。もし自分の子どもが、いくら引きこもってゲームばかりしていたとしても、実は陰で億単位のお金を稼いでいたとしたらいかがでしょうか。頑張っていないどころか親としては、急に誇りに思うのではないでしょうか。つまりその子の評価は急に〝頑張っている〟ということに変わるのです。

宮口幸治の指摘のように、
浅ましいだけのオトナを批判してるのなら、立派ですが、
大衆批判は一番のタブーですから、
安全なところから石を投げる以上は踏み込めない。
それがマスで商売するということ。
 
 
この世界をサバイブするには、ホントは努力より戦略。
家庭にも学校にも馴染めなかった私は、おかげで、
人生の早いうちに、
 ”人の行く裏に道あり花の山”
という学習が出来たことは感謝してます。
 
 
ところが、生まれつき認知機能が弱いと、
それすら人生無理ゲー気味。らしいです。
見通す力が弱くなるので、努力(というか計画の遂行)が困難。
その場だけのファスト思考の逆が、
長期的な利益まで勘定に入れるのがスロー思考というのに似てます。

見通しの力は〝探索の深さ〟とも呼ばれ、何ステップ先まで考えられるかに関係してきます。 
しかし、認知機能が弱い人は、先のことを想像するのが苦手で、せいぜい〝これをやったらこうなる〟といった1~2ステップ先くらいしか見通せません。心理学者のハーマン・スピッツらの研究では、知的障害児では探索の深さは1ステップであることが指摘されています。

かつて私がぐるり囲まれていたオトナ達の、
先を見通す力の無さは、
今冷静に考えても異常と思うのですが、
彼らも彼らなりに”頑張って”いたのですね。
 
彼らの愚かさは、私の人生最大の敵ではありましたが、
私にもっと現在の知識があれば、避けることだけに専心して、
憎む必要はなかったかもしれませんね。 
まあその知識も経験もない子供だったので無理なのですが、
 
この社会ではオトナは学習しない。映画観て改めてそんなこと思いました。
努力信仰の人で、戦略的思考鍛えようと努力してるの見たことない。
 
 
今回は、不慣れなミステリーに挑戦で手一杯でした。
それはそれで仕方ないと映画館を後にしました。
風間君としんちゃんの運命的な別れを描くことも出来たので、惜しいけど。
 
 
脚本前の見通し力は、情熱だけでは解決できない。
それは改めて山田玲司に反論したいかな。
むしろ情熱信仰の結果、プロとしての仕事力が向上してない。
 
やる気の問題かなあ、実は能力の問題じゃないかな。
頑張りも能力。思考停止も無能力。

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