「ミナリ」映画は特に、楽しめるかどうか教養にも依る。

遅ればせながら、韓国初アカデミー助演賞の「ミナリ」観ました。
途中単調に感じるとこもありましたが、最後はグッと来ましたね。
人生はアウェイゲーム。でも頑張っていこう。
生まれる場所は選べなくても、死ぬ場所はせめて選びたいな私も。
 
キリスト教のことは、そんなに分かんなくても、異教徒でも楽しめると思うのですが、
 ひどい環境のエジプトを捨て、艱難辛苦の末に、約束の地にたどり着く物語。
 (それで今でも異民族、異教徒とは揉めてるのはまた別のお話。)
それは重ねてるんだなって、それで充分じゃないですかね。
 

曇り空の隙間からわずかに差し込む光がインサートされ、
ジェイコブス・ラダーかとは思い、
将来を予感させましたが、何もかも上手くゆく程じゃない。
監督の名前はイサクで、その投影の息子君の役名はダビデ。 
そんなことはどうでもいいです。
 
時代背景はレーガン政権下の80年代。そろそろ冷戦は終わり、
半島は、クーデター後の全斗煥政権。 
國を捨てる人もいたのでしょうね。
ま、そんなことは気にしなくていいです。
蒼氓の普遍的な物語だし。
 
 
まあ、韓国はキリスト教も盛んですものね。
カリフォルニアとかだと、移民のコミュニティは宗教とも結びついているのですね。
日本人会とかは、あまりそんな助け合うイメージじゃないですけど、
中国系や、キリスト教由来の韓国のコミュニティは結束してる印象ありますよね。
 
片田舎のアーカンソーだからこそ、
教会の力は強くて、民族を超えて徐々にその地に根をおろしてく。
昔、
 パキスタンでタイ人の女性と会話したら、
 パキスタン人と結婚して、改宗してこの地に住んでると言ってました。
ま、アウェイの地で宗教的に馴染めるかどうかは大きいですよね。
  
これは、
移民ないし移民の末裔なら、刺さります。 
キリスト教徒ならなおさらでしょう。
 
個人的には、
台湾の夜市で、「中国語話せません」と張り紙出して、
チゲ鍋の屋台出してた韓国人のおばちゃん思い出しました。
 

それと、キリスト教のアメリカも韓国もそうだけど、
家族の結びつきは強い。
日本の映画だと家族は崩壊してるのがデフォルトだったりする。
ベトナムのベトナム語学校行ったとき、
 日本語得意な韓国人のおばさんに出会ったのだけど、 
 息子さんは韓国生まれ韓国育ちで、
 ベトナムで起業して、ベトナム人と結婚した。
 成功して、母親をこの地に呼んだ。
 日本なら、呼びもしないし、来ないだろう。
 韓国だと、呼ぶし、
 来るんだよね。言葉も通じない未知の土地に。年老いてからでも。
 ま、嫁姑の仲はあまり良くなさそうで、
 映画では、妻方のおばあちゃんが呼ばれるのだなと観てました。
 問題増やし過ぎないように。
それはさておき、家族の絆は日本とは全く違うもの。
同じ基準で観てはいけない。
 
いろんなこと思い出しながら観てました。
まあ、日本語の字幕で映画を楽しめのは、東京に住んでる特権ですけど。
ちょっとコロナが恨めしくもあり。 
 
 
 
ところで、
日本人は内向きで、アウェイを生きるものの心情が分からない。
だからこの映画は刺さらない。共感出来ない。
そう言われています。
 
かもしれないけど、
アントニオ猪木だって、ホベルト・サトシ・ソウザだって、
大変だったんだなと、そのくらいの想像力はあるでしょう。
日本人がいつの時代も内向きって訳じゃない。
 
ただ、グッと来るかどうかは、
その人のアウェイ体験に依る。かもしれない。
 
逆に、 
これからチョン監督はハリウッド実写版「君の名は」撮るらしいですが、
災害に対する感覚は日本人とは違うでしょうから、
刺さる映画となるかどうか。
 
 
最低限の理解力。
全部作中で説明されなきゃ分からない人には無理だよ。
そういう意味で、映画は教養を要求する。
大人は説明しない。
賞取るような作品は、100%説明する大衆芸能である可能性は低いし。
でも、この映画観ようと劇場に足運ぶ人は、
そういう映画だって最初から分かってるはず。
  
最低限、想像力を働かせつつ、わかり易く説明されなくても、
自分とは違う環境の人の心情を追える客層だよ。
 
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でもそう、
説明しないから、想像力が働くと同時に、自分の体験も思い出す。
そういう余地の無い大衆芸能はやっぱ味気ない。ジャンクフードの味。
感情を味わうために観てるんだから。
 
