「8番出口」は観る予定だけど、PRも成功し盛況。なら小規模公開を優先したい。
が、「グラン・ブルー」では、リバイバルものが続いてしまう。
そこで、新作かつ、”青き惑星”の映像では負けないドキュメンタリーを選ぶ。
奇しくも、
9月1日は映画サービスデイかつ、イルカ漁の解禁日だった。
↑約10頭のハナゴンドウを捕獲 和歌山・太地町
もちろん、シーシェパードの活動は1ミリも支持しないが、
とはいえ、捕鯨に無条件で賛成は出来ず。疑念もあり(後述)。
ニュートラルな気持ちで、中央前よりの席に座る。トイレ対策不要の72分。
想像の真上を往く映像。6000日は伊達じゃない。
ヒレでビンタでもされたらイチコロなのに、あの距離で撮れるのか。
パトリックが撮るクジラのアップと、その全体像を収める映画のクルー。
目眩く二重構造に見惚れてしまって、時間はあっという間だった。
クジラの中でも、
マッコウは潜水艦かと見紛うフォルム。デカくて、黒くて、四角い。
というか、
海底では合理的な形状ゆえ、人工物の方が真似たのか。
コンコルドや新幹線と同じ理屈なのか。
漫画↓だったか、
小説↓なのか、もう記憶は定かでないけれど、
ソナーマンはクジラと交信すると言ってた。気がする。
その神秘的な映像の美しさは、言葉で語るより、
予告編↓見て、興味が有れば、
出来るだけ多くの人に映画館で鑑賞して欲しい。と思った。
映像以外では、以下。
全く違う方向に分けて、語りたい。
1.マーク・フレッチャー監督の作劇
2.ドキュメンタリーで信頼を築く取材
3.調査捕鯨と使った税金の有効性
いやぁ、本作と日本の捕鯨は関係無いのだけれど、
”反捕鯨的な価値観がよぎり、反感を抱く”
という世間の評もあり、考えてしまった。
日本人として避けては通れない問題とも思え、
折角なので、ちょっと復習。
1.マーク・フレッチャー監督の作劇
ドキュメンタリー畑で、経験豊富な凄い人と観終わってから知りました。
イギリス出身。
ブリストル大学で動物学と心理学を専攻し、動物認知学の研究を行う。
大学卒業後、1985年からBBCのナチュラル・ヒストリー・ユニットに所属。
40年近く野生動物映画の編集者兼ライターとして活躍している。
プロデュース、編集、脚本を手掛けた作品は200以上に及び、
50を超えるエミー賞をはじめ、多数の賞を受賞。
《映画『パトリックとクジラ 6000日の絆』公式サイトより》
なるほど、
この題材を一つの映画作品として成立させたのは、
この監督の力量あってこそ、と納得。
それが、観終わっての第一感でした。
主役のパトリックの半生もドラマチックで、
そこ深堀っても、物語として充分成立するのに、
サラッと、
”弁護士の仕事で貯金して、今はクジラを追い続けている。
あの頃は辛かった。”
とインタビューで言わせるだけ。
あくまで、
”クジラを撮るパトリックを撮ること”に重きを置く。
あ、酸素は背負わず、シュノーケルだけなのか。
クジラの頭に触っている。そんなに近づいて大丈夫なのか。
唖然としてしまった。
パトリックはドミニカの沖で、
ドローレスと名付けたメスのマッコウと出会い、
翌年も再会する。
企画は、
海洋カメラマンと一頭のクジラとの物語を追い、
それで、一本いけるだろう。
との想定で、多分スタートしたと思われる。
《以下ネタバレ。 2.の終わりまで》
ところが、
ドローレスが妊娠出産。子育てに忙しく。
人間にかまってるヒマは無い。
メスは4~5年おきに出産します。
妊娠期間は14~16カ月で、他の鯨類が約1年であることを考慮すると非常に長いです。
