原作モノといえば、口コミは効いてるみたいだけど、
ヒットして欲しいですね。
オリジナルパートも素晴らしく。
音楽に過剰な役割を負わせず(by宇多丸)、紙面にはない説得力。
山下監督らしい、”卒業”までの限定的な時間空間での人情の機微を描く。
綾野剛の底知れないヤクザぶりも秀逸、
原作通りならいいのか? じゃあ漫画だけ読んでろよ。
作品のクオリティと忠実かどうかは別。
そんな気持ちにさせてくれます。
忠実な実写化でクオリティも高い「アンダーカレント」は去年コケた。
「KAPPEI」面白かったのに、日本の客には響かず。
”責任を負うとは、経済的損失を被ること。”
アドラーが提唱するように、誰が最終責任を負うのかを大事にしたい。
一番に思い浮かぶのは、
テレビの素人の意見ありがたがる視聴者がどうかしてる。
で次は、
テレビはどうして身内の問題となると、庇って燃えて戦局を悪化させるのか?
単に、”無能な味方は有能な敵より恐ろしい” という教訓なのか、
それとも、話題になって視聴率上がれば何でも良いからなのか、
という疑問。
私には、
日テレ界隈が吉本から何も学習しないのか、
学習の結果、擁護して燃やすことにしたのか、
それがよく分からない。
原作改変で揉めることは頻繁にあるし、
構造上やむを得ないこともあるとも思う。
地上波ゴールデンじゃヤれないこともあるだろう。
その上で、最後は原作者が脚本書くと、制作側は譲歩した。
約束ごとは守ったと思うよ。
”原作者が忙しいのに慣れない脚本書かざるを得ない”
という批難はさすがに不公平。日テレにも言い分はある。
何より気になるのが、
最終的に実写版の作品に責任負うのは原作者じゃないし。
ジョジョとかハガレンとか約ネバのように、
実写化の評判が悪くても、原作の評価は落ちない。
”原作料が安い”という批判も首をかしげる。
原作側からしたら、基本はPRの一環だもの。
進撃だって、爆発的に売れたのアニメ化の後だし。
モンキー・パンチ先生のように割り切れないなら、
信頼して、二次創作は手放し出来ないなら、
ガッツリ制作に関わるしかないんじゃないかな。
じゃなきゃ、断るべき。
利害調整できないプロデューサはダメでも、
10:0で日テレが悪いとは思えない。
日テレがより悪かったとしても、
自殺の責任までは無い。
が、
事後対応は、まるでデジャヴ。
学習能力が無いのか。
わざと炎上させて話題作りしたいのか、
愚かなのか、悪質なのか、
意図は分からない。
どうせ批判は出来ないなら、いっそ燃やしちゃえと、
悪い番組制作者が居そうだけどね。
まあ、とりあえず、
斜陽な組織は、
内向き縦割りな人ばかりで責任は取らない。
空気に流されるだけで、合理的判断はもう出来ない。
成功体験が忘れられず、潮目変わっても対応できない。
日本らしい光景を何度も見るだけかと、
サラリーマン時代を思い出したりしています。
そこで、
空気に流され愚かな意思決定の末、滅びゆく人たちをアマプラで復習。
中国資本でエメリッヒなのに、公平で冷徹な視点が光る。
ただ予備知識ないと厳しいかな。単純なVFX娯楽映画じゃない。
私は映画の前に予習しました。
・意思決定
空気に流され、合理的思考より、内向きな折衷案で妥協した結果、
目的がブレて、爆弾積替えの”空白の5分”の遠因となる。
せめて山口多聞が指揮してたら。。
・情報戦、事前準備で完敗
暗号解読され筒抜け。
多くの有効な進言はメンツ優先で握りつぶされた。
アメリカは人材登用で正解。
・戦力比較
真珠湾でのダメージもあり、この時点ではアメリカも寄せ集めチーム。
物量の差はまだ顕著ではない。
戦闘機のスペックも、操縦士の技量も日本が上。
ただし、戦艦大和は無駄。
レーダー技術はアメリカが上。潜水艦もアメリカか。
このくらいの予備知識はもともとあった。
が、
戦術的な学習の差が大きく、勝敗を分けた。
空母に対して戦闘機による急降下爆撃が有効と珊瑚海海戦で判明し、
アメリカは分析を活かし、日本は大和をお披露目した。
空母は航行不能にならなくても、
滑走路がボコボコなら戦闘機は発着できない。
威力の弱い爆弾でも無力化できる。
急降下爆撃は水平な魚雷発射よりローリスク・ハイリターン。
データがあるのに、次の戦いに活かさず、
スペックは高くても戦術で負けてしまう。
それは、初めて教わった。
”負けに不思議の負けなし”
時流が変わったのに、成功体験に囚われ、対策を怠る。
旧軍とテレビ業界と私が所属した企業。
味わい深いものです。
何故、目の前に吉本という教材があるのに、学習しないのだろう?
炎上して視聴率狙いはあまりにも目先過ぎる。
まあ、滅びゆくものの特徴かもしれませんね。
次いでに漫画原作モノからも学習。
柄本佑はコメディいつも上手く、田中泯は無駄なく重厚でパーフェクト。
「ミステリと言う勿れ」同様に菅田将暉の華。
そこに山崎監督渾身のVFX。
期待を上回る。劇場で見ときゃよかった。
内容はまるで大阪万博のようでタイムリー。
文春の売上が数億円動こうがどうでもいいですが、
オレも払った税金だと思うと心ざわつく。
一千億円が本当は二千億円近いんじゃないの?
なんか不自然だけど癒着してね?
構造上も欠陥があるから、これじゃダメじゃない?
そもそも無駄じゃね?
”この世にニュースは無い”という感慨が去来します。
メンツに拘り白旗の挙げどきを見誤ると、犠牲が増えるだけ。
なんで日本人は今でも”諦めない努力”を美徳するのだろう?
ただ合理が空気に負けてゆく様を描くのでなく、
職人魂に到達してるのは尊い。
作り手の映像技術屋の気概でもあり。ハリウッドなにするものぞ。
原作の咀嚼、そしてオリジナルの発露は見事。
わざわざ別の表現手法に取り組むのだから、
忠実さを超えて、そこに意義が欲しい。
それをお金を払って観たい。
テレビドラマのことは分からないが、
組織は末期なんだろうな。
まあ、二次創作は二次創作者のモノ。
キャパを超えて、原作者が背負うべき荷物でない。
不幸にも、彼女は彼女で選択を誤ってしまった。
それは認めて、日テレの吉本化を見守る。