利用されて捨てられる「フリーガイ」自由意志イェーイでいいのか?  「座頭市物語」と比較して観てしまった。

絶賛されるほどなのかと、「フリーガイ」。
いや、モブだからとか主人公だからとか、そこは関係無いと思うよ。実は。
敵役はMCU同様に相変わらず記号で、
 ライアン・レイノルズは色仕掛で利用されて、ラスト捨てられてるけど、
 AIが自由意志を獲得出来たから、能天気にイェーイでいいのか?
 
同じく、TOHOシネマズで観た「座頭市物語」デジタルリマスター版。
 味方でも悪人を善人に描かない。
 敵役も魅力ある人物造形。
 CGやワイヤーで誤魔化さないアクション。
 
映画においてのリアルとは何か?
あれ観て演出意図どおりイェーイな人に自由意志はあるのか?
が気になってしまった。
 
 
 
岡田斗司夫の「フリーガイ」感想。

アトラクションとしては楽しいかもしれないけど、何も残らないよね。
妥当だと思いました。
 
ラストで、ヒロインが自我を持ったAIでなく、人間の彼に走るのは、
キリスト教的倫理観なのかどうかは、私には判定出来ない。
むしろ劇中の、”バーチャルだって今リアルと感じるならリアルだ。” は綺麗事で、
ゲームのやりすぎはネット廃人になるから良くない。が本音なんじゃないの。
 
少なくとも、ネット規制側の声には抗えない。
宗教とは別のところで腰が引けてるのではないかと、
ディズニーらしい健全さで。
 
 
ゲームに詳しい人は、
高い技術の映像に、もっと、アトラクションとして楽しめるんだろうな。
個人的には、後半の展開はキツかった。
 モブキャラが自我を持つのと、ソースの盗用関係ないよね。
 盗用の証明ってそういうことなの?
 ワイティティ監督の怪演良いけど、サーバ破壊とか馬鹿じゃないの?
 自我を持って幸せかどうか、何するのか描かれないけど、それでいいの?
 結果捨てられちゃうが、それで演出どうりに感情操作されうるのか?

ご都合っぷりに、誠実さが感じられず、終盤興ざめでした。
そういう映画なんだから、楽しめない自分が悪い。
 
敵役の問題は毎度なので、MCU的なの観るときは、
そこ思考停止して観ないといけないのは分かるんだけど、やっぱキツイ。
 ワイティティ演じるのが、
 ウォズニアックを追放したジョブズ然としたCEOの敵役。
 敵役であるために、終盤経営センス無い愚かなだけの男に描かれます。
 その思慮でのし上がるのはもっと手前で無理でしょ。
 相変わらず、記号でご都合だな。

AIが自由意志を持って、反乱起こすのはテンプレでいいんですけど。
で、ストライキしてそのあとどうすんの?
イェーイはいいけど、今までと何が違うの? どう生きるの?
結局その閉鎖空間から出られず、制約の中に居るだけだよね?
利用されて、捨てられる運命に変わりないじゃん。
モブか主人公かは、どうでもいいよ。
ルーチンワークと自由意志の違いを見せてくれ。

モブ=市井の人 に焦点当てた作品なんて、いくらでもあるじゃん既に。
それこそ小津安二郎以来の退屈系映画観ればいいじゃん。
モブでも主人公とか、そんな手垢のついた主張新しいか。
  
 
ヒロインが自我を持ったAIと恋に落ちて、
ネトゲ廃人になっても、幸せでした。めでたしめでたし。
だったら、スゲーけど。
色仕掛けで利用されて、結局捨てられる男が主人公の話を、
善人で感動的に演出されたら、そのまま感動するのは、
自由意志のある生き物のすることなのかな。
 
本当は、制限の中でプログラムされているのではないかな。
やっぱ、ゲームばっかヤッてると脳ヤラれるんじゃないかな。
 
作り手は全部承知の上で、チョロいもんだよって言ってそう。
自由意志なんて幻想、
人間という制作物は、誰かの考えをオウム返しするだけの存在。
脳のプログラムなんて、そんなもの。
と割り切って、創造してるなら、それはそれで凄いけどさ。
好きにはなれない。
 
 
 
そこで、観客を舐めない映画を追求した勝新を観て満足することにした。
座頭市の第一作がデジタルリマスターでリバイバル上映中。
サマーフィルムにのって」の宣伝にまんまと乗った。
乗ってよかった。
三隅研次監督の演出が冴えてるねぇ。
余計なことしないで、
見せるべきものをきちんと見せるので安心して没頭できる。 
勝新らしいリアリズムの追求との呼吸が素晴らし。

冒頭、橋を渡るシーンで、勝新太郎って凄い人だったんだなと分かります。
橋を渡る。象徴的に上手に使ってます。
 
味方側でも、悪人は善人には描かない。容赦しない。
「用心棒」なら、三船敏郎は善ですが、
勝新の主人公は善人でもない。業の深い人間をリアルに描こうとしてる。
 
敵役の青白い若き天知茂も素晴らしく、居合の披露も説得力あります。
 
クライマックスはコラテラルダメージまで描いて流石です。

一時期流行った、ストップモーションとかやらない。
一瞬の勝負は一瞬で魅せる。そうでなくっちゃ。
何でもかんでも、説明すればいいってもんじゃない。

日本で映画の全盛期は60年代かなぁ。
今観ても、エネルギーに溢れている。
 
 
「フリーガイ」はコンプライアンスとか諸事情ありきで、
若さとか勢いとかは感じませんでした。
技術は何処までも進歩するよね。創業者が退いたソニーみたいに。
感心はするけど、感動は出来なかった。
新しいけど老成した作品。それだけだ。

  
 

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