赤ちゃんは1頭で生まれ、体重は0.5~1t、体長は4mにもなります。
1歳前には固形物を食べ始めますが、少なくとも2歳までは母乳も飲みます。
育児はメスの役割で、母親が潜水している間、その子の面倒を他のメスが見ることもあります。
メスは9歳ごろ性成熟に達し30歳ごろまで成長します。
《いきもの.comより》
マッコウの出生率は戦前の日本と同程度以下だろうか。
産卵する魚類と違い、人間と同じ哺乳類と改めて思い出す。
計画通りには進まない。
が、
途中で撤退も悲しい。
体力の無いクリエータが監督なら、短編で終わってしまう。
ともかく撮影は続行。そこで別の一頭との物語を開拓してゆく。
パトリックは、
”缶切り”と名付けられた(形状からのネーミングと思われ)別のマッコウに、
着脱可能なGPS付きカメラを、
コバンザメみたいにクジラの顎の下に接着させ、
彼女たちが回遊する深海の様子を、
撮影しようと、試みる。
最初、頭の先に接着に成功するも、思った程の成果でなく、
もう一度トライ。
すると、”缶切り”は拒否する。彼女は怒っている。
”何しとんじゃ、ワレ!”
そんな声が聞こえるかのよう。
あー、
これ、丸山ゴンザレスのクレージージャーニーとかで、あるあるのやつだ。
個人的な親密さで、コミュニティに接触するとこまで行けても、
取材目的と察知された瞬間に、相手は態度を硬化させる。(参考2.)
”隠しカメラ回してんじゃねぇよ!”
一気に緊迫するシーン。
相手がクジラでも一緒。
ま、
ここで、もう一つエピソードが出来たので、充分な尺。
監督自ら編集し、72分一本の映画が完成した。
この辺が長年の経験。手慣れたもの。撮れ高充分と勘所を抑える。
お見事。
編集の腕で作られた物語かもしれない、
パトリックが本来の志から離れ、
いい絵を撮りたいという欲に走った結果、
クジラとの信頼を損ねた。
そこまでは事実で、
更に、パトリックが悔恨の涙を流すのも事実で、
一方、クジラの反応は、人間の想像の産物かもしれない。
とは言え、
それならそれで、いいじゃない。
私は邪推した。
このままじゃ、撮れ高が足りない。
できれば深海の映像が欲しいと、
映画側がパトリックに要請した。
パトリックは渋々、制作陣の要請を受け入れた。
失敗しても成功しても、充分な尺と予め計算していた。
ワル凄い監督が居て、
素潜りでクジラに近づく男は、
小細工無し、裏スジも知らない、直球勝負で挑む。
作り手は、どう転んでも伏線回収。
ドキュメンタリー監督の素材を料理する力量を、
勝手に想像し、敬服しました。
2.ドキュメンタリーで信頼を築く取材
↑“取材中に起きたヤバい事件”とは?【丸山ゴンザレスさん・村田らむさん】
本作、
”缶切り”に、face-to-faceでゲキ詰めされるパトリックは、まさに土下座。
許して貰えたみたいで、良かったね。
突然、
マッコウの生態が未解明だとか、学術的な”正義”を語り出していた。
やべえパターンだな。
絶対言わされてるだろ。
可怪しい。
”メディアは正義を必要とする。” とゴンザレスも言ってる。
それは、
ウォール街の弁護士を辞めて、海に潜るカメラマンの正義じゃない。
どの立場で関わるのか、
スタンスを途中で変えるのは、命取りに成りかねない↑。と言う。
常人では、撮れない映像を観せてくれる人。
世の中も上手く泳いでね。
体を張る側の命は、自分で守るしかないのだし。
3.調査捕鯨と使った税金の有効性
ヒステリックな反捕鯨の声に煽られ、反発する前に、
ちょっと立ち止まって、読むべき本↓。
クジラコンプレックス 捕鯨裁判の勝者はだれか