 
けれども、
演出が淡々とし過ぎってのも、原因はあると思う。
お話は、波乱万丈なのに。演出は単調。
アウェイの日常は大変だけど、大変さは非日常ではない。
それが日常なんだからと、敢えての演出だとは思うのですけどね。
私も観てて、もっと盛り上げてもいいかなと。
 
人命に関わることは、わかり易く緊張感出してもいーんじゃないかな。
おばあちゃんと孫のやりとりのコミカルと、もっと落差出してもよくね。
監督の資質が、「君の名は」向きかどうか。。
    
         
もう一つ不満があるのは、
賞あげるなら、おばあちゃんよりも、息子のデビット君じゃないのかなぁ。
子役が上手い映画は良い映画。
 
 
ストーリーは、演出と違い、起伏に富んでいる。(ネタバレ)
塞翁が馬的な出来事が続く、
個人的には、父親より母親の方に問題あると見えました。
ガリンペイロな男について行く時点で、想定できたじゃん。
目の前で現実を見て初めて文句言うのは想像力の欠如。バカなの。
 
このど田舎な環境で暮らしたから、ストレスもなく、
息子の持病も改善したのに、
それでも変えるっていうなら、あんたも家族優先じゃないよね。
 
そこで、婆さんがボヤ騒ぎ起こし、
なんだかんだ協力してたら、離婚話もウヤムヤに。
婆さんが厄災引き受けると、その分ちょっと良いことが起こる。
 

商売はやっぱり販路しだい。
良き顧客見つけたところが光明で。軌道に乗りそうな予感。
外来種でも、セリのように根を張れそうでよかったね。
 
 
で、 
お客さん決めてから起業しろと、久しぶりに神田昌典読みました。 

 
個人的には、”客が少ないときほど、歯を食いしばって断る。” が刺さりました。

お客にとって得(メリット)のない取引である、もしくは会社にとって得のない取引であると判断した場合、売らない決断をする。

一人ひとりが、自分の事業にとっての原理原則(オキテ)を持つべきである。そして、商談前にはそれを書いた紙に目を通すことが重要だ。オキテを守ったときには、いい交渉ができる。オキテから離れる途端に利益があがらなくなる。

 
日本去る前に、宿題終わらそうと、最近ちょっと働いてみています。
 昔はオキテを守れず断る客を切れなかったので、虚しさの渦に巻き込まれました。
 今、正しい決裂出来てるかどうかの確認します。
 
神田昌典かっこいいな。

成長し続ける限り、問題は起こる。問題が起こらない場所、それは墓場だ。

使命が明確でない会社の社員は、発想が湧かない。

お客があなたに「期待しない分野」で、お客の期待を超えよう。

不思議とマニュアル君に接しないと、こういうスピリット忘れがちで、
職場という場所の効用の一つです。

あと、ブラックな企業助けない目安は、

社員が育たないのは、育てたくないから。いい社員が採用できないのは、採用したくないから。

ですね。経験上100%そうです。中小に限らない。
 

経営者のパーソナリティがビジネスモデルに反映されたとき、そのビジネスは最も安定する。

できない理由を挙げることは、高校生のバイトでもできること。マネージャーの仕事ではない。

儲けのスキルは、この世界を良くするために使う。

嫌いな人に愛想を使うと、自分が本来やるべき仕事へのエネルギーを浪費する。

 
これはほんとに実践あるのみ。
よく市場と向き合ってる企業に投資できる人になるには。
小林製薬、経営変わったときに買えていただろうか。 
   
やっぱ最後は勇気。

謙虚になるのは、誰でもできる。
だが傲慢になるのには、勇気が必要。

自分にしかできないことに立ち向かって生きる人を、成功者という。

 
監督の父親の投影であるジェイコブ。萩原聖人似の男前。
どんだけ批判されても、最後は応援に変えてこそスター。
いやあ、随分と家族のこと気にかけてるよ。
 この起業失敗したら、死しかない。家族も養えない。
 パートタイムは所詮その場しのぎ未来はない。
勤勉な起業家で決してクズではない。責任感はあるよ。
一見優しそうでも、責任観念ないクズは山程いる。
 
 
日本人に共感が少ないのなら、それはアウェイに不案内というよりも、
自らのリスクで背水の陣を引くことに、想像が及ばないからじゃないの。
 
職場というものに触れて、ちょっとだけ強い気持ちを思い出しました。
東京に居る特権でしょうか。
生まれた場所でも、ここはアウェイ。

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