死とエロスとバイオレンスはB級の華、映画「惑星ザルドス」。どこまでアートできるかな「チェンソーマン」?

机上の戦術より、
 コンディショニングとか、
 不測の事態へのリスクマネジメントとか、
の方が決定的要因だとも思います。生身の人間がやることですから。

あと、4年間の準備ガーとか、それは地区予選勝ち抜けがミッションだし、
直前になって、本戦の準備やり直しの方が過去の結果は良いし、

負ければどうせ批判するくせに、
結果じゃなく内容ガーとか、
 
それじゃ、
牌効率だけ見て、プロの打牌批判してる麻雀ファンと変わんない。
 
 
自分の正義に固執すると、自己認知は歪むもので、
自分を棚に上げずに、人間理解に努めようと思う今日このごろ。

進化における、知能の目的は自己正当化らしい。
 
 
いろんなゴタゴタが最近あり、引き込もりガチでした。
たまたま新宿に出かける用ができて、昔話題になったSF怪作を観ました。 
 

ショーン・コネリーのエロス爆発。
ハゲと胸毛と筋肉と、今では流行らないこの絶倫感は、
バート・レイノルズと双璧でした。
 
別に難解ではなく、近未来モノのお話としてはむしろ定番。
 
当時あまり理解されなかったのは、
話の展開が何かと唐突で、かつ変な用語が普通に使われたり、
原作の構想では、もっとキャラクタごとのサブエピソードもあったのだろうけど、
尺の関係でダイジェスト感が否めない。
 
そんな作りの雑さのセイでしょう。
そんなムズカシイ話じゃないです。
 
支配層は消毒された社会で民主的、平和的。
カルト教団のコミュニティ然と文明的な進化は否定し、瞑想とかする。
再生による不死を実現したので、生殖も欲望もない。
ただそれは本能に逆らうので、無気力や反抗を生みガチ。
 
労働者階級は野蛮で、
人口が増えすぎないよう調整されてしまう。
 
奴隷たちを暴力で支配する集団もまた蛮族で、
その一人がショーン・コネリー。
 
支配層のソサイエティへの闖入者ショーン・コネリーにより、
動物の本能を取り戻し、死と生殖はワンセットだよ。
人間回復出来て良かったね。めでたし。と物語は終わります。
 
個人的な感想は、 
洗練されたスケコマシでなく、この役よく受けたなショーン・コネリー。
CGやワイヤーだと興ざめしてしまうので、低予算で逆に良かったよ。
ヒロイン役は分散させず、シャーロット・ランブリングに集約した方が観やすい。
もっとエロ満載でもよいのに。
 
ま、シャーロット・ランブリングのキャスティングが素晴らしく、
ショーン・コネリーの絶倫感とは対照的で、淫らではなく、
中性的で気品溢れるのに、やっぱエロい。 
 
シャーロット・ランブリングといえば、「愛の嵐」

ヨーロッパのエロスはアメリカのように健全でなく、デカダンスの味わい。
 
太宰治も三島由紀夫も知らない身には衝撃で。

詞はアラン・ドロンのはずなのに、
イタリア映画がモチーフだと知ったのも、もっと生長した後でした。
  
バカバカしくも、
あー、今こういう役者いるかなぁ、と思いつつ、
当時の大らかさを堪能しました。
説明されなきゃ気が済まない人たちへの配慮無いのも心地良い。
 
 
ところで、
B級映画オマージュといえばチェンソーマンですが、
4話絶賛らしい。

中でも、アニメオリジナルの早川アキのモーニングルーチン。
コーヒーアンドシガレッツな日常系を丁寧に描いてからのドタバタ。
緩急自在で原作派も満足とのこと。
 
チェンソーマンらしくて、良かったです。
もっと、デンジ君は原始的にして欲しいですが、
評価が改善して当然だと思いました。
 
流石にもう、設定の説明を丁寧にやらなくていい。
というのもあったでしょうけど、
アニメファンの不評覚悟の映画的表現は、賭けだったでしょう。
 
オシャレは客を選ばんとな。

 
善意で仕事すると、ろくなことないな。

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