勝者は、日本の納税者だと思うよ。
南極くんだりまで行く調査捕鯨と、国裁判所で敗訴に至るまでの裁判費用。
それら費用は税金から捻出されていて、
売れ残った鯨肉は冷凍され倉庫に眠ったまま。
天下り先を確保する為に、やってんじゃないのかと疑ってしまう。
とりあえず、裁判のお陰で、税金の無駄遣いが止まった。
和歌山のような、伝統的な近海の漁とは、どうやら問題の性質が違う。
2014年3月31日、豪州・ニュージーランドと日本で争っていた捕鯨裁判の判決が言い渡され、日本は敗訴した。
日本が国際司法裁判所の裁判で直接の当事者になったのはこれがはじめてである。
この判決は沿岸捕鯨の関係者の方々にはどのように映っているのだろうか。
判決以降、日本政府は同判決にしたがい、南極海で捕鯨を行っていない。
その代わりに、新たな調査計画のもとで南極海捕鯨を継続しようとしている。
したがって、今のところ沿岸捕鯨を再開できる見込みはないのだが、
なぜ、沿岸捕鯨文化を守るにはどのような戦略が必要なのかといった議論が起こらなかったのだろうか。
「美味しんぼ」が反・反捕鯨なので、連載当時から怪しいと思っていた。
・日本の伝統文化を守る為、遠洋での捕鯨が必要だと説く。
人形浄瑠璃を観劇させ、
人形の部品にクジラのヒゲが使われると説明。
→石油で動くエンジン有りきの”伝統”って、明治以降の伝統か?
・食はそもそも残酷なもの。人間の業の前に牛も鯨も同じと、
牛の屠殺現場を見せ、残酷さを体感させる。
→管理され(栽培、養殖、飼育)供給されるタンパク源と、
絶滅危惧種の野生動物の捕食を、同列に論じていいのか?
和歌山県太地の和田頼元が「刺し手組」と呼ばれる突取り式の捕鯨組織を立ち上げた1606年が日本の「捕鯨産業元年」だとされている。
捕獲対象はイルカ、ゴンドウの他にセミクジラであり、日本全国に組織的な捕鯨が広がっていった。
1675年に、その孫の和田頼治氏が、突き取り式に比べてクジラを捕り逃がすことが大幅に少ない網捕り式捕鯨を開発する。
その漁法は、「クジラを網に絡めて行動力を鈍らせた後に、銛で突いて獲る」というものである。
伝統と呼べるのは、網捕り式捕鯨↑までじゃないの。
日本の捕鯨船による本格的な捕鯨はといえば、実現したのは1908年のことである。
当時の有力な捕鯨会社のひとつであった「東洋漁業は、網捕り式捕鯨が行われていた高知や和歌山だけでなく、
それが行われていなかった現在の千葉県銚子や宮城県鮎川といった、日本国内の各地にも事業場を設立して」いった。
宮城も明治以降↑だとは知らなんだ。
そもそも江戸時代まで食肉は限定的だもの。
紆余曲折の末、遠洋の捕鯨は隆盛を迎え、風向きが変わる↓。
戦後、GHQは食糧難対策として南極海捕鯨を許可したことで捕鯨産業は瞬く間に再成長し、
日本は1960年頃から世界最大の捕鯨国となった。
それまでの捕鯨関連条約(1931年締結の捕鯨取締条約(いわゆる「ジュネーブ捕鯨条約」)と1937年締結の国際捕鯨取締協定)に加盟してこなかった日本が、
戦後最初の条約加盟を果たしたのが国際捕鯨取締条約(ICRW)である。
その後、有名な捕鯨オリンピックで大型クジラから順番に次々と資源が枯渇していくにしたがって、
より厳格な資源管理が主張されるようになっていったが、それでも資源管理は成功しなかった。
それから、
調査捕鯨の建前で、遠洋の捕鯨を続けようと日本政府は頑張る。
私が国際交渉を通じて調査捕鯨の捕獲頭数拡大に取り組んでいた頃、
周囲には「あまり増やさないでいい」という人間がけっこういた。
少なければ珍味として高く売れる。それで十分ではないかというのである。
捕獲量が増えれば、売る努力も必要になる。だが、
商業捕鯨の再開は組織防衛のためではなく、
昔のように国民に大衆食として鯨を食べてもらうことが目的だ。
私は、それが水産庁の役人としての職務だと主張し続けた。
官僚の野望↑は税金で賄われる↓。
単年度にかかる調査費用の総額は、概算で約40~60億円となっている。
このうち5億円が政府からの補助金で、
残りは鯨肉の売り上げ売り上げで賄われている。
運転資金として、農水省管轄の団体からの無償貸与も受けている。
小松氏は「捕獲量が増えれば、売る努力も必要になる」し、
鯨肉の値段も下がって需要が喚起されると踏んだが、
鯨肉は年を追うごとに在庫が増えていった。
今は捕鯨裁判などの影響で鯨肉の供給量が低下しているため、それに合わせて在庫も減ってきている
こうしたことから日本鯨類研究所は2010年度に赤字に転落し、
水産庁は2011年の政府補正予算で復興枠を流用して18億円を鯨研に回し、
債務超過を解消させるなどの方策を講じている。
また、共同船舶は2012年から年45億円を「もうかる漁業」補助金として政府から受け取っている
鯨肉需要の低迷や、アイスランドからの輸入鯨肉との競争もあり、
現在では南極海に行くたびに、1回あたり約10億円の赤字が生じるといわれている。
Jリーグを思わせるドリームの補填↑。
その上、調査は、何の成果も得られませんでした。みたい↓。
実際に行われた調査の実態が、
日本自らが謳っている所期の調査目的(南極海の生態系の究明など)を達成することに照らして合理的とは考えられないというのがその理由である。
その根拠として、以下の点が挙げられている。
まず、査読つき論文の発表数が非常に少ない点である。日本が提出した反論書でも調査の成果であると説明されたのは2本である。
第2は、サンプル数の設定根拠が合理性に乏しい点である。
第3に、調査の期限を区切っていないことである。科学はいわば「永久法廷」の場であり、期限が設定されない限り永久に研究業績をあげる必要がないということになってしまう
国際世論に反発する前に、日本の納税者にとって由々しき事態と知る。
税金でヤルなら、日本の畜産業の強化に使えよ。百歩譲っても、
せめて、マグロやウナギの完全養殖実現の為に使おうよ。
反捕鯨を揶揄し、日本のナショナリズムを煽る動画を上げる連中は、
普段、クジラ食ってんのかな?
私は仙台で、セリと一緒に鍋で食した思い出がある。
赤みも脂身も強めな鯨肉と、
根っこまで食べられるセリの、ちょっと泥臭い風味がマリアージュし、
地酒ともども、大変美味しくいただきました。
が、
スーパーで買う食肉(牛・豚・鳥)と違い、少なくとも日常的に必須ではない。
昔は、オールドメディアも一緒に、
”遠洋漁業は日本の文化”と合唱していた。
伝統を謳うなら、近海の漁を保護するなら分かるけど、
何故に南極にまで?
合理的な説得力に欠ける論旨だった。
そういう時は、お金の流れも納得出来ないもんだね。
調査を10年以上(1982-2014)続け、反論書は2本のみ。赤字は税金で補填。
帆を張って進む未来を夢見るより、現実を観ようよ。
2025.09.03 23:00現在
20MAを割り、-2σにタッチしそう。
アメリカの数字次第とも思われる。
4万1千円台、次に4万円台を、割り込むかどうかの攻防になるかなぁ。
雇用悪化からの米金利の利下げがあるとして、
市場がそれをネガティブに捉えるか、前向きかも分からないけど、
買いやすいところで買いたい。